眼棲生物学者の華麗なる籠城 |
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犬は蛇と言葉が通じない。それは種族が違うからだ。 大昔は人間もそうだった。 瞳に犬を飼ってる人間と、瞳に蛇を飼ってる人間は言葉が通じなかった。 それは瞳に飼っているもの――眼棲生物(アニマ)が違うからだ。 そう、人間の目ん玉には動物がいる。比喩じゃなくて本当に。 ヘビ、イヌ、ウマ、シカ。変わったところではクジラなんてものもいる。それらをひっくるめて、眼棲生物(アニマ)と呼ぶ。 アニマは、いわゆる情報をつかさどる共生生物だった。 人間自身の喉を震わせる言葉ができるまで、人間は眼で会話していた。瞳の中の犬が吠えて、相手の瞳の中の犬が応じて遠吠えする。 会話はすべてそれで済んでいた。 ともすると、言葉にできないイメージまで共有することができた。同族にしか通じない秘密めいた暗号。 ……全部大昔の話だ。 今は人間自身の言葉があって、違うアニマ持ち同士も、アニマではなく声で会話ができる。 聞くところによると、言葉だけでは瞳を合わせるよりも情報量は減っているらしい。しかし俺は言葉があって大いに助かっている。 なにせ、俺の瞳にはアニマがいない。瞳で対話を交わすことができないからだ。 ――いや正確には、瞳の中には卵が一つある。アニマの卵だ。 普通なら幼少期に孵るアニマの卵が、20歳過ぎても未だに孵らない。中身が腐っているのか、殻しかないのか。 なにぶん前例が少ないので何もわからない。 しかし、俺はアニマがいる普通の人間になりたかった。 アニマがいないと大人とはみなされない社会において、卵が孵らないことには、未成年も同じである。ある意味免許証に童貞と書かれるより生きづらい。 諦めきれない俺は自分で自分を調べることにした。 俺は大化大学眼棲生物学科4年、朝島始。専攻は眼棲生物進化学。 マッドな教授に今年も研究対象にされつつ、自分で自分を研究する大学生である。 □□□ 「という、俺先輩のありがたーい自己紹介なんだけど、……君ら聞いてた?」 俺は震えた声で抗議した。 さもありなん、自己紹介が終わるや否や、俺は三人の新ゼミ生の後輩たちに押し倒され、瞳をのぞき込まれていた。後輩たちの目がキラキラしている。酒の勢いとはいえ、さすがマッドサイエンティストの根城たる進藤研の新ゼミ生たちだ。探求心が強い。 確かに、成人を越えてもも卵のままのアニマという前代未聞の現象に興奮するのはわかる。 だがキミタチ、俺の事先輩だって知ってるよね。中学生だと思ってないよね?! いくら居酒屋で新ゼミ生の歓迎会をやっているからと言って、あの先輩押し倒すとかやり過ぎだと思うんですけど! 外聞的にアレだし、ほんと個室の座敷席でよかったよ。あと、お、おっぱい柔らかいですね……。 「すっごーい! 本当にアニマが卵のまんまなんですね! 初めて見た~」 「ころころして可愛いたまご~。おいしそ~」 「あ、形から言って鶏卵に酷似してますね。ふふ、ちょっと触ってもいいですか」 上から降ってくるきゃっきゃとはしゃいだ声とカクテルの甘ったるい吐息。何がとは言わないけど、いいにおい。 だが全員肉食系アニマもちである。左からイリエワニ、ツキノワグマ、ホオジロザメ。それぞれが彼女たちの瞳の中、おいしそうな肉(俺)を前にしてグルグルと興奮しているのが見える。 女の子に伸し掛かられるのは役得だけど、これはちょっとアカン。このままだと、俺の眼が食われる。へ、ヘルプ……。 伸ばした手は、俺が一番頼りにしている後輩にガッチリと握られた。 「こらこら、先輩が潰れてるじゃないっすか。先輩はアニマ持ちじゃなくてパワーがないんだから、手加減してあげてほしいっす。はい、退(の)いた退いた―」 そのまま、両手をずるずるーっと引っ張られ、俺は伸し掛かる女の子達の下から無事脱出に成功した。 女だてらに後輩の力はすごい! ……と言いたいが、これは男女かかわらずアニマ持ちなら当たり前のことで、つまるところ俺が貧弱すぎるのである。かなしい。 「だいじょぶっすか先輩。ぺしゃんこになってませんよね?」 畳に背中を擦り付けたまま見上げると、心配顔の後輩が見下ろしていた。彼女は、藤村楓(ふじむらかえで)という。ルーマニアからの帰国子女だ。向こうの大学で臨時で教鞭をとっていた進藤教授の研究に惚れ込み、帰国した進藤教授を追ってうちの大学に編入したパワフルな3年生である。まぁ、3年とはいえ、うちのゼミには2年生のときから出入りしているのですっかり古参ゼミ生の風格がある。 彼女の瞳にいるアニマは、全容すらうかがえない巨大なハスキー犬。いつも寝そべっているので、正確な大きさは不明だ。そのハスキー犬ときたら、俺を見下ろして、なにやってんのお前とでも言いたげにあくびをしている。ほんと何してるんでしょうね、俺……。 「あー、楓ちゃんのいけずー。せっかく進藤研のマスコットもふもふしてたのにー」 「先輩本当にちっちゃくてかわいいわ。マイナスイオンだわ」 「あー先輩のアニマ、ずっと卵のまんまだったらカワイイのに。これで先輩の研究が成功して卵がかえっても、もしハダカデバネズミのアニマとかだったら、幻滅ですよぉ。ねぇ研究辞めましょうよー」 女の子たちがぶーぶーと文句を言う。だがまて、後半のそれは聞き捨てならない。俺はむっくりと起き上がって、必死に訴えた。 「俺は、例えハダカデバネズミでもアニマが欲しいの! 免許証に『アニマ:卵』って書かれる屈辱が分かる? 居酒屋の店員に『未成年かよこいつ』的な視線で見られて酒も買えないし、どこ行っても子ども扱いされるし! ……な、なんだよ」 全員から何か言いたげな、それも生暖かい視線を感じる……! 分かってるよ、俺が歳の割に幼く見えるのは! どうせ、俺が子供に見えるのはアニマ関係なくない? って言いたいんだろ。ぜ、絶対違うと思うけどな! 俺の童顔はアニマのせいだし多分。 「み、見てろよ! アニマが孵れば身長むくむく伸びて、高身長のイケメンになるんだからな! 可愛いとかもう言わせないからな!」 必死に言い募る先から、微笑ましい親戚の子供をみるような目で見られている。や、やめろそんな目で俺を見るな。 俺は最終手段で進藤先生に助けを求めることにした。 「どらえも、じゃなかった。進藤教授! 何とか言ってやってください!」 