クランデーロのチェコ |
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0 胎歴216年というから、今から千年前のことである。 セジという村の外れに住み着いた魔女の記録が、タイシャ国風土記にわずかに残されていた。 その魔女は薬草や呪(まじな)いでもって、病を癒していたという。 当時は、魔素という毒による汚染が著しく生きものにとって厳しい時代であった。今のように進んだ医学も科学もない時代でありながら、史書に名が残る魔女とはどのようなものであったか。 少ない手掛かりを頼りに調べていくうちに、奇妙な文字列が幾度となく浮かび上がり、ようやく一つの結論を思い浮かべるようになった。 つまり、歴史書は本当に真実かそれに近いものを伝えているのではないか、ということである。 まず、タイシャ国風土記覚え書きによると、魔女は異世界より来たとある―― 1 「ねぇちゃん、またそれ食ってんの?」 薬師見習いのタオが、チェコの手元をのぞき込んで言った。後に、王宮付きの医導師にまでなるタオも、この時は十歳であった。 彼岸花の球根を粉にして水に漬け、乾燥させて無毒化させたものだ。今で言う、でんぷん粉である。それに、蜂蜜を混ぜて焼いた。 早朝は庭の薬草畑の手入れをして、今は患者が来る前の腹ごしらえである。 「うっさいわね。あんたたちのが食べれないんだから、しょうがないじゃん!」 魔女は森の植物以外を口にしなかったらしい。村人が普段主食としている穀物や肉は、どれを食べてもひどい腹痛と下痢におそわれたようだ。 この時代の動植物は魔素に適応するために、アレフス脂肪酸を体内で生産しており、それはα2消化酵素がなければ消化できないことが分かっている。 アレフス脂肪酸は強いえぐみがあり、いくらアクを抜いても彼女には食べることができなかった。 ただ、森に生える毒性植物に関しては無毒化させる方法をみつけていたようである。 「あたしだって、お米が食べたいのよ。ピザにカレーにハンバーグが食べたいの! 文句ある!? この気持ちがあんたに分かる!?」 彼女の記録を追っていくと、再々意味の判別しかねる単語が出てくる。異世界というのは誇張であっても、異国から来たという可能性は否定できない。 だが、アーカイブに単語検索をかけても、当時のどこの国の言語にも彼女が使っていたと思われる単語は出てこないのである。 「はんばぁぐ? あぁ、ねぇちゃんが来たニホンとかって国の食べ物だっけ?」 木でできたベッドとイス、床を掃除しながらタオは返答した。彼にしてみれば、わりと再三聞く単語だった。 「いいから、早く食べちゃってよ。朝一でミオちゃんが来るんだから」 彼女が住む家は木造の一軒家で、森の入り口にあり住居兼診療所だった。タオはそこに村から毎朝通ってくる。今日は、出かけに村長から四歳になる孫娘の診療予約を受けた。 「ハンバーグは神ね。いえ! ジャンクフードに添加されたグリシンはもはや悪魔的とさえ言っていいわ!」 故郷のことで熱弁を振るい始めると止まらなかった、と後にタオは自伝に記している。 「あぁ、アニメが見たい。最強ロボ、ゼッタイダーのラストはどうなったんだろう……。魔法金属ヒヒイロカネは取り戻せたのかなぁ……」 過去のトラウマでも思い出したのか、急にしおれていってしまった。 熱しやすく冷めやすい。一見、理性的であるが実は狂気に犯されている。 タオの自伝には、チェコのことをそうある。冗談として書いたのか、本気だったのか今はもう分からない。 ともかく、村長の娘であるエイナが孫娘のミオの手を引いてやってきた。 エイナは長い黒髪を後ろで丁寧にまとめ、白い繊維で織ったゆったりした服装をしていた。肉体労働向きでないそれは、そのまま村内での地位の高さを示している。 「せんせー、なでて~」 ミオはチェコを目にすると、元気一杯で走ってきて足に抱きついた。 エイナがお産の時に、ミオを取り上げたのがチェコだった。旅先で産気づいていたエイナに偶然出会い、ミオの状態が落ち着くまでという約束で村に住むようになった。なので、チェコにとってもミオは娘のようなものだ。 「おっ、元気になったね、ミオ。いいよ。ほら、服脱いでベッドに行って」 チェコは、いつものように笑ってミオの頭をなでると、お尻をベッドに押しやった。 