サーマリの使い魔 |
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魔法使いサーマリは、とても優秀で、他の生徒の誰からも敬われる存在だった。 大人でも扱えないような強力な魔法を会得し、同年代の学生たちに比べ、一線を画する存在だったため、将来を期待されている。また、若いながらも人格者で、他者の悪口を決して言わなかったし、誰にでも優しく、誰にでも平等に接した。 有智高才。 品行方正。 謹厳実直。 知勇兼備。 そんな言葉がピタリと当てはまる男であった。 今日はそんなサーマリの一六歳の誕生日。 彼の魔法学校の仕来りで、一六歳になると、『使い魔』を与えられることになっている。 使い魔とは、身の回りの世話をし、主人の命令に従い、ある時は戦闘の手助けをし、術者の生涯のパートナーとなる存在だった。 サーマリは当然、使い魔の存在は知っていたし、誕生日を迎えた日に授かるという話は聞いていた。しかし、詳細は聞かされていなかった。どういった場所で受け取るのか、またどういった使い魔を与えられるのかを、知らされてなかったのである。 サーマリは教師二人に連れられて、とある神殿に来ていた。 重苦しく、森厳な空気が流れる神殿は、深閑としていた。歩いている間、三人の足音だけが響いていた。 教師は大きな扉の前で立ち止まり、ここに来てようやく口を開いた。 「この奥じゃ、この奥に、主の使い魔が待っておる。準備は良いな? サーマリよ」 普段とは違う、教師の厳粛な様に、少し緊張しながらも頷いた。 重々しく開いた扉の奥に見えたのは、だだっ広い部屋だった。柱が数本建っているだけの簡素な造りで、中央に台座が置かれている。そこに、何かが置かれているのを、サーマリは見つけた。 わりと大きな物体で、白くて丸いものだった。呪符が数枚貼りつけられていた。 これは―― 「卵……?」 サーマリは教師に質問した。 「そうじゃ。そして、この卵がお主の使い魔になるのだ」 「……これが?」 不思議そうにそう聞くと、教師は説明を始めた。 「これはツィルニトラというモンスターの卵じゃ。しかし、無精卵の卵はこのままでは孵化はしない。お主の魔法の力を与えることによって、成長し、使い魔が生まれる」 魔法は単純に、破壊や回復といっただけのものではなかった。時に奇跡を起こし、物体に大きく作用を齎す場合もあった。サーマリも噂では聞いたことはあったが、今の今までそんな卵が存在するなど知らなかった。 「このことは、十六歳の誕生日までは絶対に知らしてはならぬ、十戒の掟の一つ。硬い禁則事項じゃ。良いかサーマリ。だから今日あったことは、他の十六歳を迎えておらぬ者には、決して喋ってはならぬ」 「はい」 強く肯定する。 実際サーマリも、今日まで誰からも聞かされていなかった。 「そしてこの卵から生まれてくる使い魔は、どのような形状になるか、どのような性格になるかわかっておらん。術者によって、生まれてくるものが違ってくるのだ」 「術者によって……ですか?」 「そうじゃ。この卵に向けるパワーが、強力なものほど強力な使い魔が誕生する。また、清らかな心の持ち主であればあるほど、従順な性格になりやすい」 魔法使いによって、生まれてくるものが変わる……不思議な卵だとサーマリは思った。 「じゃが……もし、性格が歪んでいるものが、この卵を育てれば、醜い生物が生まれてくるやもしれん。だからこの卵を、決して邪悪なものの手に、渡してはならんのじゃ」 穏やかな口調の中に、教師のどこか力強い所懐があるのを、サーマリは感じた。それと同時に、自身の魔法に反応して、何が誕生するのかわからないという事実に、戦慄が走る。 教師二人は短く何かを呟いた後に、卵に貼られていた呪符を、ゆっくりとした動作で取り外していく。封印を解いているのだろう。 そうして、全ての呪符を外し終わってから、サーマリに手渡す。 両腕で抱えなければ持てないほどの大きさの卵は、ずっしりとしていて、随分と重いんだなと彼は感じた。落とさないように、しっかりと抱え込む。 教師の一人が、渡し終えた後、サーマリの肩に手を置く。 そして、朗らかな表情に変わり、再び口を開く。 「お主は、優秀で、歳に似合わず性格も温和で素直じゃ。しっかりと育てれば、きっと良い使い魔に巡り合うことができるじゃろう。生まれてくる使い魔は、主人に似るからな。そして、共に成長していき、より強力な魔法使いとなっておくれ」 二人の教師とサーマリは、孫と子ほど年齢が離れていた。自分たちの役目が終わり、未来を若者に託す。そんな視線をサーマリに向けていた。 教師の思いを受け取ったのか、 「はい、この卵を大事に育て上げます。そして、必ずや使い魔とよい関係を築いて、一流の魔法使いになって、世界平和のために尽力します」 両腕で、しっかりと卵を抱きかかえ、高らかにそう宣言した。 教師二人は満足げに頷いた。 ○ 卵を受け取ってから一週間が経った。 孵化にはおおよそ二週間が必要だと聞いていたため、ようやく折り返し地点にきたくらいかなとサーマリは思っていた。現在卵は、自分の部屋の勉強机の上に置いていた。落ちないように藁で作った下地の上にのせている。 卵には毎日数度、魔法で熱を送ってやらなければならなかった。 これが結構微妙な加減で難しかった。強すぎても弱すぎても孵化は成功しない。実際過去に、幾人か失敗例があり、卵を駄目にしてしまったものもいるのだ。そして、一度失敗してしまった魔法使いには二度と、使い魔を授かるチャンスはなかった。 だからサーマリは、加減を間違えないよう、注意をしながら魔法を卵に向かって放つ。薄っすらと温まる卵は絶妙で、徐々にこの作業に慣れてきているようだった。 そうして、魔法をかけ、卵に真剣に向き合っていた時だった。 突如、サーマリの部屋のドアが勢いよく開いた。 「やっほー、サーマリ君、おはよー! この間、借りてた本返しにきたよー!」 ビクッとして、後ろを振り返る。 そこにはよく見知った顔があった。 「アーシアさん……か、びっくりさせないでよ。いつも言ってるけど、ノックくらいは……」 サーマリは驚きの表情から、安堵の顔に変わる。 突然部屋に入ってきた人物。それはすぐ隣に住む女性で、名前をアーシアといった。 彼女は近所ということもあって、よくサーマリの家に遊びに来た。 一つ年上の女性で、先輩に当たるのだが、幼い頃から遊んだりしてきた仲だった。そのため幼馴染にといったほうがしっくりくるような気がしていた。 ともかく気心しれた相手で、長い付き合いのため、こうして突然家にも平気で入ってくるのだ。 「ごめん、ごめん――って、ん? それは?」 ほとんど悪びれた様子ない感じで謝った後、サーマリの先に視線をやった。 「あ、これ、この間、先生から貰ったんだ」 「そ、それは! 使い魔じゃあーりませんか!」 アーシアは一つ年上だった。そのため、すでに卵のことは知っていたのだろう。 「うん、アーシアさんも去年こうして、使い魔を育てていたんだね。知らなかった」 「そうなの。大変だったよー。毎日魔法で温めて、無事生まれるまで、気が気じゃなかったの。サーマリ君に手伝ってもらおうかと思ったけど、教えちゃ駄目だって言われてたし」 「掟の一つらしいね。