「……だれがドラえもんじゃ」 机に突っ伏したまま眠たげな声を出している酔いどれな女性。我らが進藤研の教授、進藤奈津子である。古風な口調だが、妙齢の美人だ。この口調は、山千海千の大学事務のたぬき爺どもと研究予算の取り合い、もとい化かし合いをしていてうつったらしい。おいたわしや……。 「まぁ、童顔はともかく、卵が孵らんと就職先にも困るありさまじゃしな。必死になるのもやむを得なかろ?」 そう言って髪をかき上げる様が色っぽい。誰かがごくりと喉を鳴らした。 「……でも、先生、アニマがいないと社会に出るのにそんなに苦労するんですか」 「一般にアニマはそれぞれ特有の能力を持つからのう。鳥類のアニマは視覚や方向感覚に優れているから、飛行機のパイロットは鳥類アニマ持ちが当たり前じゃ。お主らも3年の時分で、もうリクルートはきているんじゃろ」 顔を見合わせた女の子たちは、口々に「言語聴覚士」、「調香師」、「魚群探知機」と言った。待て、一人おかしい。 それぞれ、イリエワニは聴力、ツキノワグマは嗅覚、ホオジロザメは嗅覚・聴覚・視覚を生かした仕事だ。だからって魚群探知機は無いだろ。 「ちなみに、私は麻薬探知のお仕事が来てるっす!」 と、どや顔の藤村。褒めてもらいたいわんこのような顔だった。えらいえらい。 「というわけでぇ、ノーアニマな朝島君は就職のハードルが高くてリクルートは来ていないのじゃ! 普通のサラリーマンでさえ、アニマが卵のままだと精神的に未成熟、アニマ持ちに比べて身体的に虚弱、同種のアニマ同士で会話ができないとハンデばっかり!」 いえーい、と教授は元気よくハイボールのグラスを突き出した。酔っ払いのテンションはわからん。 「きゃー、かわいそうかわいい」 「たべちゃいたい」 「おいしそう」 「先輩の先約は私っすー」 肉食系女子は更にわけがわからんかった。なんだ最後の。 「でも大丈夫。朝島は、うちに永久就職してくれたのじゃ!」 「先生それって、け、結婚――?!」 「実験対象として、うちのラボに永久就職じゃ! バリバリ実験して、一緒に学会に革命を起こそうな~!」 「いひゃいれす、先生」 うりうりーと、進藤教授に顔を擦り付けられる俺。半分遠い目である。思い返せば、実験の一環で眼底検査されたり、レーザー当てられたり、謎の薬飲まされたり色々あった。 しかし、眼棲生物学の権威である進藤先生に身を預けて数年、いまだに瞳のアニマの卵は孵らない。そろそろ! そろそろ結果を出したい! 俺は拳を力の限り握った。 「と、いうわけで、新メンバーを迎えた進藤研、満を持して発進じゃー! おのおの方、研究死ぬ気でガンバローね!」 「「「「「おおー!」」」」」 ゼミ生一同気勢を上げる。アニマを求める俺の最後の一年が始まった。 □□□ と、決意を新たにしたのが半月前。 ――そして今月、早々にうちの大学は滅んだ。これはひどい。 休講だらけの寂れたキャンパスには、眼を抑えつつティッシュ片手に研究室へ避難する生徒たち、そしてバイオハザードの対策に走り回る教授たち。 いや事は大学だけではない。 都内の地下鉄は運休し、それでも会社に通勤する人々ですら足取りもおぼつかず、よろよろと歩いている。座り込む人すら現れた。 その空を防災無線が響きわたっている。 『ただいま花粉警報発令中。アニマの暴走に注意し、市民の皆様はなるべく屋内に避難してください。繰り返します――』 4月、今世紀最大のバイオハザードが発生した。アニマの天敵『花粉症』である。 □□□ 進藤ゼミ、研究室。 後輩たちはこの騒動で軒並み自宅待機だ。 此処にいるのは這ってでも論文を書きたい俺と、呻いてでも研究発表のパワポを作りたい藤村だけである。 しかし、症状がひどすぎて動けないので、二人そろって机に撃沈していた。例のごとく二人とも花粉症だった。特に今年は非常事態宣言が出されるほど酷い。アニマ持ちにとっては地獄である。俺はせいぜい鼻水とくしゃみと目のかゆみが普段の100倍になったくらいだが。 「しぇんぱい、しぇんぱいはどうして平気なんれすか?」 眼をぐるぐるさせた藤村が、頭を押さえながら息も絶え絶えに尋ねる。ティッシュをたぐる手も弱弱しい。 さもありなん、藤村の瞳の中、巨大なハスキー犬が狂ったように吠え孟っていた。明らかに尋常ではない。 天敵たる花粉に、アニマが拒絶反応を起こしているのだ。 その吠え声が頭の中に残響を伴ってわんわんと響くらしい。アニマは情報を司る共生生物である。そのアニマの暴走は頭を掻きまわされるほどの混乱を生む。人によっては立ち上がれないほどめまいを引き起こすらしい。そして花粉症の有病率は4人に1人。都内は患者で死屍累々である(死んでいない)。現に都市機能は麻痺しつつあった。 藤村も例にもれず、すっかり涙目でぐったりしている。 一方で、俺の症状はそれに比べればずいぶん軽かった。 「いや、俺も平気ではないんだけど、ずずっ、卵のままだとアニマのアレルギー反応は起こらないらしい。くしゅっ。ふ、普通のアレルギーは起こるみたいだけど。べっくしゅ」 「しぇんぱい、アニマ持ちだと春になるたびにキツイですから、いっそ卵のままでいるって手もあるっすよ。わたひ、きつすぎて、もう、やら……」 そういってめそめそと泣く。藤村が可哀想でいたたまれなかった。 ……な、なんか気をそらした方がいいんだろうか。一発ギャグでもやれば少しは苦痛も忘れるか? いやでも……。 混乱した俺はずんずんと実験台の上の水槽に向かった。いくつか並んでいるそれぞれの水槽の中では、アフリカツメガエル、オオヒキガエル、ニホンヒキガエルが数匹ずつのんきに泳いでいる。 俺はニホンヒキガエルをむんずと掴むと、両手でカエルの手足をピーンとひっぱってまっすぐにし、その真っ白いおなかを自分の目に当てた。 「ほ、ほら、藤村見て見て。ヒキガエルひんやりシート~」 「……ははっ……」 お世辞にしてはおざなりすぎる笑いである。むしろ嘲笑? しかし、俺は気付いた。……一発芸にしてはこのヒキガエルひんやりシート、気持ちよくてなかなかいいんじゃないだろうか。なんか天才って感じ? 俺はなにか言いようのない興奮に包まれた。妙にヒキガエルから目が離せない。眼に押し当ててるので当たり前だが。 市販の目元ひんやりシートはアニマ持ち花粉症患者たちに根こそぎ買い占められている。在庫はゼロだ。一方でカエルはたくさんいるのだ。