孵らない卵 |
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小学校の頃、鶏小屋の卵が野球のボールにすりかえられる事件が起きた。
当時、飼育係だった私は孵らない卵を温める鶏を見てひどくむなしい気持ちを覚えた。男子生徒の悪戯だとわかっていたのに、誰がやったのか問い詰めても犯人は出てこなかった。確証が持てなくて犯人を責めることもできなくて、とてもやるせない気持ちになった。
命を育むのは生物として最も重要な事だと私は知っていた。生き物の世話が好きで飼育係をしているのだから、そういったことへの興味は人一倍あったつもりだ。けれど、その日を境に、私は人間の……特に男の人間のことがあまり好きではなくなってしまった。彼等をとても傲慢な生き物だと思ってしまったのだ。
幼かった私はまだ純粋で、そんなつまらないことでいちいち傷ついては、母に泣きついていた。母は命の尊さを私に説いてくれた。男と女が支えあって初めて一つの命を授かる事ができるのだと教えてくれた。それと一緒に、私達が他の生き物の命を奪いながら生きているのだということも語ってくれた。
だからといって彼等の罪を許してあげようとは思えなかったけれど、仕方の無い事なのだと割り切って、次の日からまた鶏の世話を続けるようにした。
鶏は毎朝卵を産む。けれど雌鳥しか居ない小屋の中では新たな命を授かる事はできなかった。この子達が産む卵は無精卵といって、決して孵ることのない卵なのだそうだ。それを知ったのはもっと大きくなってからのこと。始めからそれを知っていたら、男子生徒のつまらない悪戯ごときでこれほど悩むことも無かったのかもしれない。
今になって思い出したのは、なぜだろう……。
「おーきーてー……ねえ、さとみ、起きてる?」
ぼんやりとした、まだまどろみの中から抜け出せないでいる私に、優しい声で話しかけてくる彼女は、大学で知り合った同じサークルの女子生徒。一人暮らしをはじめて間もない頃、まだ何もわからなかった私に色々と教えてくれたのは彼女だった。
名前はカオル。今は同じ部屋で寝泊りしている。ルームシェアの方が安上がりだから、とは彼女の言葉で、私はただ彼女と一緒に居たかったから二つ返事で承諾した。
「起きてるよ、起きてるからそこ触らないで」
「じゃあもっと早く返事をしなさいってば」
「ごめんごめん……」
「んあれ? 泣いてるの? なんか嫌な夢でも見た?」
私の目尻に浮かぶ粒をすくいあげて、彼女は上から覗き込んできた。薄い色のルージュの口紅と、二重のきょろっとした瞳で私を心配していた。お風呂上りで濡れたままの髪で私の首筋をくすぐるのがこそばゆい。
「ちょっと昔の事を思い出してたの」
「ふーん。それって、昔の男の事?」
「違うよ……でも、ある意味そうかも」
少し意地悪な答え方をしてみせると、彼女はちょっとだけ不満そうな顔をした。
そんな彼女の事をしっかりと抱き寄せて、私は布団の端を掴んだ。
「せっかくお風呂入ったのに、またするの?」
「……うん。だめ?」
「いいけど」
仕方ないなと、どこか諦めたような表情を見せた彼女にそっと手を伸ばす。
温め合うとすぐに布団は要らなくなってしまう。
お風呂上りだから、彼女の体温は少し高くて、いつも以上に汗ばんでいた。
命を産まない非生産的な行為は、咎められて然るべきだと、あの頃の私ならばそう言ったかもしれない。けれど、たとえ生物として間違っていたとしても、誰かを愛する事はできる。それは私が人間だから。
だからこうやって、私は今も彼女と一緒に孵らない卵を温め続けている。
自然に反した行為だとしても、それが私の生き方だから。 |
たぬき 5a/fKBGXWg
2017年04月30日 01時31分57秒 公開 ■この作品の著作権は たぬき 5a/fKBGXWg さんにあります。無断転載は禁止です。
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- ■作者からのメッセージ
- ◆キャッチコピー:それが私の生き方だから。
◆作者コメント:少し性的で特殊な要素を含みますが、できる限り嫌悪感は抱かせない書き方をしたつもりです。
※17.5.22 誤字修正
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