十六歳を迎えていないものには、教えてはいけないって」 「うんうん。しかし――そっか、もうサーマリ君も使い魔を持つようになるのか」 優しく微笑むアーシア。 自分と同じ、一人前の魔法使いになるということに、感慨深さを感じているようだった。 そうして、彼女はポケットに手をいれた。 フワフワとした柔らかそうな毛で覆われた、丸っこい小さな生物を取りだす。その生物は出てくるなり、ピーッと甲高い声をあげる。 白くて丸いその生物は、部屋中をピョンピョン飛び跳ねたのち、アーシアの頭に乗った。 そこでピッと言って、その場が落ち着くのか、静かになった。 「それが、アーシアさんの使い魔だったね」 彼女の頭に乗った使い魔は、見た目とても可愛らしかった。サーマリは、アーシアにぴったりの使い魔だなと思っていた。 「うん、そうなの。でもおてんばで困っちゃう時あるの。やっぱり私に似たのかもね」 ふふふ、と小さく笑う。 「やっぱり、主人に似るものなんだ。使い魔って」 「そうよー。だから、サーマリ君のはきっとしっかりとした使い魔になると思うなー。いや、案外ドジっ子が生まれたりしてね。時々、ボケてて、よく学校に忘れ物するし」 意地悪な笑みを浮かべるアーシア。 「ひっどいなー。でも、どんな使い魔が誕生しても、愛情もって育てるつもりだよ。これからの僕のパートナーになるわけだからね。共に成長して、お互いを助けあう仲になるんだ」 「……そっか。私も、サーマリくんの使い魔なら、どんなのが生まれても、好きになる自信があるよ」 アーシアにはっきり言われ、なんだかサーマリは照れてしまった。 「それじゃー、私は邪魔しちゃ悪いから今日は帰るね」 「あ、うん」 「卵育てるの頑張ってねー!」 快活に励ましの言葉をかけられ、そのままアーシアは部屋から出ていった。 仲の良い彼女と話したことで、サーマリは頑張ろうと思えるのだった。 ――だが。 直後に異変に気づく。 彼女を見送った後、卵に目をやった時だった。 ヒビが入っていたのだ。 ○ サーマリは一瞬、自分が失敗したのではないかと思ってしまった。魔法が強すぎたのではないかと。まだ、孵化するには早すぎると思っていたからだ。 しかし、どうやら、そのヒビは、卵の内部からの干渉によって起こっているようだった。 中から何かが、殻を破って外に出ようとしていた。 緊張の趣で、見守るサーマリ。 部屋の中は、殻を割る小さな音だけが響いていた。 そして、ヒビが増えていき、やがて――そいつは姿を表した。 カラカラと割れる卵の殻から、見えたのは真っ黒い生き物だった。 「よーう」 そして、卵から出るなり、言葉を発した。 「ん? なんだ、てめぇが俺のご主人か?」 早速サーマリを見るや、高圧的に尋ねてきた。 黒くて醜い外観。 大きさは掌中ほどで、人の形状はしていたが、黒羽が生え、醜悪な顔つきをしていた。とても正視するに耐え難い生き物だ。想像上の悪魔ですら、もう少しまともなナリをしているだろう。 サーマリは固まってしまっていた。 「おい、聞いているのか。てめえが主人なのか?」 「あ、ああ」 かろうじて、サーマリはそう口にした。 頭が追いついてなかった。 こいつが……僕の使い魔なのかと、信じられない思いだったのだ。 「それで、名前は?」 矢継ぎ早に質問が飛んでくる。 外見もそうだが、声も雑音が入ったように濁りがあって汚い。 「えっと、僕はサーマリだ」 彼は自分の名前を言ったが、目前の生物は首を振った。 「違う。俺様の名前だよ。もう決めてあるんだろう?」 遠慮がなく、とても使いのものとは思えない態度だった。 しかし、一応、事前に名前は考えていたため、その名を口にした。 「アルキデス……だ」 「ほう、アルキデスか、悪かねーな。まあ、よくもねーが」 偉そうな態度で、そう言って、その場で胡座を組む。 そしてそいつは、大きな欠伸をして、寛ぎだした。 サーマリはなんと言ってよいかわからなかった。まるで夢を見ているかのようだった。それも悪夢だ。使い魔は主人に似るらしいが、これが自分だと到底思えなかったのだ。 言葉を喋る使い魔。 醜悪な外見。 高圧的な態度。 ぐるぐると否定したい感情が巡る。 今まで真面目に生きてきて、全てが順調だったサーマリ。 周りからの信望は厚く、将来も期待されている。 こいつを、これから皆に披露させるのに、強い抵抗を感じていた。 まだうまく、頭が追いつかない状態でいる時だった。 ドアが再び勢いよく開閉した。 アーシアだった。 「ごめーん! さっき本返しに来たのに忘れてた。一回家まで帰っちゃったよー」 元気よくそう言ったのち、彼女はアルキデスと目が合い、固まった。 サーマリは、この醜い生物を隠したかったが遅かった。 「え?」 もう誕生していると思わなかったのだろう。 そしてこんな醜い生物が、サーマリの使い魔だと、予想してなかったのだろう。 言葉を失うアーシア。 しかしそんな彼女をよそに、アルキデスはとんでもないことを口走り始めた。 「なんだこの女。○○みたいな外見しやがって。その胸元は男を誘ってんのか? その胸で☓☓☓☓を□□□して、△△△を○○○○○でもするつもりかよ。このイヤらしい女め」 と。 公で言えないような下劣な台詞を、使い魔は当然のように吐いた。 サーマリは何を言ったのか、一瞬わからなかった。 アーシアも何が起こったのかわからないといった表情だ。 場の空気が凍る。 しばし沈黙が流れたあと、アーシアは持っていた本を落とし、 「い、いやーっ!!!!」 顔を手で覆い、走り去っていった。 直接言葉を投げられたわけではないサーマリでさえ、恥ずかしい思いをしたのだ。本人は相当なショックを受けたのだろう。 少し間があり、ようやくサーマリも動く。 「お、お前は、アーシアさんになんてこと言っているんだ!」 遅いと思ったが、両手でアルキデスの口を覆った。 怒っているサーマリをよそに、スルスルと手から逃れ、宙に浮く。 「なんだ、いけなかったのか?」 「当たり前だ!」 「だがサーマリも、正直あの女と、○○○○したり、△△△△をしたいと思ってるだろう?」 「その卑猥な言葉をやめろって言っているんだ!」 耳を覆いたくなるような、下卑た言葉の数々。 ひどく下品な言葉の羅列をアルキデスは放っていた。 こいつが僕の使い魔? サーマリは何かの間違いだ。 こいつは僕が創ったものなんかじゃない。 強く、否定したい思いが、頭の中を巡っていた。 ○ 午後から母親に頼まれたお使いがあったため、サーマリは市場に来ていた。 この辺りで一番大きなこの場所は、多くの人がごった返していた。 魚屋。八百屋。肉屋。そしてそれに群がる人々。 活気のある喧騒が市場に響いている。ここにいる皆は、どこか楽しそうな雰囲気が感じられ、この街の治安の良さを表していた。 そんな中、憮然とした様子でサーマリは歩いていた。後ろからは黒いものが、羽を使って付いてきている。そう、アルキデスだ。 「いいか、さっきも言ったが、絶対に妙な真似はするな」 「へいへい」 面倒くさそうに返事をする使い魔。 アーシアが出ていった後、アルキデスにもう変なことしないよう、長い時間説教をした。