……いや、俺にはもうカエルしかいないかもしれない。 「藤村、コレ結構いいかもしれない。お前もやってみないか」 「せんぱい、ばかなこと言ってないで、さっさと論文書くっす。いくら花粉症でも締め切りは待ってくれないっすよ。下手すると地獄の大学事務部を敵に回すことになるっす」 そういって、藤村は突っ伏したままパソコンの電源を入れた。へろへろなのにパワポを造り始めるらしい。お前、頑張るなぁ……。 まぁ、冷酷無比の大学事務は確かに怖い。 俺も自分のパソコンに電源を入れ――、ようとしてはたりと気づいた。 「どうしよう、藤村。カエルひんやりシートは両手使うから、電源入れられないや」 「おばかなこと言ってないで、カエルさんを水槽に戻してあげるっすー!」 そんな殺生な! 俺のカエルひんやりシートが! □□□ 必死に論文を読み込んでいたら、夜になっていた。 藤村は床に敷いた寝袋にくるまって眠っている。結局、花粉症がひどすぎてろくに進まなかったようだ。それでも藤村が切り上げて家に帰らなかったのは、ひとえに帰っても一人暮らしで不安だったからに他ならない。アニマの暴走で死んだ例はないとはいえ、不調も長々と続けば気弱にもなるだろう。いくら頼りないとはいえ、俺がそばにいれば安心するというならいくらでも付き合うつもりだった。 と、俺は目にカエルひんやりシート(ナマモノ)を当てながらうんうん頷いた。 藤村は「せんぱいがお馬鹿なことやってるもんで、なんかもうアニマが暴走したくらいでいちいち悩んでいるのが馬鹿らしくなってきたっす」と、半笑いで遠い目をしていた。はァン? これがツンデレ? しかし、カエルひんやりシートはいい。 あんまり同じ個体ばかり当てていると、カエルも弱るので、次はアフリカツメガエルにしてみた。このむっちり感がたまらなくエクセレント! カエルミシュランの一つ星に認定したいくらいだ。喰わないけど。 ……そんな感じで、俺は朝までなめらかなカエルのお腹の感触を楽しみ、研究室にも朝日が差し、 ――俺のアニマが爆誕した。なんでや……。 □□□ 異変に気付いたのは、頭の中で『シュージャヤ!!』という、空気を裂くような音が聞こえたからだ。 いつのまにか机によだれ垂らして寝ていた俺は、その音で跳ね起きた。 最初は藤村のハスキー犬の鳴き声かと思った。 とっさに藤村に目をやるも、藤村はまだ寝ていた。いや、そもそもこれはハスキー犬の吠え声とは似ても似つかない。じゃあこの声は一体? 考えてる暇はなかった。異変は藤村にも起きていた。 寝袋からはみ出た藤村の肩の部分が石に覆われつつあったのだ。 「?! ふ、藤村、起きろ! お前なんか変だぞ!」 俺は跪いて藤村を抱き起し、揺さぶった。藤村のまぶたが震える。 「ふぁい?」 「ふぁい、じゃない! ああ、もう頬っぺたまで石になってるぞ!」 急いで、藤村の頬を擦るとバラバラと石の欠片が落ちてきた。しかし、擦り落としても落としても、際限なく石に覆われつつある。無限に再生する鱗のようだった。 その欠片を目にした藤村が、跳ねる勢いで寝袋から飛びあがった。 「?! 先輩顔伏せるっす!」 「は?! 何を?! お前このままだと石n」 「いいから私を見ちゃダメっす!」 「そんなこと言ってる場合か!」 言い合いをしている間に頬どころか首も、足も、……視線を這わせる先からどんどん石化していく! 早く石を落とさないと! 「ああもう!」 らちが明かないと思ったのか、いらだたし気に藤村が服を脱いだ。 「!!? おま、……!」 とっさに顔を伏せる。しまった、これじゃ藤村の思うつぼだ。 「いいっすか、先輩。絶対こっちを見ちゃダメっすよ。……私は大丈夫っすから」 そう言って、立ち上がった藤村は自力で石を剝がしたようだった。 藤村の言うとおり床に視線を伏せていると、上からバラバラと石の欠片が当たって跳ねた。混乱で心臓がバクバクする。 「……なぁ、藤村?」 「先輩、フリーズっすよ。そのまま動かないでそこにいるっす。私はちょっと、この異変を落ち着かせる道具持ってくるので」 何が起こっているのかわからない自分が情けない。遠ざかるヒタヒタとした足跡を聞きながら、俺は膝をついたまま途方に暮れていた。 ――しばらくして、藤村が戻ってきたようだ。 「先輩顔上げていいっすよ。ゆっくりとね」 恐る恐る顔を上げた途端、透明な何かを目にかぶせられた。とっさに引き剥がそうとするも、ぎゅっと押し付けられる。 「大丈夫っす。ただの眼鏡っすから」 ゆっくりとなだめるように言われて、手を下ろす。 瞬きして視線を上げると、掛けさせられた眼鏡の向こう、上半身はブラ1枚だけ身に着けた藤村がホッとしたように笑っていた。 「藤村、一体何が……」 藤村は複雑そうに笑った。 「おめでとうっす、先輩。……いや、ご愁傷様っすかね。先輩のアニマが孵ったのはいいんですけど、これは厄介極まりないアニマっすよ。私が石化したのも、先輩のアニマによるものっす」 「なんの、アニマなんだよ」 呆然と聞き返した俺に、藤村は慰めるように告げた。 「大いなる幻想種、猛毒たる蛇の王、――魔眼バジリスクっす」 レンズに微かに反射した、俺の瞳の中。 ……そこには、卵の殻を腹で踏みつけて毒気を吐いている、一匹の巨大なトカゲがいた。 □□□ ファンタジーすぎる事態に思考が停止する。 「なん? 幻想種? バジリスク……?」 俺の目の中で暴れてるトカゲがバジリスク……? 藤村は、固まる俺をよそに滔々と説明しだした。 「そうっす、バジリスクは『雄鶏が生んだ卵をヒキガエルが温める』ことで孵るっす。昨日先輩がカエルひんやりシートとか言って、カエルの腹を目に当ててたっすよね。多分それで孵ったんです」 うそだろ、ただの一発芸で、22年間うんともすんともいわなかった卵が孵るのかよ? バジリスクが云々より、むしろそっちの方がショックだった。因みにアニマがバジリスクだってのは割と納得した。だってよくよく思い出してみたら、俺が見た場所から藤村が石になっていったんだし……。ちなみにバジリスクの邪眼はガラスを通りぬけることができないらしい。藤村が持ってきた眼鏡は邪眼封じのためだったようだ。 「ちなみに幻想種ってのは、現代では伝説や伝承にのみ存在が確認された生き物の総称っすよ。竜とかヒポグリフとか、日本だと鵺とか天狗とか……。バジリスクも幻想種で、その魔眼で万物を石化させる怪物っす」 幻想種か……。