男の料理 |
Rev.01 枚数: 6 枚( 2,290 文字) |
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冷蔵庫を開けたら、卵が一つだけあった。 目玉焼きなら三分で作れる。カップ麺の待ち時間にさっと作ればちょうど良い。などと黙考する間に、先ほど火にかけたやかんはちょうど沸いた模様。 フライパンをコンロに準備し、麺に湯を注ぐ。ここからは時間との戦いだ。もたつけば麺が大変なことになるが、俺には十数年に及ぶ一人暮らしで培われた技術と自信がある。 フライパンを熱し、油をひく。温度が上がってきたら、いよいよそこに卵を割りいれるのだ。 卵を軽く握り、フライパンのふちに当てる。こん、こん、と、二度。 卵は割れなかった。 扱いがソフトに過ぎたかと、少し強めに勢いをつけて当てる。こんこんこん。卵は割れなかった。 はてなといぶかしみつつ、今度は場所を変えてステンレスの調理台にぶつける。ごん。ごんごん。 果たして卵は割れないのである。 空焚きのフライパンから、異様なにおいが立ち上り始めていた。 のびきったカップ麺を胃袋に押し込み、とりあえず腹だけはふくれた。 この異常事態を発生させた張本人というか張本タマゴは、相変わらず白い顔でのうのうとコンロの横に転がっている。そういえば高校生のころ、張本人という字をハリモトニンと読んで授業中に失笑を買ったことがあった。それから卒業まで俺のあだ名はハリモトになった。ちくしょう思い出しても腹が立つ。腹が立つのはあの卵のせいだ。卵め、今からお前の名前はハリモトだ。 余計なことを思い出したせいか、体の奥底からふつふつと闘志がわいてくる。俺はあきらめない。かならずあの卵を、いやハリモトを食ってやる。 俺は先ほど焦がして使い物にならなくなったフライパンを手に取る。このフライパンの仇は俺がとる。このフライパンで。 「チェストー!」 と声高に気を発し、握りしめたフライパンを卵の上に振り下ろす。が、敵もさるもの丸いもの。奴はガツンと音を響かせてフライパンを弾き返し、そのはずみで床へと転がり落ちた。しかし逃がしはしない。俺は弾かれたフライパンをくるりと返し、床を蹴って宙へと飛び上がる。くらえ、これがおれの渾身の一撃だ。 「うおおおおおチェェストオオおおおおッ」 ガツン。先ほどと同じ硬い音が響き、直後に俺の手を離れたフライパンが壁に当たってグアアンと大きく鳴った。 卵は、いや、憎きハリモトは、それでも割れていなかった。 「うるせぇえ!」 隣と接する薄い壁がドンと鳴って、部屋がちょっと揺れた。隣の鈴木さんが力任せに叩くなり蹴るなりしたものだろう。いわゆる壁ドンである。俺ら世代の知る壁ドンはこれである。 ひとしきり涙と鼻水を流し、世間の理不尽さを呪い、隣人の冷たさに失望し、人生の切なさに打ちひしがれた俺は、膝を抱えたままのろのろと目をあげて卵を見やった。 ハリモトよ、お前はどこからきてどこへ行こうとしているのか。お前に慈悲はないのか。お前に白身と黄身はないのか。俺が何をしたというのだ。ただ食おうとしただけじゃないか。俺が卵を食うことの何が不満で、お前はこうまでかたくなに俺に逆らうのか。 リンゴの気持ちがわかるとかって戦後の流行歌があったらしいが、ハリモトは何にも言わないしハリモトの気持ちは全然わからない。 もうやだ。もう、俺は、嫌だ。 だって卵割れないし、隣の鈴木さん怖いし、俺は所詮この割れない卵みたいに役に立たない存在で、俺なんかいなくたって社会は変わらず回っていくんだし、俺はもう卵のカドに頭をぶつけて死んでしまったほうがいいのかもしれない。そうだ死のう、この卵のカドで、ってハリモトお前割れない食えないうえにカドすら無いのかよ。なんだそのなめらかなフォルムは、馬鹿にしてんのか。 俺はただ卵が食いたいだけなのに。 ……あっ割らずにゆでればいいんじゃね? なんてことに今さら気づく俺は馬鹿か。馬鹿なのか。馬鹿なんだな、そうだな、じゃあもう仕方ないな、わかった、どうせ俺は馬鹿だし間抜けだし覚えも悪いし融通の利かない時代錯誤の石頭なんだ。 ……あっそうか石頭だ。 石頭で卵割ればいいじゃないか。卵がうまく割れればバンザイだ。割れるのが俺の頭のほうなら、さっきの念願通り卵に頭をぶつけてこの世界にサヨナラできるわけだ。 バカバカしいが、馬鹿なんだから仕方ない。よし、それでいこう。 卵を握り、一つ大きく深呼吸。 さらば、ハリモト。俺が死ぬか、お前が割れるか。短い付き合いだったが、まあ、うん、特にお前に言うことはない。 俺は卵を持った手を、自分の額に向けて振り下ろした。 俺は吹き飛んだ。 正確には俺の頭部が吹き飛んだ。床に転がった。視界が三周くらい回った。 見上げると、俺の体の上に、つまり頭のあるべきところに、卵がちょこんとくっついていた。 ……きもい。 どういうことなんだ。何が起こったんだ。入れ替わっちゃったのか。俺がお前でお前が俺、というより俺の頭が俺で俺の体の頭が卵で卵は俺じゃないけど卵と俺が合体した俺がハリモトで、いやわかんないわ。わかんないわ俺。 あまりに無茶な現実を飲み込めずにいたら、卵をくっつけた俺の体が勝手に動いてこっちへやってきた。 俺の手が俺の頭を拾い上げる。そうだ、とにかく元に戻さなければ。卵頭のまま生きていくわけにもいかないだろう。 と、思っていたら、俺の体は俺の頭を抱えたまま台所に行き、鍋を取り出した。 鍋に水を満たす。コンロに置く。その中に、頭を、えっ待って。待って待って。どういうことなのどういうことなの、それ何ゆでるの、まさか、だって、俺をゆでてもゆで卵にはならないだろう? ねえ、ねえ待って。 待って。 |
冗 2017年04月30日 23時07分36秒 公開 ■この作品の著作権は 冗 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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