しかし、一応聞いているようではあったが、生返事で反省の様子などもなく、どこまで従順でいてくれるかは疑問だった。サーマリが話す間も、「へ~」とか「ふ~」とか、聞いているのかどうかも怪しい感じだったのだ。主人に対しての敬いを、まるで感じられなかった。 ただ、サーマリが少し意外に思ったのは、アルキデスが、様々な知識を取り入れようとしていたことだ。部屋にある本を片っ端から読み始め、スピードも早かった。そして時々「おい、これはどういう意味だ」と、説教の最中でさえ、逆に訊いてくる始末だった。 人通りの多い道を、歩くサーマリ。 普段からここへはよく来るため、顔見知りも多かった。優等生として名が通ってる彼は、いつもなら挨拶をされれることが多かった。 しかし、今日は違っていた。 皆、アルキデスの姿を見ると、顔をしかめた。醜悪な外見に、真っ黒い悪魔のような形状。こいつと関わってはいけないと、思っているかのようだった。目があった瞬間、見てはいけないものを見たかのように、急いで視線を外すものもいた。 「ちっ、ろくなものが売ってねーな」 そんな衆人の感情を無視し、見てくれ通りの発言をアルキデスはした。 「そんな悪い言葉は使うなと言っただろう。ここにいる店の人は皆、一生懸命仕入れ活動に努め、販売に勤しんでいるんだ」 「嘘こけよ。適当にくっちゃべって、消費者を誑かし、粗悪な品を売りつけているに違いない」 使い魔はそう言っ放った。 「おい、だから、そういう変な邪推は……」 サーマリがそう言いかけたところで、アルキデスは急に立ち止まった。 そこは、色とりどりの野菜や果物が置かれている場所だった。 店主は後ろを向いて、作業をしている。 「アルキデス……? ここで買うものはないぞ」 母から頼まれたものは別のものだった。ここは彼にとって用がない場所だ。 しかし、サーマリの言葉を無視して、その店の、林檎が山になっている所に飛んでいく。店主に断りもなく、アルキデスはその中の一つを勝手に手にした。 そして、何の迷いもなく、そのまま林檎にかじりついた。 「あっー! 何やってるんだお前!」 サーマリの大きな声に反応し、後ろを向いていたガタイのいい男店主が振り返った。 すぐに林檎を取られていることに気づき、「あっ」と小さな声をあげた。勝手にくすねてしまったことがバレてしまったらしい。 しかしそんなことを意に介するわけでもなく、 「まずいな。この店はおそらくゴミしか置いていない」 とアルキデスは言った。 店主もサーマリも唖然とする。 そんな二人をよそに、林檎をかじり続け、芯だけ残し、道に放り捨てた。 「行くぞ、サーマリ」 食べ終わったアルキデスは、偉そうに言って、そのまま飛んでいく。 残されたサーマリは、固まってしまっていた。 しかしすぐに我に返って、店主の方に向き直す。 「す、すみません! お金は払いますんで!」 仕方なく、サーマリが林檎代を払った。 店主も戸惑いの表情で代金を受け取る。 しかし、お金を払ったためか、特に咎められることもなかった。 支払いが終わると急いで、アルキデスに近づいた。 「おい、何か欲しいのなら僕に言え。お金を払わなければ、商品っていうのは貰ったら駄目なんだ」 サーマリは子供を諭すように常識を説いた。 しかし、そんなことはわかっているという顔で、恐ろしいことを言いだした。 「馬鹿かお前は。あの惚けた店主は後ろを向いていた。お前が声をあげなかったら、気づかれなかったんだ」 呆れを通り越して、言葉に詰まる。 「そ、それは、窃盗に当たるから駄目なことなんだ。魔法警備隊に捕まるんだぞ」 「人の事情なんて知らん」 悪びれた様子もないアルキデス。 今度は別の店に飛んでいく。 どうやらそこは酒が置いてある店みたいだった。 また窃盗を働くのではないかと、サーマリはハラハラしたが、向かったのは商品のほうではなく、奥の酒樽の方だった。 太った男店主は、樽が死角になっているようで、アルキデスは見えていないようだった。 一体何をするのだろうと、目で追う。 樽には、おそらく酒が一杯に入っていて、持ち上げることはできないはずだ。そんなことをサーマリが思っていると、アルキデスは樽の前で止まる。 そして右腕をゆっくりとした動作で後ろに引いた。 一つ深呼吸をしたかと思うと、「セイッ!」と言って、すごいスピードで拳を前に突き出した。正拳突きだった。 酒樽に小さな穴が空き、そこから、透明な液体が勢いよく噴射する。 その液体を、アルキデスは口を広げて飲みだした。 「あっー! 何やってるんだお前!」 サーマリは、先程と同じように叫んだ。 声に反応して、太った店主が異変に気付く。「えっ」と小さな声をあげる。店主もさっきと似たような反応だ。本当に不可解なことが起こってしまうと、誰しもこうなるのかもしれない。 しかし、そんな驚愕した二人をよそに、アルキデスはたらふく飲んだ後、プハーと一息ついて言った。 「おいサーマリ、お前も飲め。俺だけじゃ飲みきれん」 樽からは空いた穴から、酒が止めどなく流れていた。 「飲むか! すみません! 払います。これ弁償しますから!」 サーマリは店主に向かって、平謝りする。金額を聞き、代金を払った。 さすがに酒樽は林檎とは、比べようもないくらい高かった。 そして店主のみならず、周囲の人々からも冷たい視線を向けられていた。 いい加減にしろと、睨もうとしたが、既に、樽の前からいなくなっていた。 アルキデスは、通りの方へ移動していた。 酒をたらふく飲んだせいか、フラフラと飛んでいる。完全に酔っ払っていた。 そうして、歩いている若い女性に近づいていき、アルキデスは言った。 「おいそこの女。△△△みたいな格好をしてやがるな。どうせなら〇〇〇〇と☓☓☓☓を晒し、今ここで□□□□□でもしたらどうだ?」 またしても、卑猥な言葉を女性に向かって放っていた。 周囲の人間が立ち止まって、アルキデスを見ていた。皆一様に奇怪な生物に出会ったことにより、不可思議といった表情を浮かべている。 言われた女性本人は走って逃げた。 もはや無茶苦茶だった。 サーマリは、使い魔をつかんで、走ってその場から逃げ出した。 「はぁはぁ」 走っていき、なんとか衆目から逃れ、人気のない場所まで来た。 サーマリは、全力でダッシュをしたため、息切れを起こし、その場に座り込む。 目の前には大きな川が流れている。 「いい加減にしろ! さっきおかしな行動をとるなと言ったばかりだろう!」 座っている状態で、宙に浮いている、アルキデスに怒鳴った。 本気で怒っているのだが、まるで聞いていないようで、別方向に視線を向けている。 それでも、収まりのつかないサーマリは説教を続けた。 「お前は、なんらかの間違いで誕生してしまった。しかし、あの卵から生まれた以上、とりあえずは僕の使い魔なんだ。命令に遵守してもらわなければ困る!」 サーマリが言うと、反対側を向いていたアルキデスはゆっくりと振り返る。 「ほう。本当に、何かの間違いで、俺様が誕生したと思っているのか?」 「なんだと?」 意味深な台詞に、サーマリは、得体の知れない恐怖が走った気がした。 「当たり前だろ! 僕はこれでも、学校でも一番というくらい真面目と言われているんだ。人に迷惑をかけないように生きてきたし、お前のような悪魔みたいな奴が生まれるわけがない!」 