さらっと言ってるが、それはかなりの新事実じゃないか? 「アニマは、『実在する動物』しかいないってのが通説だったと思ってたよ」 「逆に考えるっすよ。伝承になるほどの大昔には実在していて現在では絶滅したけど、アニマとして人間の眼の中に生き続けていたってことっす。奇跡のような確率で先祖返りして幻想種のアニマが現れることがあって」 「く、詳しいな。しかし、そんなとんでもない学説、どの概論にもなかったぞ」 眼棲生物学の学徒として、これまで積み上げてきた知識が疑問を呈する。 藤村はこともなげに肩をすくめてあっさりと言った。 「そりゃあ、私たちは実験動物になりたくないっすからね。幻想種の共同機関『モルディア』の力で世の中には秘匿されてるっす」 なんだそのファンタジックな組織は。いやそれよりも……。 「ん……? わたしたち」 「私も幻想種のアニマ持ちっすから。下位の土着幻想種、人狼っす。よろしく」 藤村が顔を近づける。いつも見慣れている、その瞳の中の巨大なハスキー犬が急に立ち上がった。――危なげなく二本足で! まるっきりの狼人間だった。しかもかなり背が高い! いっつも寝そべってたのは、その狼人間の体躯を隠すためだったのか! 「ひえー!」 「天狗を見た農民みたいな反応っすね」 藤村は不満げだ。 「だって、こいつ花粉症で狂暴化してるんだもん! めっちゃ牙むき出しで唸ってますけど!」 「あー、症状忘れてました。う、急にめまいがしてきたっす……」 この騒動でまぎれてた症状がぶり返したのか、藤村はへたり込んだ。俺もなんか頭痛くなってきた。脳内でシューシューとバジリスクの唸り声が聞こえる。アニマ持ちの花粉症の症状ってこれか。とにかく酷いぐだぐだである……。 「と、とにかく先輩にはルーマニアに来てもらうっす。『モルディア』の本部で、幻想種の正体隠しながら生きていく方法を学んでもらわなきゃ」 「うん、もうどうにでもしてくれ……」 徹夜の疲れと今朝の騒動で二人共床に伸びて、死屍累々である。 藤村はもそもそと先ほど脱いだ上着を手繰り寄せ、なんとか着込んだ。さすがにブラ一枚は風邪ひくからな……(そこじゃない) 「うー、と、とにかく、進藤教授には気を付けるっすよ。私はルーマニアの『モルディア』から進藤教授を監視するために派遣されてきたんすけど、教授は幻想種のことに気付きつつあるっす」 「気付かれるとどうなるん?」 「うむ、これまで以上の人体実験じゃな! 知識の巨人もご照覧あれ! 私が築く新たなる知識の新天地を!」 新たに割って入った第三者の声。俺たちは弾かれたように飛び上がり、研究室の入り口を振り返った。 「はろー、夢のような実験動物たち。内緒話はもう少し小声でするもんじゃぞ☆」 そこにはやたらとキラキラ目でウィンクする、……進藤教授が仁王立ちしていた。 □□□ 「きょ、教授、どうしてここに?!」 俺が叫ぶと、進藤教授は白衣の上からでもわかるたわわな胸を張って答えた。 「お主らの校内宿泊届を受理したのはわしじゃぞ。監督義務はわしにある! ……というのは建前で、不純異性交遊の気配を感じたので張っていたのじゃが」 「出歯亀かよ!」 「失礼な、わしのアニマはミドリニシキヘビじゃ! こんな美しい鱗をあんなしわしわの亀と一緒にしてもらっては困る!」 「問題はそこじゃないっす! ……いくら教授とはいえ、私たちはおとなしく研究されるつもりはないっすからね!」 にらみつける藤村に対して、教授はニヤリと笑った。 「それはどうかのう。実は先ほど環境庁と文部科学省に通報したのじゃ。『危険なバジリスクのアニマが大学に出没した。大至急捕獲を要請する』、とな。連中も半信半疑だったようじゃが、先ほど盗撮した石化しかけた藤村の動画を送ったら、機動隊を派遣してくれるそうじゃ。連中が到着するよりも、今降参する方が利口じゃぞ?」 「なっ……!」 思わず息を吞む。藤村も目を見開いて突然湧いてきた危機に言葉もないようだった。俺は思わず叫んだ。 「かわいい生徒を危険生物扱いしやがって。あんたに情けはないのかよ!」 「無論ある! が、知識欲の前には人情など儚いものなのじゃ……。安心せい、わしはアニマ学の権威じゃからな。研究の主任はわしに任せられると思う。多分。いつも大学でお主にやってることと同じイタクナーイ実験じゃ。……多分!」 「多分ばっかりじゃねぇか! 安心できねぇよ!」 分かってはいたが、酷い教授である。人間じゃねぇ。 「藤村、どうする?! こうなったらとっとと逃げるのが吉だと思うんだけど!」 振り向くと、藤村は緩く首を振った。えらく目が座っている。 「……二人だけじゃどこまで逃げられるか怪しいものっす。なら先輩、ここは徹底して大学に籠城しましょう。『モルディア』に救援依頼して助けを待つっす」 なぜか教授が嬉しそうに笑った。 「おお、それはいい。『モルディア』とやらの実験動物たちが自ら飛び込んでくるというわけじゃな! よろしい。我々研究者はもろ手広げて歓迎しようぞ!」 意気揚々と教授がはしゃぐ。どうしよう籠城なんて教授の言うように逆効果な気がしてならない。 「藤村、それは……」 「大丈夫、さすがに無策じゃないっす。ここはアニマの権威にご協力頂きましょう。通報者が私たちの仲間になれば、情報の攪乱ぐらいはできると思うっすから」 「ほほう、わしを仲間に!? できるわけがなかろう!? わしはお主たちを研究できるので心躍っているというに、わざわざ逃がすなんて真似をすると思うか?」 勝ち誇る教授を、藤村はキッと睨みつけた。 「思うっすよ! いえ、させてみせるっす!」 そういい捨てると、藤村は俺に振り向いて言った。 「さぁ先輩、進藤教授に命令するっす! 『蛇の王』たるバジリスクの威光の前に、教授をひれ伏させてやるっす!」 「えええええー!」 そんな恐ろしいことできるとか聞いてないんですけどォ! □□□ 結論から言うと成功した。 いや違うんだ……俺はただ「わが身を挺して生徒を守る素晴らしい教授になってください!(やけくそ)」って言っただけなんだ……。そしたら……。 「私はきれいなしんどうきょうじゅ。あいすべき生徒を守るのが私のしめい」 綺麗なジャイアンかよお前! しかもなんかキラキラしてるんですけど。大丈夫かコレ……? 洗脳レベルじゃない? 「なんという事でしょう……。あんなに知識欲に汚かった進藤教授が美しい博愛精神に目覚めた教授に生まれ変わりましたっす……」 あれだけけしかけた藤村もドン引きする生まれ変わり具合だった。 