「ミオちゃん、調子いいようですね」 消毒液を入れた壷に両手を浸しながら、エイナに語りかけた。 一切の医療機器のない当時の診断は、五感がすべてであり、患者の足音、声色、匂い、肌の様子でもって見抜くことが求められた。 これらを四診と言う。 四診には望聞問切の四種類があり、見ただけで病の本質を見抜く望診を習得した者を上工(一流医師)とし、病体を触ることでようやく診断ができるような未熟な者は下工(藪医者)と呼ばれた。 「ええ、おかげで。でも、元気になったらお転婆で困るわ」 タオが木の椅子をエイナの元に持ってきた。続いて、衝立(ついたて)をベッド周りに立てて、誰かが突然やってきても最低限のプライバシーは守れるようにした。 あとは、帰りにエイナに渡すように指示されていた薬液を用意したり、雑用をこなしているふりをしながらチェコの声に耳を傾けた。 「もう湿疹も全部枯れてますね」 ミオを全裸にして、チェコは確認した。膿加湿と呼ばれる湿疹が全身にでていたのだった。 幼児がよくかかる病気で、こじらせると高熱が出て、大人にも伝染するようになる。 湿疹が盛って出ている間は、チェコが村長の家に往診していたが、ほぼ完治したのを確認したので、五日後に来るように言ってあった。 その五日後が今日である。 「ミオね、せんせーの言うとおり、お薬ぬって、かゆいけどかかないように我慢したんだよ」 ベッドの上に寝ころび、ばたばたと足を振りながら自慢げな顔で振り返った。 「そっか、賢かったね。じゃあ、頑張った子には足が早くなる魔法をかけたげよう」 右手に小さな銀の棒を持ち、チェコは左右の手でミオの体を軽いタッチで撫で始めた。 ”小児はり”という鍼灸治療の技である。 筋緊張緩和、毛細血管拡大、抹消血流量増加、間脳性反射抑制、免疫抵抗賦活などの効果が今でこそ確認されているが、当時の住民にしてみれば魔法のように見えただろう。 「ほんと!? アユちゃんより速くなれる?」 「頑張ればねー」 笑いかけながら話している内に、治療は終わった。 「もう心配ないですね。治療にも来なくていいですよ」 エイナの方を向いて、ほほえみながら言った。 「え~、やだぁ。また、来る~」 「治療には来なくていいけど、遊びにだったらいつ来てもいいよ。ほら、起きて服着て」 いつまでも横になっているミオの背中に手を入れ、起きるようにうながした。 「ほんと!? 遊びに来ても、あのお薬くれる?」 桔梗と甘草を水飴で練った、咳の薬のことだ。小児の治療には”お駄賃”として大人しくしていた子に、一嘗めさせてやっていた。 水飴は貴重で、王都に行った時に買い込んでくる。子供を手懐けておくことで、チェコが村に受け入れられている部分も少なからずあった。小児治療は無料で行っていたので、日によっては保育園のようになる。日中、大人たちは、その間に農作業をするのだった。 「今日みたいに、賢くするんならね」 チェコは手を洗ってから、ミオに水飴をやり、タオに用意させていた小瓶を持って来させた。 「これは?」 エイナが小瓶を開けると、中には琥珀色の液体が入っていた。 「村長さんの、かゆみ止めですよ。いつもの。そろそろ、かゆみの出る時期になりますからね」 老人性掻痒症は現代においても、難病である。 ただかゆいだけで、緊急性がないために研究がなされてないということもあるが、止まらないかゆみは相当の苦痛をもたらすのだった。 「いつも、ありがとうございます。本当に、助かります。かゆみが出るとおじいちゃん、機嫌が悪くって悪くって」 「ホウセンカの白い花びらを、焼酎に漬けただけですからね、作り置きしとけばいいんですよ」 「そう先生に教えていただいて、作ってみたことあるんですけど、私じゃうまく作れないみたいで。先生にいただいて来いって言ってしょうがないんですよ」 ホウセンカは、現代では絶滅してしまった植物であるが、遺伝子研究の成果により抗炎症・抗アレルギーの成分が含まれていたことが分かっている。 「まぁ、確かにちょっとしたコツがあるにはありますから」 エイナが治療代として、硬貨を三枚おいた。その内の一枚を返す。 「ちょっと、王都まで行かなくちゃならないんです」 時折、チェコは家を留守にして森の奥や王都の方にまで出向いていた。 「また、留守をお願いします」 「分かったわ。