「……真面目ね」 若干呆れたといった様子で、アルキデスはそう言った。 「なんだよ。言いたいことがあるなら言ってみろ!」 サーマリは怒声をあげたが、使い魔はどうでもいいといった感じで、再び川の方へ視線を向けた。 比較的大きな川で、随分と川幅があって、先のほうは海へと続いていた。 アルキデスの言葉を待つサーマリ。 しかし、思っていることと、全然違う言葉が返ってくる。 「それより、見ろ。あそこにめちゃくちゃグラマラスな女がいるぞ」 「そんなこと今どうでもいいだろう。それから女性に対し、そういう視線を向けるのはやめろ。まず、僕の言った質問に答えろよ」そう言いながらも、なんとなく気になったため、サーマリは周囲を見渡す。「って、女性なんて一体どこにいるんだ?」 しかし、見る限り、女性どころか人すら見えなかった。街の外れのこの辺りは、人通り自体少ないのだ。 アルキデスは遥か先の方を指さしていた。 「あそこの橋だよ」 「橋?」 「ほら、川の向こうに架かっているだろ。見えないのか?」 確かにアルキデスの言うとおり、海へと続く川の途中に、大きい橋が掛かっていた。しかし、随分と遠かった。 サーマリは薄目をして、遠くを見るようにする。 「……お前、随分眼がいいんだな。僕にはあれが女性なのか男性なのか、区別がつかない」 遠くに見える橋には、確かに何かが歩いているのは見えた。しかしサーマリの眼には、小さすぎてよく判別できなかったのだ。 「知っているかサーマリ。男ってのは、美女を前にすると、若干視力が上がるらしいぞ」 「どうでもいいよ。そんな豆知識」 結局アルキデスにごまかされた格好で、サーマリの怒りは、一時どこかへと追いやられる格好になってしまった。 その後、サーマリは使い魔を注視して、変なことを起こさないように、なんとか買い物を終えて、帰宅した。 ○ 次の日は学校だった。 使い魔が初めてつくようになった日は、注目の的となる。どういった使い魔がついたのか、気になるようで、見に集まるのである。 特にサーマリは、学校でも一番というほど期待されていたため、前々から、どんな優秀な使い魔がつくのか、誰しも興味があるようだった。 しかし、サーマリの後ろを飛んでいる生物を見ると、皆、顔が強張った。 真っ黒く、醜悪な外見。 普段学校で持つ、サーマリのイメージとは皆無だったのだ。 一応挨拶がてら近づいてきて、「へ~、サーマリ君も使い魔きたんだ~」とか「そっか、頑張ってね~」とか適当に言って、すぐ離れていった。誰もが関わってはいけないという空気を、醸し出していた。もしかしたら、前日のアルキデスの醜行が、すでに学校内に広がっていたのかもしれない。 「ちっ、どいつもこいつもやる気のない顔しやがって」 皆の思いを無視して、相も変わらず、使い魔は悪態をつく。 「おい、悪口を言うな。みんな一生懸命勉学や魔法を学ぶために、ここにきているんだ」 「だが見てみろよ。こいつら全員、死んだような顔をしながら歩いてやがる。幽霊のほうが、まだ溌剌としてると思うぜ」 「まだ朝だから、眠いだけなんだよ。とにかく昨日のようなことは、絶対しないでくれ」 他の生徒のフォローをいれつつ、アルキデスに牽制をした。 しかし、そんな言葉を、簡単に聞き入れるような使い魔ではなかった。 勝手に飛んで、サーマリから離れていく。 「おい、どこへ行く!」 アルキデスが飛んでいったのは、他の生徒の使い魔のところだった。 その使い魔は、主人の男生徒と共に、仲良く歩いていた。 茶色の毛で覆われた、可愛い動物のぬいぐるみのような姿。この使い魔の名前をギョッスケと言った。 見た目と愛くるしい動きで他の生徒からまでも、可愛がられている。大きな耳と、モフモフとした茶色い外皮が特徴だ。 そんなぬいぐるみのような頭に、アルキデスは止まった。そして、なんの躊躇もなく、ギョッスケの耳を引っぱりだした。 「ギョギョッ!」 「わっ! なんだこいつ!」 生徒は驚きの声をあげる。 ギョッスケも悲痛の鳴き声をあげた。 「ギョギョギョッ……」 引っ張られた耳が、思いっきり伸びていた。 主人の生徒は突然の出来事にオロオロとしている。 アルキデスはニヤけた顔で、両耳を交互に引っぱっていた。ギョッスケは、手で払おうとしたのだが、アルキデスはそれを巧みに交わして、大きな耳を伸ばしていく。 相当痛いのだろう。ギョッスケは涙目になっていた。 「わー! 何をやっているんだ、アルキデス!」 サーマリが止めに入る。 すぐに、耳を掴んでいる手を無理やり引剥した。 しかしアルキデスは、なんの反省もなく、見下すように言った。 「なんだこの使い魔は、口も聞けないのか」 「ギョギョギョッ!」 言葉は喋れないギョッスケだったが、思いっきりアルキデスを睨んでいる。敵だと認識したようだった。 しかし、アルキデスは、続けて悪口雑言を並べる。 「やれやれ、言語を扱えない使い魔も相当な馬鹿だが、その主人も見るからに阿呆そうな顔をしてやがる。使い魔は飼い主に似るというが、それを体現したようなコンビだな。せいぜい馬鹿通し、足を引っ張りながら、仲良く生きていけや」 よくこんなことが言えるなと、逆にサーマリを感心させるほどに、ひどいことをつらつらと口にする。 謝って、急いで去ろうと思ったが、ギョッスケが怒りの表情を浮かべていた。 「ギョーーー!」 主人の悪口を言われたのが、なんとなくわかったのだろう。ギョッスケは咆哮をあげた(といっても可愛かった)。 両腕をグルグル回しながら、アルキデスに突進していく。 この技はギョッスケの十八番で『ハイパーローリングアタック!』と名付けられていた。ただ腕を回転しながら、突っ込んでいくだけの荒業だが、見た目だけは豪快だ。ちなみに本気で相手を倒そうとする時だけ、繰りだす技で、相当怒っているという証拠だった。 体格差はギョッスケの方が随分と大きかった。まともにヒットすれば、ひとたまりもないようにサーマリには思われた。 一直線にアルキデスに向けて、突進するギョッスケ。 アルキデスは、まさか向かってくると思わなかったのか、虚をつかれていた。 主人の生徒も、突然の行動に、驚愕の表情を浮かべていた。しかし、どこか仕返しして欲しいと思っているのが、見てとれた。 同じく、ギョッスケを応援するサーマリ。 若干モタモタした印象があったが、確実にアルキデスに近づいていく。 グルグルと素早く回転した腕が、あと一歩で当たるところだった。 しかしあっさりとギョッスケの回転する腕をかわし、アルキデスは顔面に強烈な右拳を喰らわせた。 突進していく途中に喰らわせたカウンターのため、大ダメージとなる。ギョッスケは窓の外までぶっ飛んだ。 「ギョーーーッ」 「あー! ギョッスケー!」 飛ばされた使い魔を追って、主人の生徒はすぐ後を追った。 サーマリは謝る機会すら与えられぬまま、見送るだけになってしまった。 「雑魚が。次はもっと強いやつを連れてこい」 勝ち誇った様子で、アルキデスは嬉々とした様相だった。 「おい、なんてことをしてくれたんだ! あんな可愛い使い魔に攻撃するなんて!」 「今のは不可抗力だろう。向こうからきたのは、サーマリも見ただろう」 「お前が変なことを言わなければ、こんなことにならなかったんだ!」 