「いやー、『バジリスクはあらゆる蛇の頂点に立つ』っていう伝承があるから、先輩が命令すれば蛇のアニマを持つ教授に効くんじゃないかと思って賭けてみたんすけど……想像以上っすね」 しみじみと藤村がつぶやく。賭けだったんかい。 「まぁ、これで教授が協力者になってくれたんですけど……。結局機動隊の要請は阻止できなかったっすね」 そうだった。通報者の進藤教授自身が電話で『あれは生徒がCGで作ったいたずら動画だった。機動隊は必要ない』と説明しても、実際に確かめなければ命令は解除できない、と押し切られてしまった。まぁ、教授が人質に取られて言わされていると思われているのかもしれない。……事実、当たらずとも遠からずだった。 「『モルディア日本支部』への連絡はつきました。やはり、救援がたどり着くまで籠城してほしいらしいっす。下手に逃げて騒ぎになると後始末が大変っすから」 「後始末……?」 「目撃者の記憶消して回ったり、映像画像の流出を防いだり、……まぁ色々っす」 メン・イン・ブラックみたいな組織だった。まぁ、幻想種のアニマってある意味宇宙人みたいなものか……。夢が壊れそうだ。 「で、籠城の作戦なんすけど、教授と先輩、何か意見はあるっすか?」 カタカタとロボットじみた動きで進藤教授が答える。 「ソウデスネ。現在、広域性大規模花粉症が発生しているので、都市部の機能は麻痺状態デス。優先度から言っても、治安維持のため人員がそちらに割かれる可能性が高く、機動隊とはいっても、未確定な情報のために本校に対して大規模派遣はないと考えられます」 やだ、敬語の教授とか怖すぎる……。俺は震えながら右手を小さく挙げた。 「あの、普段の口調で喋ってください。罪悪感が半端ないので……」 教授はカッと目を見開いた。 「ちゃちい機動隊なぞ、わしの敵ではないわ!」 「口調戻りすぎィ! あと教授の戦闘力どんだけだよ!」 思わず突っ込んでしまったが、俺は悪くない。藤村は咳払いした。 「まぁまぁ。で、教授はどうするべきだと思うっすか」 「問題は、自宅待機勢が多すぎて、現在大学に残ってる学生・教員が少なすぎることじゃな。人を隠すには人混みが最適なんじゃが、こんなスカスカな人員密度ではすぐに見つかってしまう。もっと大学に人を集めて混乱させなければ時間は稼げぬ」 「つまり……?」 「自宅待機勢を呼び戻す。上手くいけば通学途中に渋滞でも引き起こして機動隊の進路を阻害することもできるじゃろ。なに、SNSと発煙筒とスプリンクラーを動かすだけでできる簡単な策じゃ。わしの手並みをとくとご覧あれ」 そういって、進藤教授はウィンクした。……やけに様になってる。 俺と藤村はそろって顔を見合わせた。 「なんか口調も相まって、教授が戦国時代の軍師みたいに見えてきた……」 「意外な才能っすね。いやこれでも、大学一の頭脳なんである意味ぴったりっすけど……」 「何をぼさっとしておる。まずは大学の連絡網を動かすぞ。無論SNSもじゃ。ああ、楽しくなってきたわい」 わくわくしている教授にせかされて、慌ててスマホを取り出す。スプリンクラーと発煙筒とSNSでいったい何をするつもりなんだろう。 なにか言いようのない一抹の不安が胸にこみあげてきたが、予想外に多い全校生徒リストに頭痛がしてすっかり忘れてしまった。 まさかあんなことになるとは……。 □□□ 全校生徒に一斉メールで送信した内容は、以下のとおりである。 『進藤教授が研究がうまくいかずに錯乱して、学校中に火を放つと宣言しています! 学校に置いているパソコンや参考資料、実験ファイル、実験動物が焼却される恐れがあります。至急大学に来て資料を安全な場所に運び出してください!』 と同時に、シーツで作った松明をガスバーナーに近づける進藤教授の動画も添付した。ノリノリで変なお面を被り、踊り狂っているので、どこかの怪しいの部族のようである……。 無論、振りだ。本当に燃やすわけではない。が、本気だと思わせちゃうのが進藤教授なのである。 ……効果は、5分と立たずに現れた。 三階の講義室から見下ろすと学内の駐車場にドリフトをキメつつ滑り込む車が十数台。下手すると玉突き事故になりそうなど慌てているのがまるわかりである。道路にも続々と車が連なっていた。キャンパス内に駆け込む人々は必死の形相で、世紀末のハルマゲドンから大事なものを救い出しに来ましたといわんばかりだった。 「……わぁお」 「教授の日頃の行いが分かるってもんっすね……。完全に、あの教授なら放火魔もありうる! って思われてるっす」 教授は脚立を使って教室の壁掛け時計に発煙装置を括りつけながら、こともなげに言った。 「何をいまさら。それに、イカレてるのはわしだけじゃないわい。ここは人体実験を目こぼしするような大学じゃぞ? 所属研究者全員クレイジーに決まっておる。学生も教職員も事務も例外なくじゃ」 「大きく括られた上に滅茶苦茶偏見っすけど、その中でも教授は頭一つクレイジーさがとびぬけてる思うっすよ!」 藤村のツッコミに、教授はふふんとなぜか得意げに笑い、ひょいっと脚立から飛び降りた。 「さぁ、発煙装置を全部で10ヵ所設置できた。朝島よ、次のメールを送るのじゃ」 「あいあいさぁー」 さて、そろそろ機動隊が到着してもおかしくない。 ……というか消防車まで来るんじゃないか。大丈夫かこれ。『モルディア』は騒ぎにならないようにって言ってたのに事態はどんどん大騒動に向かっているようだった。 いろいろ思わずにはいられなかったが、俺も必死である。 このメール送ったら、さらにカオスになるとわかっている。 が、それがどうした。もっと混乱させて『モルディア』が来るまで時間を稼がないと。こちとら身の安全がかかってるんだ。……大丈夫、いざとなったら教授が暴走する前に止めるから! でもまだ今は暴走までいってないと思うから! 多分! ということで、俺は送信ボタンを押した。ぽちっとな☆ ……学校中から悲鳴がこだました。 □□□ なぜか大学周辺に突如湧いた交通渋滞。 それらを突破するだけでも大変だったのに、やっとキャンパスにたどり着いた機動隊は更に戦慄した。 大学事務部を通して校内に避難指示を出しているのに、キャンパス内は学生や教授で溢れかえっている。それぞれが研究室に飛び込み、出てくるときにはたくさんの資料を両手にあふれさせ運び出していた。