たまに様子を見に来ておいてあげる」 2 王都まで、行商人の乗り合い馬車で十五日かかる。 調合した薬を背負い、フードで顔を隠し、全身を薄汚れたマントで包む。食料は蜂蜜を焦がし、栄養価の高い丸薬をいくつも用意した。 なじみの薬草屋に薬を売り、仕入れ、治療用の道具を注文するためには王都に足を運ばなければならなかった。 「おやっさん、またお世話になります」 チェコは、日暮れ前に街道宿までやってきた。顔なじみの御者の男性を見つけ、フードをあげて顔を見せた。 御者は宿の前の空き地に馬車を停め、馬から馬具を外しているところだった。 宿の前には、馬車の轍のついた道が南北に走り、麦畑の間を縫うように人間の通る道が近在の村まで延びている。 「おぅ、せんせかよ。せんせが居てくれると助かるぜ」 旅なれた商人たちとはいえ、病気になることや怪我をすることもある。簡単な薬を持っていたり、ある程度治療法を知っている者もいるが、専門的になると無理だ。 「いえ、こちらこそ」 だいたい、いつも治療代で運賃を賄うことができた。それで、近頃は無料で乗る代わりに、患者となった者は馬主に治療代を支払う段取りにしてもらった。 現金の授受をしないという、野盗対策だ。 「どうだ、このままここでずっと働いてくんねぇかな」 馬主は治療代でかなりの利益を出しているようで、乗るたびに御者は勧誘してくる。 「ありがとうございます。でも旅暮らしは、体に辛くて」 笑って適当にごまかした。元冒険者だった御者は空気を読んで、いつものようにニヤリと笑い返してきた。 「さっそくで、悪ぃんだがね。一人診てやっちゃくんねぇかな?」 言いながら、御者は宿の二階に目を向けた。 「王都まで、娘の結婚式に行く途中らしいが、足が木のコブみてぇに腫れあがっちまって、熱もある。それでも、どうしても行くって聞かねぇんだが、こんなんじゃ乗せるわけにもいかねぇ」 うなずいた。連れられて二階の部屋にやってくると、ドアの前には一人の青年がもたれ掛かっていた。 「王都から呼んだ、医導師のせんせが間に合ったぜ」 チェコに目配せしながら、御者が青年に向かって話しかけた。青年は、堅そうな素材の服に刃のついてない短槍を抱えており、どうやら護衛のようだった。 「こちらの馬主から連絡を受けて、駆けつけました。チェコと言います」 御者のアドリブに乗った。臨床を着実に進めるためには、患者の虚勢と金の匂いにも敏感でなければならない。 「医導師? そんなことは、今まで一度も言ってませんでしたよね?」 青年が不振そうな顔を見せた。 「そりゃあね。間に合わなくて、がっかりさせちゃ申し訳ないし」 素知らぬ表情で御者は答えた。 「患者は部屋ですか?」 青年を無視して部屋に入ろうとすると、腕を捕まれた。「本当に、医導師ですか? 見たところ若すぎるし、それに女性だ」 街道宿が、盗賊の根城になっていることはよくある。青年が警戒するのは当然だった。 腕を握る力加減から、チェコは青年の実力に見当をつけた。 四診における切診は、触れることで患者の状態を把握する。極めれば、逆に触れられることで、相手を知ることも可能だった。 「医導に必要なのは、経験であって年齢ではありません。性別も同じです」 青年の顔を、まっすぐ見つめなおした。 「私が、本物かどうかは、あなたか、あなたの主人がその目で判断するしかないでしょう?」 抑揚をつけて、真摯な声に聞こえるように言った。当然、安普請のドアの向こうに”偶然”聞こえるようにだ。 「セルバ。入っていただいて」 ドアの向こうから、疲労の滲んだ中年女性の声がした。 「いいんですか、奥様」 「盗賊であろうと偽医導師だろうと、治してくれるのなら文句はないわ」 しぶしぶといった様子で、セルバと呼ばれた青年がドアを開けた。 見知ったベッドとテーブルと窓。中年の女性がベッドで横になっていた。 部屋に隠(こも)った匂いと病の気配を、素早く見取った。予後の判定は、一瞬の気配を読めるかどうかにかかっている部分もあって、病の趨勢は匂いに混じって部屋に充満するのだ。これを”聞く”として、聞診という。 「いつからです?」 気軽く話しかけながらも、患者の一挙手一投足に注意を向けた。 瞬き、視線、呼吸、動作と仕草。もちろん、声の音程や肌の色つや、体臭、すべてが治療を行ううえでのヒントになる。見逃していいものは、一つもない。 