「いや、俺は悪くない」 「どう考えてもお前が悪い!」 そんな言い合いをしていると、後ろから呼びとめられた。 「サーマリ君~」 二人の女性徒だった。 「ついに使い魔を無事に授かったんだね」 「どれどれ、って、え……?」 声をかけてきた二人はいずれも同級生だった。しかし、彼女たちはアルキデスを見るや、一瞬顔が凍りつく。 見てはいけないものを見た、といった表情だった。 「……あ~、でもでも、使い魔いいな~」 「……そういえば、サーマリ君、使い魔ってどうやって授かるの?」 二人はサーマリの後ろにいる奴を、見ないようにし、ごまかすように質問をした。 彼女たちはまだ一六歳を迎えていないため、使い魔の詳細を知らされていないのだろう。 「あ~、それは」 掟の一つだから教えられないと、伝えようとしたところで、アルキデスが勝手に喋りだした。 「なんだよお前ら知らないのかよ。ツィルニトラの無精卵の卵に、お前らの魔法をぶっかけてだな……」 「わーーー!」 大きな声をあげて、アルキデスの言葉を遮る。 決して喋ってはいけない掟を、懇切丁寧に説明しようとしていた。 ここいるとまずいと思い、アルキデスを手で掴み、強引にその場から立ち去った。 ○ その後も、アルキデスの奇行は止まることはなかった。 学校にある食糧を勝手に食べる。 授業を派手に邪魔をする。 女生徒に卑猥な言葉をなげる。 その他もろもろ。 ついにサーマリは限界がきて、再びアルキデスを人気のない廊下に連れていった。 「なんでお前は僕のいうことが聞けないんだ!」 サーマリは怒鳴り声をあげる。 他者に怒りを向けること自体、アルキデスが生まれるまでなかった経験だった。 「昨日も言ったが、お前は一応、僕の使い魔なんだ。あんなおかしな行動ばかりとられたら、僕までおかしな奴に見られるだろう!」 そんなサーマリの勢いに、まったく怖気づく様子もなく、アルキデスは淡々と言葉を返す。 「他人の目が気になるのか?」 「別に周りがどうこういう問題じゃない。あまりに行動が逸脱しすぎているといっているんだ!」 頭を掻きながら、自身の使い魔に、強く自分の思いを訴える。 「ほう。相変わらず、自分と俺はまるで別物とでも言いたげだな」 黒い羽をパタパタとさせながら言った。 アルキデスの堂々とした態度は、とても生まれてそれほど経っていないものとは思えないほどだった。 「当たり前だ。僕は常識をわきまえているし、特に女性に対して、あんな酷い言葉を吐こうなんて、考えたこともない」 「酷い言葉ってのは、一番最初に会った女のことか。そりゃ、あれだけ胸元が見える服を着てれば、劣情をそそられてもおかしくないだろ」 「最初の女って……アーシアさんか? まあ彼女のことだけを言ったわけじゃないが……確かに僕も男だ。少しくらい情欲に駆られることだってある」 「少し……だと……」 サーマリの言葉に、アルキデスが思いっきり訝しげな顔を浮かべていた。 「話をとめるなよ! つっかかるところじゃないだろ!」 予想外の場所でつっこまれて、大きく動揺するサーマリ。 「…………」 「まあ……情欲に駆られたことは、多分にあったかもしれない。しかし、アーシアさんを困らせたいと思ったことはないし、街の人や、学校の生徒にも同様だ。僕はアルキデスみたいに逸脱した行動を取りたいと思ったことなんて、一度もなかった。これは本当だ」 アルキデスをまっすぐと見つめ、強い思いを口にした。 彼自身も、偽りを語っているつもりもなく、本心のつもりだった。 しかし、使い魔は首を振る。 「何もわかってないなサーマリ」 「なんだと、何がわかってないと言うんだ」 「お前は、多少頭がいい。だからこそ説明するが、深層心理というのは知っているだろう?」 どちらが主人なのかわからないほど、上から目線で、アルキデスは訊いてきた。 「そりゃ、知っているが……心理学の分野だろう。意識しない無意識のことで、本人にも自覚されていないもののことを言う。それが、どうしたって言うんだ?」 「ほう、言葉は知っているようだな。そうだ。人の意識というのは、自分でも自覚していない思い、または引き出せない記憶というものが多く存在する。だから表面上の意識というのは、そもそもほんの僅かで、氷山の一角だ」 「……それも、知っている。だから、それとお前の行動に、どう関係あるっていうんだ?」 サーマリは、予想と全く違う方向に話がいったため、多少困惑していた。 「人は様々な不快な思いや、ストレスというのを、無意識下に溜め込んでいくものだ。もちろん、意識している部分もあるが、生きていく上で抑制しなければいけない思いが多く存在する。倫理面、道徳的に背いた行動やそういった個人的欲求。多くの人間は、それらを自分では考えてはいけない、悪いことなんだと考え、無意識下に閉じ込める」 難しい言葉を、長々と並べ立てるアルキデス。 続けて説明する。 「ではその抑圧された感情はどうなるか。普通は、様々な方法を通じて、無意識に外界へと出そうとする。本人の思考等を通じて、繰り返し意識に出てきて、本人を動かそうとするわけだ。しかし、それがいけないことだと思って、再び抑圧すれば、完全に無意識に留まる。ただし、無意識下に留まった感情は、表に現れないだけで、消えてしまうわけではない」 「お前は……一体、何を言っているんだ」 淡々と、言葉を紡ぎだすアルキデスだったが、何を伝えたいのか、サーマリはさっぱりわからなかった。 「結論から言おう」 それを悟ったのか、アルキデスはそう言って、真っ直ぐとサーマリを見つめた。 「お前は、様々な感情を、無意識に溜め込んだ。いや、溜め込みすぎたと言ったほうが正解だな。そして、その影響で俺が生まれた」 「…………なっ」 虚を突かれるサーマリ。 動揺している主人を無視して、言葉を続ける使い魔。 「お前は優秀だった。周りからもずっとそう言われてきたのだろう。だから、今まで逸脱した行動はとれなかったし、模範となるような行動を期待されその通りに生きようとした。だが、本当はもっと自由に生きたかったはずなのだ」 「違う! 僕はそんな風に思っていない!」 アルキデスの言葉に、強い否定を示すサーマリ。 「抑圧という心理作用は誰もが起こることだ。劣等感や悪の感情、倫理面に背く欲求。特に自分が考えてはいけないと思っている感情のことを主に言う。しかし、お前の場合、その比重が大きすぎた。なんでも自分が背負ってしまう性格も拍車をかけ、普通の人間よりも、多くの我慢を背負い、日々を暮らさなければならなかった」 「やめろ……」 サーマリは二、三歩、後ずさる。 彼の頭の中に、今までの記憶が蘇ってきた。『サーマリ君はすごいよね。何でもできて』『君は本当に真面目ね~。うちの子にも見習わせたいわ』『才能があって羨ましいよ。ほんと』様々な言葉が、脳の中を駆け巡ってくるかのようだった。そして数々の言葉から、嫌な感情が心に蓄積されているのを、なんとなく感じていたのだ。 「お前は周囲の言葉を全て受け止め、期待通りに生きなければいけないと思ってしまった。そして、反発させる思い、他人に対する悪感情、全て悪いことだと考えてしまった。