彼らの形相は必死で、まるで火事場に閉じ込められた子供を助け出すために火の中に飛び込む親のようである。 少なくとも通報にあった危険生物の存在など意識の外にあるようだ。 バジリスクを捕まえに来たはずなのに、何か別の事態がおきているのだろうか。 機動隊の隊長は機動隊を迎えにきたこれまた慌てた様子の事務員に事情を尋ねた。 「ちゃんと、危険生物の話と避難案内は構内アナウンスしたんです! ですが、聞いた人たちは全部進藤教授の錯乱の末のでたらめと判断したようです。それに、肝心の進藤教授からは発煙筒を構内に仕掛けたってメールが届いて……! 皆、実験データを避難させるためにてんてこまいで、避難指示に従ってくれません!」 「お、落ち着いてください。ただの発煙筒でしょう? 発火装置ならともかく、煙でものが燃えることはありません。不審物は我々に任せて安全な場所に避難するように再度アナウンスしてください」 事務員はぶんぶんと首を振った。 「うちのスプリンクラーは煙感知タイプなんです! これどういうことかわかりますか?!」 「まぁ、……発煙筒の煙でも水が出ますな」 「そうなんです! つまり、スプリンクラーの水で、各研究室の実験用パソコンからコンピューター室のパソコンからプロジェクターやら、電子黒板やら、数億円の電子顕微鏡やら貴重な書籍やら……全部水没してしまうんです! しかも連動式だから、一ヵ所煙が上がると、各研究室、講義室のスプリンクラーが一斉に作動し……バックアップを取っている、さ、サーバー室までお釈迦に……」 がくがくと震え始める事務員。復旧までの困難を考えて顔色が蒼くなっている。 (なるほど、データの避難でこうも混乱しているわけか。おそらく計画的な誘導だ。しかし、バジリスクを通報した教授は、一体何が目的でこんな行動を起こしたんだ? なぜ助けに来た機動隊を邪魔する?) 隊長は考えてみるものの、答えはわからなかった。 当たり前だ。まさか教授がバジリスクの洗脳ぱわーで綺麗な教授に生まれ変わり、バジリスクの味方についたなんて、神様だって思いやしない。 悩んだ末、隊長は人員を三班に分けることにした。避難を誘導する班、自称発煙筒の不審物を探す班、もう一つはバジリスク及び教授の捕獲班である。しかし、本命は教授の捕獲だ。 (本人とっ捕まえて事情を聴くしかない。ともすると、事務員の彼が言うとおりに、本当に教授が錯乱しているだけかもしれない。バジリスク云々も出まかせの可能性が高いな……) 方針が決まりキビキビと動く機動隊。 隊長はそっと校舎を見上げた。花粉で黄色い空を背景にした、やたらと威圧感のある学び舎。 ……得体のしれないものの伏魔殿に見えてくるのは、果たして気のせいだろうか。 □□□ 一方、三階から見下ろす進藤教授。伏魔殿の主である。 機動隊の隊列を見て、その意図を察したらしい。 「ふふん、機動隊といえど所詮若造の集まりじゃな。わしの策に嵌りよったわい。向こうが隊を三つに分けたとくれば、こちらの取る手は各個撃破じゃな。ゲリラ戦じゃゲリラ戦! ふふん、避難民の中に、わし選りすぐりの手下がおるとは思いもすまい。単位やら就職先やら世話した貸しをここで返してもらおうかの!」 滅茶苦茶楽しそうな教授である。うけけけと奇妙な笑い声がした。あれ、俺たち一体なんで戦ってるんだっけ……。 「の、乗り込んできますけど、いいんですか?」 「おう、お主らはとっとと逃げよ。ここはわしが引き受ける。派手にイカれたふりして敵をひきつけ、せいぜい哀れっぽくとっ捕まってやるわい。そうすりゃ、バジリスク云々もイカレたわしの虚言として誰も信用せんからな」 「でもそれじゃ教授が……」 「なに、全てはわしの自分勝手な功名心から始まったこと。可愛い生徒を文科省の手に引き渡し、あまつさえ自らの手で生徒の人体実験を行おうとは……。全く惨いことをしようとしたものじゃ」 悔やむように窓の外遠くを見つめる進藤教授。 俺と藤村は顔を見合わせた。 ……全くその通りである。反論の余地なし! 教授はマッドサイエンティスト! 終わりっ! 以上! 閉廷! ……いや、俺だってお義理でも『そんなことはありませんよ!』といいたいんだよ。だが有り余るほどの過去のあれこれがよみがえり、ン゛ン゛ッと言葉を濁す羽目になった。いや、今思えば幻想種と判明していない時だからアレで済んだのだ。 幻想種と判明した今となっては、もし俺の命令で綺麗な教授になってなかった場合、多分今頃実験台に括りつけられて数百倍はすごいことになっていただろうな、……とこちらも遠い目になる。 □□□ しばらくそれぞれの感傷に浸っていた俺たち。あえて口にしないが、お互いの温度差は凄まじいものがあったと思う。 満足したのか、窓の外を眺めていた教授がくるりと振り向いた。 が、次に教授がとった行動はずいぶん暴力的である。突然講義室の入り口に突進すると、何もない空間を棒でぶん殴ったのだ。目には見えないが、ぱこんと何かが殴られた音がした。 「なにしてるんっすか?!」 藤村が驚いて突っ込む。俺はあんまりな光景に口をあんぐりと開けた。教授が吠える。 「花粉症で鼻が鈍ったか、藤村! 侵入者じゃ! 人狼の鼻は騙せても、わしのアニマのピット器官は騙せなかったようじゃの!」 ピット器官と言えば、ヘビのもつ赤外線感知器である。おそらく教授のアニマの能力だ。それが透明な生き物を感知した? 教授はそいつを殴ってるのか? 教授が片手で床を指さした。 「朝島、ぼさっとしとらんで眼鏡をはずして奴の足元を見るのじゃ。石化させろ!」 俺は慌てて眼鏡をはずし、教授に示された場所を凝視する。 目の裏が熱くなり、頭の中のバジリスクの威嚇音がひときわ大きく響き渡った。 視線の先で、透明人間の脚がビシリと綺麗な模様の白い石で覆われていく。……大理石だ。あれ、藤村の時は砂岩だったような。 もしかして、石の種類を変えられるかもしれない。 ためしに、黒曜石になれと念じてみたら、見事に光沢のある黒い岩で覆われていく。なんだか楽しくなってきた。次は緑柱石にしよう。 足の甲、脛、膝がしら、太もも……腰までカラフルに石化したところでとうとう耐えかねたのか、透明人間が叫んだ。 「待て待て、『モルディア』の者だ! 味方だよ! あとバジリスク野郎、遊んでんじゃねぇ!」 諦めたのか透明人間が透明化を解除した。 降参されちゃ仕方ない。俺も眼鏡をかけなおした。