「四、五日前からね」 旅嚢から治療道具の入った包みをいくつか出して、テーーブルに置いた。 「患部を見せていただきますね」 この場にいる全員から注視されているのを、気づいていないかのように何気なく布団をめくった。 右足首に包帯が乱雑に巻かれ、拳大ほど腫れているようだ。 包帯を解くと、足首の外側が赤黒く腫れ上がり、盛り上がりの中心には治りかけの引っかき傷があった。べったりと軟膏が塗られているだけで、治療したような痕跡はなかった。 「何があったんですか?」 患部は当然ながら熱を持っていた。中が膿んでいるのは間違いない。中心部の皮膚はかなり薄くなり、軽く触れるとブヨブヨした感触がある。 「獣に襲われた。ガルだ」 セルバが悔しそうに口を挟んだ。ガルは四つ足の獣で、集団で襲ってくることがある。 「一刻も早く、王都に行って宮廷医導師に見せたい」 この時代は、まだ獣化病という迷信が蔓延っていた時代だ。獣に襲われれば獣になると、まことしやかに言われている。 ウィルスなどという概念などあるはずもなく、狂狼病ウィルスが発見されたのは近年になってからである。 「獣化病の心配をしているの?」 患部を子細に診ながらチェコは言った。 「獣化するなら、もっと早い時点で獣の紋(しるし)が出るはずだけど、この人は患部以外に異常がない。獣化病はないわね」 ばっさりと切り捨てるように鑑別した。チェコが、狂狼病についてどこまで知っていたかは分からない。ただ、弟子のテオが受けた王宮医導師の見習い試験では、獣化病について完璧であったことから、チョコも相応の知見があったはずである。 「ただ普通の毒が入って、ただ普通に膿んでいるだけね。そして、その毒もほぼ膿みきって腐ったものが溜まっているだけよ」 膿みを出し切れば、それで治療は終わる。チェコはそう言っているのだった。 「どうやって出す? まさか切り開くのか」 青年が色めき立った。体を切り刻む外科治療は、卑しい行為だとするのが当時の常識だ。薬石でもって治療する内科こそが尊いのである。 「卑しい外科治療を受けて、足が腐り落ちた人間を知っている。獣化病でないのなら、なおさら王都まで行って正しい治療を受ける」 青年が強引にチェコと中年女性の間に割って入った。 「そうね、好きにするといいわ。死にたいと言う人を助けるほど私も暇じゃないし」 テーブルに出した道具の片づけを始めた。 治療拒否。よくあることだった。それで患者が死ぬなら、死ねばいい。チェコの診療記録を追っていくと治療方針から、そういう性格がかいま見える。 「待って。このままだと、私が死ぬっていうの?」 中年女性が、面白そうだといわんばかりの顔で言ってきた。今までの経験から言うと、この手の表情を向けてくる患者の相手は面倒臭くなることが多い。内心で舌打ちしながらもチェコは平静を装った。 「いえ。たぶん、一両日中にこのコブが裂けて、中の膿が大量に出てくるでしょう。うまくいけば、それで治って終わりです」 「うまくいかなければ?」 「毒が全身に回って死ぬでしょう」 「あっさりと言うのね」 「医学というのは、客観的事実を述べるものですから」 ほんの一瞬だけ、見つめあった。 「治療はどうやるの? 切るのかしら」 「いえ。すでに膿が出る道ができあがっています。鮮血が出るまで、徹底的に押しつぶせば血によって毒はすべて洗い流されるでしょう」 あとは、毒消し液を染み込ませた綿を膿道から皮膚内に入れて消毒し、念のために内服用の毒消しを煎じて飲めば終わりだ。 「その綿はどうするの? 入れっぱなしでいいの?」 「すぐ抜き取ります。その瞬間は再出血するし、少し痛いです」 かすかに思案する表情をしただけで、中年女性はあっさりと決断した。 「いいわ。その治療をやって」 3 魔王湯という飲み薬がある。 現代においても、販売されている薬でドラッグストアで購入できる第二類医薬品である。 ただし、名称は同じでも当時の魔王湯は、しょう気の森のさらに北、北方山脈の乾燥地帯に生える多年草が主成分になっており、今とはまったく別物だった。 この草を麻黄(マオウ)と呼び、胎歴885年に植物性アルカロイドであるエフェドリンが構造解析された。 エフェドリンは、言うまでもなく覚醒剤の原料である。 4 王都は、王宮と一般市街とが川で分断される地形になっていた。 