負の感情を無意識に、閉じ込める結果となったのだ」 「うるさい! もう黙れと言ってるだろ!」 耳を塞ぐサーマリ。 しかし、アルキデスの言葉は、聞こえてくる。 耳を通じてではなく、直接頭の中に語りかけてくるかのようだった。 「放たれた魔法は、その人間の感情を介す。情緒や真情、術者の思いの丈は、放たれた魔法にのって飛ぶ。怒りや悲しみによって、魔力が上がったり、威力が上がったりするということを、聞いたことがあるだろう? 微弱な魔法でもそれは同じだ。お前の無意識下に溜まった感情は、魔法にのって、俺の卵に降り注がれた」 使い魔は言葉を止めなかった。 そして、サーマリに向かって断言した。 「俺はお前そのものなのだ。お前の中の溜まった感情。出てはいけないと思っていた負の内面といったところか。俺がやってきた行動は、お前が心の奥底で、望んでいた結果だともいえる」 サーマリはうなだれていた。 悪戯ばかりする小さな使い魔。 しかし、今、目の前で羽ばたいている小さな黒い生き物が、随分と大きく映っていた。 めまいが起こり、景色がグラグラと歪んでいた。サーマリはアルキデスの言葉を否定したい気持ちが強かった。これまでのアルキデスの常識から逸した行動は、自分が望んだもの? そんな事実をとても認めがたかったのだ。 そして、耳を強く抑えながら、自分の前を飛んでいる使い魔を睨み付けた。 「お、お前は悪魔だ。言葉巧みに誘導し、悪の道に導こうとしている。僕は、決して悪魔の言葉に耳を貸したりはしない!」 否定したい気持ちのほうがまさったのだろう。 サーマリは、そう結論づけて、反駁した。 「お前が、そう思いたい気持ちはわかる。しかし、そもそも、あの卵には呪符が貼れていたのは知っているだろう。あれは魔力を中に介さないようするためのものだ。そして、貼った人間……つまり教師二人でなければ、取り外すことはできない。ということは……」 「黙れ!」 サーマリは説明の途中に割り込んで、言葉を遮った。 「もう黙れ……お前なんか、僕の使い魔でもなんでもない。一時も、悪の道に進もうと思ったことなんてないし、倫理から逸脱した行動を取ろうと思ったことはない。アルキデス、お前は僕とは違う。使い魔でもなんでもない、悪魔そのものだ」 断言するかのごとく言った後、 「もう二度と僕の前から姿を表わすな」 静かに――しかし強く睨みつけサーマリは命令した。 アルキデスは表情も変えず、主人を見つめていた。そして、 「ふん、そう思いたいのなら、それもいいさ」 そう言って、そのままパタパタと窓から出ていった。 悲しみも、別れの言葉もなかった。 そのままサーマリの元からいなくなってしまった。 すぐに戻ってくるかと思っていたサーマリ。 普段は命令など、全く聞きいれてくれない使い魔だった。しかし何故か「姿を表わすな」といった言葉に従い、そのまま何処かへ行ってしまった。 そして結局、このまま一日、アルキデスはサーマリの元へ戻ってくることはなかった。 ○ アルキデスがいなくなってから、早くも平穏な日常が巡ってきた。 一日経っても、戻ってくる気配はなく、現在サーマリ一人で学校に来ている。 不思議なことに、使い魔がいなくなったことを、誰一人として疑問に感じ、訪ねてくることはなかった。前日に無茶苦茶をやっていたせいで、噂は学校中に広まっているはずだったが、皆、なかったことにしたかったのかもしれない。 そして、サーマリにとっては幸いなことに、誰もがあれは間違いだったと思っていたようだ。真面目な人間から、あんなおかしな生物が生まれるわけがないと考えたのかもしれない。何かの間違いや手違いが起こったのではないかと。それは、今までのサーマリの善行によるものが大きかった。 このままアルキデスが戻って来なければ、問題なく元通りの生活を送ることができるだろう。皆から尊敬され、優等生のまま、学校生活を送り卒業することができる。それは本来サーマリの思い描いた、予想絵図だった。 もし、あの無茶苦茶な使い魔と共に今後生きるとなれば、一体どんな苦心が待っているかわからない。 それでもサーマリは悩んでいた。 アルキデスの言葉が耳から離れなかったのだ。「お前は俺だ」と言われたことを受け、眠れずに一日考えた。あの場では否定したものの、真面目なサーマリは、あの言葉は本当なのかと真剣に向きあっていた。勤勉さなど、妙なところで自分と一致しているところがあったため、全くのデマカセである線も捨てきれなかったのである。 とはいえ、何度思い返しても、完全に認めるわけにはいかなかった。それは、サーマリ自身の人生の否定に繋がるからだ。周囲に評価され、それを受けて努力してきた。その裏で、あんな道徳面、倫理面に背くような願望があったなど思いたくなかった。 アルキデスはむちゃくちゃな使い魔だ。だから、発言も適当で、あたかも信じそうな言葉を並べたて、心の隙間に入り込み、悪の道へと誘うつもりだっただけではないか。そんなことをグルグルと頭を巡り、未だに結論はでていない。しかし、いずれにしても、アルキデスがいないほうが、真っ当な生活が送れるような気をサーマリはしていた。 周囲を見渡すと、使い魔とともに、仲良くやっている生徒が今日はやけに目についた。主従の関係がしっかりとできており、命令に背かず、楽しそうにしている。 あいつが生まれる前までは、サーマリもああなるはずだと確信していた。使い魔と共に成長し、周囲の期待通り大人になっていくと、何も疑わず考えていたのである。 しかし、アルキデスが生まれてしまった以上、あれは虚構の姿となってしまった。あいつと共に成長していくなど、不可能に近いだろう。周囲にさんざん迷惑をかけまくって、最後にはサーマリまでも白い目を向けられる。そんな未来は避けたかった。 少し前に、このままアルキデスが帰ってこなければ、教師にどうなるか聞いてみた。 「使い魔は、一度しか授かることを許されておらん。もしこのままいなくなってしまったなら、もう二度と授かることはない。これは大昔からの決まっておる掟の一つじゃ」 サーマリが予想した通りの言葉が、教師から返ってきた。 そのあとで、少し言葉に詰まりながら、教師は続けて言った。 「まあ、でも……お主は、一人でも十分生きていけるじゃろう。今後は一人で行きていくことになるが、使い魔の孵化に失敗した者、育てる過程で亡くしてしまった者は他にも多くいる。お主の使い魔は、ちょっと、あれじゃしの……」 教師はアルキデスのことを『あれ』と少しボカした表現を使った。もし、アルキデス風に言葉を使ったのならば、きっと汚い言葉になっていたと思う。 この言葉を受け、サーマリは安堵した。 おそらくこのままアルキデスが、戻ってこなければ、普段通りの生活が待っているのだ。今現在、早くもいつも通りの生活に戻ろうとしていた。数日も経てば、なかったことにでもなるだろう。 そう思って、廊下を歩いている時だった。 意外にも、報を持ってきたのはアーシアだった。 「サーマリ君~」と後ろからの声掛けに、振り向いた。少し慌てた様子のアーシアがいた。会うのは、アルキデスがひどい言葉を放って以来で、サーマリは少し気まずく、目が合わせられなかった。 「サーマリ君、この間の使い魔は?」 「え? えっと……」 そして、誰も触れなかった、アルキデスのことを聞いてきた。