石化が止まる。 現れたのは、どこにでもいそうなおっさんである。スーツ姿なのは大学事務員に偽装するためだろうか。 「後始末に来たっていうのに、なんだこの大騒ぎは! 俺の仕事、現在進行形で指数速度的に増えてんじゃねえか……!」 おっさんは、頭を掻きむしって嘆いた。さもありなん、これをどうにかしろってのは無茶ぶりってレベルじゃないよな……。 「いきなり出てきて、やかましいわ!」 教授だけは平常運転だ。やめてさしあげて……! 藤村は慌てて駆け寄って、おっさんにまとわりついた石をバラバラと剥がす手伝いをしている。 「ああああ、すみませんっす! サルガタナスさんっすよね! 来てくれて助かったっす」 全くだよ、と言いたげにおっさんは憤然としている。 しかし、変な名前だ。 「サル型ナス? サルなの? ナスなの?」 我慢できずに口をはさんだ俺に、くわっと藤村がかみついた。 「サルガタナスさんっす! アニマが『サルガタナス』って悪魔で、他人をテレポート・透明化させたり、人の記憶を消したりできるすんごい能力をもってるっす! 事態収拾にはこれ以上ない助っ人っすよ! 失礼なこと言わないの!」 す、すんません。でもマジか! 俺と藤村をテレポートして自宅に送ってもらえば、学校で石化騒動起こしたなんて事実と矛盾させられる。アリバイ成立! 一瞬で話が終わってしまうな。まだページ数あるのに! 俺がうれしさと残念さを半々にした、奇妙な表情をしているのをみてサルガタナス(略してサル)さんは深々とため息を吐いた。 「こんなろくでもないガキのために動くのヤダなー……。しかもこっちの教授は、会うの二度目……いやなんでもない」 ……教授が不可解そうな顔をしている。思い出せないらしい。サルさんの能力から察するに一度記憶を消されているのか。何やったんだこの人。 「え、わし、記憶消されてる? 手帳に走り書きしてあった見覚えのない謎のメモって、まさかその時のか……?」 「何書いてあったんですか?」 「『アニマのアニマ』と一言だけ」 『アニマのアニマ』? なんだろう。百獣の王みたいな、アニマのの中のアニマの王みたいなものか? 気にしていると、サルさんが手をパンパンと打ち鳴らした。 「はいはい、どうせ思い出せないんだから今に集中しろ。とりあえず、元凶のバジリスク野郎と人狼の嬢ちゃんをそれぞれの自宅にテレポートさせる。いいか、ずっと自宅にいたことにしろよ。学校で見たバジリスク云々ってのは、この教授の妄想ってことにしてつじつま合わせるから」 うーん、教授が可哀相な気もするけど……。気の進まない顔をしていると、サルさんはめんどくさそうな顔をした。 「俺透明人間化しながら、あちこちの話盗み聞きしてきたんだがな、どいつもこいつも『進藤教授ならありうる!』とか『いつもの!』とかこの教授のやらかしってことには異論はないみたいだぞ。つまり、いつもこんだけやらかしている人間なのに辞めさせられていないってなら、毎回許されてるんだ。今回もそうだ。処分もそう酷いことにはならないし、教授も覚悟の上だろ。……だから今は自分達のことだけ考えろ」 それでも煮え切らない態度でちらりと教授を見ると、……サルさんを前に大変好奇心の溢れる顔をしてらっしゃった。あれは絶対サルさんをどう料理しようか考えてる顔だ! ゼミ生の俺はにわかる。多分、脳内で実験している! おお、よだれまで……、怖ッ! ……なんというか教授はなにがあっても教授だった。心配するのがあほらしくなるほどに。 俺はキリッとしてサルさんに言った。 「わかりました。後はお願いします」 そう丁寧にお願いしたのに。 サルさんは突然凶悪なツラになった。すさまじい目つきである。 『わかりゃあいいんだよ。チッ、手間ァかけさせやがって。今楽にしてヤるから、あの世で仲良く反省会でもするんだな!』 「え、俺ら殺されるんですか?!」 思わず口を挟むと、サルさんはきょとんと真顔になった。 「いや、これテレポートの呪文」 「ファッ!」 さ、さすが悪魔のアニマ。呪文すら凶悪である。チンピラ風だが。 『……大体なんだァ、反抗的な目しやがって。悪魔舐めてんじゃねえぞゴラァ!』 「アッ、呪文続くんですね……」 なげぇな、おい。 そんなぐだぐだやっていたのが悪かったんだろう……。 足元にカンカンカン……と何かが転がってきた。 突然のことに全員の目が吸い寄せられる。 ……ん、ボンベ? しばしの沈黙の後、ソレは真っ白い煙を噴き出した。 あっという間に周囲が見えなくなる。 (え、え? ……ッ?!!) 煙に包まれ困惑する間もなく、目と鼻に強い刺激! ただでさえ花粉症で苦しいというのに、その数倍の痛みが襲う。 涙、せき、くしゃみが止まらず、息も絶え絶えに引きつるような呼吸を繰り返した。 「グシュン、煙を吸うな! これは催涙ガスじゃ……! へっぷし!」 くぐもった教授の声が聞こえてきた。それもすぐに苦悶する声に変わる。藤村とサルさんのうめき声も耳に響いた。 俺も立っていられず、床に崩れ落ちる。 開かない目が痛くて痛くて、顔を覆う。眼鏡はとうに吹っ飛んでいた。 (一体誰がこんなことを?!) 答えは統制の行き届いた足音でわかった。 講義室の外から、たくさんの人が駆け込んでくる。 機動隊が突入してきたのだ――! □□□ 「ぐっ……」 と、サルさんの唸り声が近くから聞こえた。 痛む目をすがめて確認すると、床でうめくサルさんをガスマスクをつけた機動隊員が足でひっくり返していた。顔を確認しているようだ。 「……こいつも『朝島始』じゃないな」 ……どうやら、俺を探しているらしい。その手には黒光りする銃。 心臓がぎゅうっと引き絞られるように痛んだ。バジリスクは危険生物に他ならない。今見つかれば、研究所送りか最悪殺されるだろうか。――嫌だ。死にたくない……! 何か、なにか切り抜ける方法はないか?! できることなら、俺がバジリスクではなく、ただの普通のアニマ持ちに認識される方法は……! 足音が近づいてきた。 全身がこわばり、痛みも辛さも遠ざかる。身体は熱いのに、冷や汗がこめかみを伝う。 気が遠くなる……。 頭は暴走し、ランダムで記憶を映し出した。 『石の種類を変え石化させる能力をもつバジリスク』 記憶を消された教授の、謎のメモ『アニマのアニマ』 そう、『瞳の中のアニマ』 脳裏のバジリスクが、切り裂くような鳴き声を上げた。 (このまま諦めたくない――!) 