川の上流から用水を引き、飲料用と汚水をわけている。 その飲料用の下流で、野菜類を洗うことになっていた。 昼下がり、チェコは一人で洗い物をしている小太りの中年女性に声をかけた。 「こんにちは。魔王湯っていう”岩(ガン)”に効く薬を売っているお店を教えてもらえませんか?」 ”岩”とは、内蔵にできる不治のしこりのことで、激しい痛みと衰弱のすえに死んでいく病気のことだ。 現代で言うところの悪性新生物。つまり癌と思われる。 「母が岩になってしまって。噂を聞いて、やってきたんです」 適当に嘘をついた。そもそも、店も知っている。 「それは大変ねぇ。大通りのテトの薬草店で買えるわよ」 女性は洗い物の手を休め、立ち上がって振り向いた。 「そうなんですか。でも、それで岩が治るんでしょうか?」 「治るってとこまではいかないらしいよ。ただ、痛みがずいぶん楽になるみたいね」 癌性疼痛は、現代においても難問である。強い麻酔が必要とされるものの、強すぎれば呼吸が止まって死んでしまう。薬剤での疼痛コントロールが非常に難しい。 「そうですか、ありがとうございます。なんか、最近、あんまり効かない、みたいな噂を聞いたものですから」 テトの店に、魔王湯用の薬剤を卸しているのはチェコだった。 医導の記録をたどると、胎歴の210年前後から薬剤の処方が激変している。 それまでは、薬と言えば薬効のあるとされる単一の木の根や草を煎じたり、皮膚に直接貼り付けたりするだけのものであったのが、複数の薬剤を組み合わせ効果を増強または減弱させることで、それまで毒草とされていたものも薬剤として利用するようになっている。 今までと異なる方法で薬剤を組み合わせるので、これを異方薬とし、それまでの処方を古方薬と呼ぶようになっていった。 異方薬の作成には、修治(しゅうち)といって収穫した生薬を酒で炙るなどの、特別な加工が必要だった。 異方薬には複雑な薬理大系があり、自然発生的に伝統的な薬草療法が進化したとは、とうてい思えない。 誰かが異国、もしくはそれこそ異世界より持ち込んだすれば一番説明がつく。 「そういう噂もあるわね。でも、払うお金にもよるって聞くし」 テトの店は王都でも一番の店で、阿片という麻薬も扱っているという噂もあった。阿片は中毒性があり、この時代においても国法で禁じられている。 「分かりました。とりあえず、行ってみることにします」 テトの店は、大通りに面した大きな店だった。 古方薬は店内に並べられ、異方薬は包み入れられてカウンターの奥に展示するように陳列されていた。 カビっぽい特有の香りが店内には充満し、異方薬を求める住民が行列になっている。 顔見知りの店員がいないことを確認してから、チェコも魔王湯の行列に並んだ。 お金がないふりをして、一包だけ買った。 大事そうに両手に抱えて店を出、人気のない裏路地に入るとさっそく包みをあけた。 必要なだけの薬剤が入っていない。 それは、持った時の重さから予想がついていた。いくつか小さな木の実と根を口に含むと、思った通り酒で炙らずに単に火で炙っただけだった。 なにより、除去しなければならない”節(ふし)”が入っている。 これでは、薬効が期待できないどころか、むしろ逆効果である。 「お前、どこの薬屋のもんだ?」 ガラの悪そうな若い男が路地に入ってきた。連れはなく、素手のようだが腰には大振りのナイフが見える。 「あんたは?」 フードの下から、上目に覗くようにしてチェコは言った。 「聞いてんのは俺さ」 チェコは男を無視してフードをあげ、魔王湯の包みを大事に懐にしまった。 「場合によっちゃ、それを卸してやってもいいんだぜ?」 下卑た笑みだった。 「国一番のテトの店も、案外しょぼい商売するようになったのね。それとも、悪評を流したい商売敵かしら?」 「なんだと、てめぇ」 男の虚をついて、懐に飛び込んだ。指より短い小さなナイフ。少しの間だけ運動神経を麻痺させる毒が塗ってある。袖口にいつも仕込んでいるそれを、素早く抜き放つ。 すれ違いながら、一閃させた。男の指先にかすかな切り傷ができる。 糸が切れたように、男は崩れ落ちていった。 「クランデーロのチェコが来た。マヌアにそう言っておいて。あんたが、テトの店の関係者ならね。ついでに、怒っているとも」 横たわる男を見下ろしながら、冷ややかに言った。 マヌアはテトの店の主の名だ。 