サーマリは狼狽し言葉に詰まる。 「あ、じゃあ、やっぱり、あれサーマリ君の使い魔だったんだ。私ね、今空中浮遊の授業やってたんだ」 空中浮遊とは物体(箒など)に魔力をかけて、空を飛ぶ技術のことである。それに乗って、競争をしたり、規定のルートを飛行したりする。 「それでね。他のみんながビューって先に行っちゃって、私スピードについていけなくて、一人だけ迷子になっちゃったの。しばらく森の上空を彷徨うことになっちゃった」 アーシアさんらしいなと、サーマリは思った。 「それで?」 「うん。それでね、その時、黒い生き物とすれ違ったの。サーマリ君の使い魔に似ているな~と思ったけど、サーマリ君いないから見間違えかと思っちゃった。……でもここにいなってことは、やっぱり見間違えじゃなかったみたいだね」 アーシアの説明に、サーマリも間違いなくアルキデスだと確信をもった。そもそも悪い意味で目立つ外見だったのだ。 続けて、アーシアは注意を促した。 「あそこの森は危険なモンスターも多いから、早く助けにいってあげたほうがいいかも。空を飛べるとはいっても、使い魔の小さな体じゃ、急に襲われたりしたら一溜りもないと思うし」 それを聞いて、サーマリは何も言葉を返さず、教室の方に向けて足を動かした。 「あれ、サーマリ君、助けに行かないのー?」 不思議そうに疑問を投げかけるアーシアを無視した。 サーマリは教室に戻る。 そして自分の席に座った。 サーマリは先程もう使い魔と決別しようと思っていたばかりだったのだ。 見殺しにしようと思ったわけではない。 空は飛べるし、あのずる賢いアルキデスなら大丈夫だと思っていたからだ。 日常を再び壊したくないサーマリ。 しかし、座っていると、前日の様々な言葉が、頭を過ぎってきた。 ――俺はお前そのものなんだよ 何故かその言葉が強く印象に残っていた。 そしてその言葉に、何で触発されてしまったのかはわからない。 気がつけばサーマリは、走り出していた。 教室を出て、廊下を。 外に出る。 サーマリは学校を飛び出した。 アルキデスのいる森へと向かった。 ○ 「何をしているんだ僕は!」 走りながら、サーマリはそう呟いた。 自分自身でもよくわからない行動だった。アルキデスはどうしようもない使い魔だ。いなくなった方がいいとも思う。 しかし、あれは僕が創ったものかもしれないのなら……。 サーマリ自身、まだ迷いがある状態で、森に入る。 この辺りの森といえば、街を抜けてすぐにある広大な森を指す。薬草や調合素材が多く取れるため、それを目当てに多くの人が向かうのだが、危険も多かった。アーシアも言っていたように、獰猛なモンスターが徘徊しているのだ。 周囲を警戒しながら、森を走っていく。 サーマリは走る、 走る、 走る、 走る、 上空を見ながら、森を駆け巡った。 黒い姿を探すが、なかなか発見はできなかった。 それもそのはずで、森は相当な広さで、単純に人を探すとなると大ごとだった。ましてアルキデスは人よりも、ずっと小さいのだ。 無策で飛び出して来たことに、サーマリは後悔し始めていた。 既に街からは大分離れてしまっていた。 しかし、あてもなく森を走っている時だった。 そこであっさりとサーマリは発見してしまう。 声が聞こえてきたのだ。 森の中で、聞き覚えのある濁声が響いてきた。 何やら怒鳴っているようにも、サーマリには思えた。その方向に足を向けると、そいつはいた。 アルキデスは野獣に囲まれていた。 真っ白い毛で覆われた野獣のモンスター。 こいつはホワイトウルフといわれ、危険なモンスターとして人々から認知されている。 そのウルフ数匹は、アルキデスを取り囲み、目を血走らせながら、なにやら怒っているように見えた。そして、それに向かって、言葉を放っているアルキデス。 一体何を喋っているのかと、サーマリは近づいて聞いてみる。 「おうおうおう! テメーら、何偉そうな顔して、歩いてんだ! ○○○見たいな顔しやがって、ああん? この辺では多少腕が立つからって、調子こいてんじぇねーぞ。井の中の蛙ということを、自覚しやがれ。このすっとこどっこいが!」 野獣の群れを相手に、喧嘩を売っていた。 呆れ返るサーマリ。 ホワイトウルフからは、強い敵意の視線がアルキデスに注がれていた。言葉の意味こそわからないものの、なんとなく侮辱されているのがわかったのかもしれない。 そうして、ウルフの一匹が、アルキデスに向かって飛びかかった。 そこで、サーマリは飛び込んで、助けに入る。 「何をやっているんだっ、アルキデス!」 ホワイトウルフの鋭い爪が、サーマリの頬を掠めた。なんとか躱し、そして地面に倒れ込む。 間一髪のところだった。アルキデスを左手に掴み、無傷でウルフからの攻撃を避けることができた。 「お? サーマリか。おめぇ俺に姿を表わすなと言っただろう」 そこで、アルキデスはサーマリに気づき、早速不満の声をあげた。 「とりあえず、話は後だ、とにかく逃げるぞ」 起き上がって、アルキデスを掴んだまま、走り出す。 しかし、すぐに後ろからウルフ達が、追ってくる。 逃げるサーマリ。 走りながら、短い詠唱の後、右手に無数の小さな炎の玉を出現させた。それを後ろから追ってくるウルフに向け放った。炎の玉は高スピードでホワイトウルフに向かっていき、全てに直撃した。若干飛ばされ体勢を崩す。しかし、すぐに起き上がり、サーマリ達に敵意の視線を向けていた。 この隙を突いて、出来るだけ急いでウルフ達から遠ざかる。 そしてサーマリは、この瞬間に敵の数を把握していた。 「全部で八匹か」 「ああ……で、何しにきたんだ?」 走りながら、左手で握っているアルキデスが訊いてきた。 「お前こそ、こんなところで何をしていたんだよ」 質問には答えず、逆に問い返す。 後ろのウルフ八匹は、体勢を立て直しており、サーマリ達を走って追っかけてきていた。しかし、先制攻撃を喰らってしまったためか、若干追う速度は鈍っていた。 「使い魔ってのはよ。主人に不要だと言われた時点で、終わりなのよ」 走っている最中、アルキデスは淡々とそう答えた。 「だ、だからって死のうとすることはないだろう!」 狼狽しながらも、サーマリは怒ったように言う。 「別に死のうとしていたわけじゃないさ」 「じゃあ、ここで何をしていたんだ?」 「ムカつくんだよ、お山の大将気取りな奴は。この森で一番強いのか知らないが、やたら偉そうな態度が気に喰わなくてな。ただ、それだけさ」 ――――こいつ……! と、サーマリは思った。 自分自身、努力もせず、実力もないにも関わらず、威張り散らしているタイプの生徒を酷く不快に思っていたのだ。 やっぱりこいつは。 アルキデスは……。 自分に似ているのかもしれない。 この時サーマリはそんな風に思ってしまった。 「おい、しかし、どうする? このまま街まで逃げるつもりかよ。結構な距離あるぞ」 「街に逃げるのはなしだ、街に被害が出る可能性がある」 「戦うとはいっても、この数ではきついだろう」 ホワイトウルフはかなり強い部類のモンスターだった。大人のそこそこの術者でも、まともに相手をして勝利するのは難しい。それも一対一での話である。 