目の裏が熱くなる。破れかぶれの一手だ。 (くそッ、覚悟を決めろ。石化、させてやる――!) ――腕を掴まれ、引きづり出される。 視界にガスマスク姿の機動隊員が映った。 俺の顔を見て、プラスチックのマスクの向こう機動隊員の驚く表情が見える。その口から緊張を孕んだ鋭い声が上がった。 「『朝島始』、発見!」 □□□ そう叫んだっきり、俺の胸倉をつかんだ隊員は静止した。 「何をしている?! そいつの目を布で覆え! バジリスクは『見たものを石化させる』んだぞ!」 隊長の声の届いているはずなのに、隊員はまじまじと俺の眼を覗き込んでいる。 しばらくして、呆然とつぶやいた。 「いや、隊長……。こいつのアニマは、『ニワトリ』です。バジリスクじゃありません……。現に俺は、こいつと目が合っているのに石化していない……」 「何ッ!」と、声がして、俺の身体は体当たりするように横合いから引っ張られた。 今度はガスマスク越しに、渋い顔のおっさんが顔を近づけてきた。こいつが隊長か。 俺は痛みをこらえて、へらっと笑いかけた。 「ば、バジリスクって何のことっすかね? 俺のアニマは生まれたときから『ニワトリ』でしたよ……?」 ガスマスク越しに俺のアニマをその眼で確認した隊長が、愕然と目を見開いた。 俺は安堵した。成功だ。 ガスマスクに反射して映った俺の眼の中には、『ニワトリ』がすました顔をして小首を傾げていたからだ。 □□□ 機動隊は撤退した。 いくら探しても、バジリスクがいないんだからしょうがない。 サルさんは機動隊員の記憶も操作するといって、透明化しながら彼らに着いて行った。まぁプロだし任せればいいか……。 あれから水道水でガンガン目を洗い、痛みも治まってきたところで俺たちはようやく人心地着いた。 今は進藤研の研究室。俺も教授も藤村も、テーブルに突っ伏してぐたあっとしている。死屍累々だ……。 「先輩のアニマがニワトリって……。一体、バジリスクはどこにいったんすか?」 藤村がテーブル越しにずりずりと近づき、俺の眼を覗き込んでいう。藤村の眼にはニワトリが映っていることだろう。 “拡大された”ニワトリが。 「あ~バジリスクもいるよ。ほら」 俺は眼球から“蛍石のコンタクトレンズ”を外して、自分の腕を見た。見る見るうちに腕が岩でおおわれる。バジリスクの石化能力だ。つまり“バジリスクもまだ眼にいる”。 唖然とする藤村。俺は雑に腕を振って、岩を落とした。 「機動隊員が俺の眼をみる直前、とっさにバジリスクの石化能力で“眼に蛍石のコンタクトレンズ”を作ったんだ。蛍石は顕微鏡のレンズとしても使われている。つまり――」 そのあとを教授が引き継いだ。 「なるほど、バジリスクの瞳を拡大して見つけた、バジリスク自身のアニマがニワトリじゃったわけなじゃな。機動隊員は蛍石のレンズでバジリスクの眼を拡大して見たことに気付かず、見えたニワトリを朝島のアニマと誤解したと……」 さすが教授。話が早い。 「教授の謎のメモがヒントだったんです。『アニマのアニマ』って、教授はアニマの瞳の中に、更に別のアニマがいるって知ってたんですね」 俺の問いに教授は胸を張って、堂々と宣言した。 「知らん! なにせ記憶を消されてるんじゃからな! ていうか、今現在アニマの眼球を覗き込めるほど精密な顕微鏡は出来とらんからな。多分記憶を消される前のわしも、いればいいなぁくらいにしか考えてなかったと思うわ。しかし、バジリスクの能力前提の破れかぶれの一手とはいえ、さすが我が弟子じゃな! 褒めて遣わす!」 あのメモ願望だったんかい。教授の知見に賭けた俺の立場は?! 藤村が小首を傾げる。 「じゃあ、石化しなかったのは……?」 「蛍石はガラスの一種なんだ。“邪眼はガラス越しだと発動しない”からな」 おお、なるほどと藤村が感嘆の声を上げた。……と思いきや残念そうに眉を下げる。ど、どうした? 「……てことは、先輩。ルーマニアの『モルディア』の本部にいかないってことっすよね。幻想種の正体隠しながら生きていく方法、自力でみつけちゃったんだし……」 俺は苦笑して首を緩く振った。 「いや、俺も幻想種の事をもっと知りたいし、もしかすると今回の経験とバジリスクの能力がほかの幻想種の役に立つかもしれない。よければ本部にも協力させてほしいな」 それを聞いて、藤村はぱあっと顔を明るくした。ぐっと手を握られる。 「もうぜひ来てほしいっす! 本部は私の第二の故郷っすからね。私が案内するっすよ!」 よほど嬉しかったのか、俺の手を握ったままぴょんぴょん跳ねる。なんか可愛いな。 それを聞いて黙ってられなかったのか、教授も意気込んで身を乗り出してきた。 「わしもいくぞ! このわしが幻想種の研究なんてよだれがでるテーマ、見逃す理由があろうか、いやない!」 「きょ、教授はダメっす! 先輩を人体実験に使われちゃたまらないっすからね!」 身を乗り出す教授に対して、藤村は俺を庇うように立ちはだかった。 「いや、わしはもう大事な生徒を傷つける気はない。これでもいろいろ反省したのじゃ」 教授は悟ったように遠い目をした。……俺の命令はまだ有効なのか。それとも本当に改心したのかもしれない。 「これからは、実験体にイタクナイデスカーと訊きながらやるぞ! 人道的な実験じゃ。歯医者のように!」 あ、これは改心してないですねはい。 「そういう問題じゃないっすーー! 結局人体実験やるんじゃないっすかァ!」 律儀に突っ込む藤村。俺も思わず笑ってしまった。 ……なんだかんだ言っても、俺と藤村と教授はうまくやっていけるだろう。何せ『蛇の王の命令』は通用することがわかったし、教授も本当に危険なことはやらないだろう。多分……(願望) さぁ、今日から新米幻想種アニマ持ちとなった、俺の新しい人生が始まるのである。 俺はこの二人に囲まれた騒がしい今日という誕生日を、少し誇らしく思った。 |
北斗 2017年04月30日 23時47分17秒 公開 ■この作品の著作権は 北斗 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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合計 | 18人 | 460点 |
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