クランデーロは、チェコが自分を指して言う名称で、タオの自伝によると、薬草を使う治療家というような意味合いがあるらしい。 男は、瞬きすらできず全身からひどい汗をかくだけだった。 5 その日の夜。 テオの店の周辺には甘い香りが漂っていた。赤い月が沖天にさしかかり、風はなく、湿気の多い澱んだような夜だった。 店主の住む邸宅は店の裏手にあり、そこは城壁の内側で王宮までもほど近い。 背丈よりも高い塀に囲まれ、正面門には警備の兵士が常駐している。庭にはガルダと呼ばれる猟犬が放し飼いにされていた。 「眠らせてしまえば、関係ないけどね」 つぶやきながら、ふわりと塀の上までジャンプした。 薬物で身体能力を向上させ、肉体の限界まで潜在能力を引き上げた。 その上で、薄い黒布で全身を覆いつくし、ミセルコルデと呼ばれる刺突用の武器を太ももに装着した。 ミセルコルデは、言ってみれば大きな釘のような武器で鎧であっても貫通させることができるが、刃はついておらず斬ることのできない武器だった。 塀の上から、庭を見下ろせば猟犬はいたるところで眠りこけ、警備の者も門扉にもたれ掛かっている。 音もなく庭に飛び降りた。 ”突撃錠”と名付けた薬の効果で、意識は冴えわたり、月夜のおかげで薄暗い庭も難なく見渡せる。 二階の小窓。閉まっているが木の桟が緩んでいた。 呼吸を整え、全身の筋肉に螺旋を描くイメージで気を循環させる。 手のひらを桟にそっとおき、重心を操って瞬間的に力を解放させた。ドゴっと、鈍い音がして桟が砕ける。人の気配がないのを確認してから、ふわりと室内に飛び降りた。 以前に何度か応接室までは、案内されて話し合ったことがある。その時に寝室の場所の見当はつけておいた。 寝室のドアに鍵はかかっていなかった。家具を振るわすような大きなイビキが、部屋中に響いている。 チェコは迷わず、ミセルコルデをマヌアの喉に軽く突き立てた。 瞬間的にイビキがやんで、マヌアが目覚めた。ミセルコルデに力を入れながら、口を押さえ耳元でささやいた。 「お久しぶりね。マヌアさん。しばらく見ないうちに、また太ったんじゃないですか。あこぎな商売も順調そうでなによりだわ」 「チェコか」 暗闇の中でマヌアは、あえぐよに一声出した。その息は腐臭がし、胃の中の熱が多すぎるために飲食物が腐熟しているのだ。 「いつもどおり、魔王湯の原料を持ってきました。ちゃんとした、まともなのをね」 「昼間に、普通に来ればいいものを」 「あなたが、なにを、どう儲けようとかまいませんが、私が伝えた異方薬はちゃんと売って」 「お前が持ってくる原料だけでは、足らんのだ」 「このあたりで採取できるもので、作れる異方薬も教えたでしょう?」 マヌアは口をつぐんだ。チェコがミセルコルデに込める力がだんだん増加しているのだ。 「まぁいいわ。私が、今ここにいる意味は理解できたでしょうし」 いつでも、暗殺できる。チェコは言外にそう言っているのだった。 「私の欲しいものをくれる間は、私とあなたは友人ですからね」 6 ミオが急変したのは、それからすぐだった。小児癌であることは、分かっていた。症状が出始めれば阿片で眠らせるしかない。 どうしようもなかった。 眠るように死んでいったあと、村の呪術医に追放を言い渡された。 「なんだよ、あいつら! 姉ちゃんに世話になっていながら」 焚き火に、木ぎれを放り込みながらタオが毒づいた。 「いいのよ。元々、あの子を看取るまでっていう約束だったんだしね。長居しすぎただけ」 出ていくチェコにタオは付いてきた。 「あんたも、物好きね」 「おいら、姉ちゃんは何か面白いことしでかしそうな気がするんだ」 「なによ、それ。私の手は、小さくて無力よ」 「ねぇちゃんの手にある力は、小さいかもしれないけれど他の人にはない力で、それは決して小さなことじゃないと思う」 「そうは言いましてもねぇ。食べるものにも事欠く未来しか見えないんですけどね」 見上げた空には白い月が、ただ静かに輝いていた。 |
東湖 2016年12月31日 23時58分49秒 公開 ■この作品の著作権は 東湖 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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