サーマリはかなり足には自信があったが、それでも野獣から逃げ切れる程ではなかった。まともに走り合っていたら、いつか捉えられてしまう。サーマリは時々、軽く炎の魔法を後方に放ち、追撃を鈍らせているが、いつまでも通用しそうにはなかった。 「アルキデス、上空から、洞窟を探してくれないか?」 そこでサーマリは提案した。 「洞窟?」 「この辺りは雨風を凌ぐために、人工的に造られた洞窟がいくつも点在しているんだ」 「そんなところに行ってどうするんだ。逆に追い詰められるだけだろう」 「いいから、急いでくれ」 そう言うと、仕方ないといった感じで、アルキデスは上空に飛び立った。 そしてすぐに戻ってくる。 「あったぞ」 「よし、大体の方角と距離を教えてくれ」 「北東だ。走っていれば、すぐにつく」 運のいいことに、すぐに近くにあったらしい。 サーマリは北東の方向に足を向ける。 その間に、二体のウルフが後ろから飛びかかってきた。 サーマリは軽く左に飛んで、二体の攻撃を避けると、球体状の炎を、掌に二つ作った。そして、そのまま襲ってきたウルフに向けて放つ。 腹に直撃し、ウルフ二体はそれぞれ近くの樹木まで飛び、叩きつけられる。 しかし、ダメージはあったものの、致命傷には至らないようだった。白い毛皮の奥は硬い皮で守られているのだ。ゆっくり起き上がっているのが見えた。 そのまま、洞窟に向かって走るサーマリ。 後ろからは、別の六体のホワイトウルフが追ってきている。 「ほう、サーマリは炎使いの魔法使いか」 飛びながらついてくるアルキデスは、関心したかのように呟いた。 「雷と風も使えるよ。炎に比べれば若干劣るけれど」 「優秀だな」 本心から言っているように、サーマリは思えた。 「……それより、お前、逃げなかったんだな」 「あ?」 「洞窟を探してくれと言った時のことさ。飛べるんだから、僕なんか無視して逃げればよかったのに」 先程アルキデスに命令した時に、サーマリはその可能性もあると考えていたのだ。 しかし、 「馬鹿かお前は。主人の命を無視して、逃げだす使い魔がどこにいる」 アルキデスは、さも当然といった顔で、そう言い返してきた。 「……それなら普段から、もっと僕の命令に従ってくれ」 これまでのアルキデスの奇行を思い出していたが、妙なところで義理堅いところがあり、意外な思いをサーマリは感じた。 そんなやり取りをしながら走っていると、洞窟を視界に捉えた。 一旦後ろを向いて、後方に三本の火柱をたて、後ろから来るウルフ達の追尾を鈍らせる。その隙に洞窟に入る。 そこそこ大きな洞窟。 人の四倍はある巨人モンスターでも優に入れるであろう洞窟は、薄暗く、奥行きも深かった。 サーマリは奥に向かって、走る。 ぜえぜえと苦しそうに漏れる声が、洞窟内に反響した。 ここまでアルキデスを探して、森を走り回った。それからホワイトウルフから逃走しながら、魔法もいくつか放ったのだ。さすがにサーマリは疲労を隠せないでいた。 やがて、洞窟の突き当りまで進む。 そこで立ち止った。 「おい、行き止まりになったぞ。どうするんだ?」 「アルキデス、お前、目が良かったな」 「あ? まあ、人間よりはいいと思うが……」 「じゃあ、八匹全部が、この洞窟に入ってきたら合図をくれ」 「合図? もう既に一匹入って来ているが、大丈夫なのか?」 「いいから」 サーマリが強く言うと、アルキデスは洞窟の入り口の方へ視線を集中させた。 足音が同穴に聞こえてきた。 最初に入ってきた一匹が、すごい勢いでサーマリ達に向かってきているのだ。 サーマリは静かに詠唱を口にしている。 彼には、何匹か入ってきているのが見えたが、正確な数は把握できないでいた。アルキデスを信じるより他はなかった。 そして、ホワイトウルフの一匹が目の前に現れる。 そいつはサーマリ達を確認すると、迷わず飛びかかってきた。 鋭い牙を見せ、サーマリの肩を目がけて飛んでくる。 そのタイミングで、アルキデスが声を荒げて言った。 「八匹全部、洞窟に入ったぞ!」 その言葉と同時に、サーマリは詠唱を終える。 「冥界より現成し地獄の業火よ。悪しき魂の一切を焦熱させよ――!」 彼は手を前に繰り出して、そこから強力な魔法を放った。 その炎はサーマリの前方の洞窟内を、隙間なく埋め尽くす―― 飛びかかってきているウルフ、 最後に洞窟に入ってきたウルフ、 その間にいたウルフ、 それらはサーマリの放った魔法を避けることができない。 逃げ場を失った野獣たちは、その荒れ狂う炎の餌食となるしかなかった。 二人の前方の洞窟全土を埋め尽くす、燃え盛る火焔。 モンスター達は全て、その炎の海に飲み込まれ、もがき苦しみやがて動きを失った。 それは、野獣たちを、一瞬で灰燼に期すほど強力なものだった。 炎が消えた後には、洞窟内にアルキデスとサーマリを除き、動くものはなくなっていた。 「おぉ、すげえ」 まだ熱気が残る洞窟内で、アルキデスは感嘆の声を上げた。 サーマリは座り込んで、岩場にもたれかかった。 「でも……今の魔法は一日一発が限度だ。魔力が空になることはないが、大幅に消耗してしまうらしくてね。僕もまだまだだ」 肩で息をしながら、サーマリは説明する。 「洞窟内に誘い込んだのは、一瞬でかたをつけるためだったか」 「まあね」 走ったことと、今の魔法で体力と魔力を随分奪われたため、荒い息遣いをしながらそう返す。 しかし、なんとか危機を脱したことで、サーマリは安堵していた。 ○ 薄暗い洞窟。 入り口からの陽光で、僅かに視界がきく程度だった。 そんな中、サーマリは岩場にもたれかかり、体力の回復を図っていた。 少し呼吸が落ちつくのを待ってから、サーマリは目の前の黒い生き物を見る。 「アルキデス」 そして、自分の使い魔に向けて、口を開く。 「昨日から色々考えた。お前なんかいないほうがいいとも思った」 顔の前をパタパタと飛んでいるアルキデスは、黙って主人の言葉に耳を傾けている。 「だけど、お前は僕が創りだしたものかもしれない。だから……」 そう言って、サーマリは人差し指で、アルキデスの小さな手を握る。握手の格好だった。 使い魔の手は体温を感じず、サーマリは冷たい印象を受けた。 「逃げないよ。君から……そして、僕自身の心から」 強い覚悟を持っての言葉だった。 使い魔の眼をしっかりと見て、自身の思いを伝えた。 しかし、それを受けて、笑いだすアルキデス。 「くっくっく」 そして、突拍子もないことを口走る。 「俺は本当は、お前に世界征服をして欲しいと思っているんだがな」 おかしな言葉に、サーマリは一瞬固まった。 しかし、そんな言葉も、アルキデスらしいなとも思った。 サーマリは最後に、 「お前の思う通りになんかならないよ、ばーか」 と、アルキデスの言葉に対して、冷たく罵り返した。 人に向けて悪口など言ったこともなかったサーマリ。 しかし、その胸中は、どこか晴れ晴れとした気分が巡っていた。 |
銀河 2017年04月30日 21時54分31秒 公開 ■この作品の著作権は 銀河 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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