異能売りの少女 ~傀儡少女はリア充を夢に見る~ |
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あなたに異能、授けます。 もしも特別な力を手に入れたら、私の人生はもっと豊かになるのに……そんなふうに考えたことはありませんか? 異能屋アビリタでは、あなたの願いを実現する手助けをします。 異性にモテたい! お金がほしい! 夢を実現したい! どんな願いでも叶えます。 現状に不満があり、悩んでいる方、ぜひ当店で異能をお買い求めください。 ※異能を欲する方は、くれぐれも言葉に責任を持ってください。想像力の欠如は大参事を招きます。 異能屋アビリタ ◆ 「何これ……変なの」 通学途中、意味不明なチラシを見ながら、私はため息をついた。 「あなたは現状に不満がありますね? 異能で自分を変えるチャンスですよ」 外国人のメイドさんが、無表情のまま小さくガッツポーズをしてそう言った。このチラシを私に配った張本人である。 金髪碧眼の彼女は、端的に言って美人だった。 目鼻立ちのきりっとした顔は、西洋人らしい美を有している。肌は色素が薄く、陶器のように白い。まるでお人形さんみたいに綺麗……なんだけど、間違いなく変人だ。仮に彼女がアルバイトだとしても、こんな変なチラシ配る仕事を引き受けるなんて、頭がおかしいとしか思えない。 「どうです? 異能、買いませんか?」 「いや……はは。け、結構です」 愛想笑いを浮かべて断り、いそいそとその場を離れた。 異能なんて馬鹿げている。私はもう高校一年だ。そんな漫画に出てくるような力、信じるわけないじゃない。 そりゃあ、私にだって夢くらいある。リア充ライフを送るという、とても華やかな夢が。 でも、現実はそんなに甘くない。自分の容姿と性格を考えれば、それくらいわかる。 私の顔は素朴で地味だ。鼻が小さいとか、目が大きいとか、そういう恵まれた顔のパーツはない。なんなら、ちょっぴりデコっぱちというハンデがある。ブスってほどでもないけど、可愛くもない……甘めに自己評価しても、そんなところだろう。 まぁ容姿はともかく、問題は性格だ。 根暗で内気。しかもアガリ症で、人と話すのが大の苦手。そのせいで友達はいない。彼氏もいないし、できたことすらない。というか、もう三ヶ月くらい男の子と会話していないと思う。 私にとって、学校はただ息苦しい場所でしかない。 こんな自分を変えたいなとは思うけど……そんなの無理。こんなぼっちの神様みたいな私の人生が、劇的に変わるわけないもの。 チラシをくしゃっと丸めて、制服のブレザーに入れた。 「はぁ。馬鹿馬鹿しい……そう簡単に、リア充になんかなれっこないよ」 嘆息し、通学路を急いだ。 ◆ 今日もまた、誰と話すわけでもなく放課後になった。 高校生になれば何か変わるかと思ったけど、それは希望的観測だった。友達なんてできないまま、気付けばもう一月。高校生活の三分の一が終わろうとしている。 一人ぼっちにはもう慣れた。休み時間の寝たふりはお手のものだし、一人でお弁当を食べられる場所も知っている。ぼっちの処世術なら、どうぞ私に聞けって感じ。 でも……やっぱり、友達はほしいな。 帰り道、友達とゲーセンに寄り道したい。定期テスト前に勉強会とかやってみたい。「はい、二人組作って!」という先生の言葉に、怯えないで過ごしたい。 「……今さらそんな高校生活、手に入るわけないよね」 小さく愚痴をこぼし、教室を出た。 下駄箱でローファーに履き替え、校門を通り過ぎる。 どんっ。 突然、後ろ肩に衝撃が加わった。 「きゃっ!」 私はその場にびたーんと倒れ込む。 「あ、ごっめーん」 私の肩にぶつかったギャルは、微塵も反省していないような声音で謝った。彼女はそのまま友達とおしゃべりしながら去っていく。 あの後ろ姿……クラスメイトの稲見さんだ。女子の中心的な人物で、何かと仕切りたがる番長みたいな人。あの態度から察するに、私のこと、相当なめてるんだろうなぁ……。 「いたた……ちゃんと謝れっての」 稲見さんたちの後ろ姿を睨みながら、小さくつぶやく。 そのとき、視界に手がぬっと出てきた。 「理子ちゃん、大丈夫?」 私の名前を呼ぶ優しい声が降ってきた。 顔を上げる。そこにはクラスメイトの篠田愛菜さんの姿があった。 「あ、だ、大丈夫」 どもりながら返答し、篠田さんの手を握る。 彼女は私の腕を引っ張り、立たせてくれた。 「よかったぁ。結構派手に倒れてたし、心配しちゃった」 「ぜ、全然っ! その、平気だす……ふひっ」 優しすぎる篠田さんがまぶしくて、おもわず噛んでしまう私。しかも照れ隠しに笑ったはいいけど、超絶キモ笑いをお見舞いしてしまった。死にたい。 「もしどこか痛むようなら、病院行かなきゃ駄目だよ? じゃあね」 篠田さんは私に手を振りながら去っていった。 優しい……なんていい子なんだ、篠田さんは。 篠田さんみたいな友達ができたら、学校生活楽しいんだろうなぁ。 「一緒にお昼ご飯食べたいなぁ……お弁当のおかずとか交換したいなぁ……ふひ」 悲しい妄想をしながら、私は帰路に着いた。 帰り道、地元の駅の周辺で、目立つ風貌の女性を見つけた。 肩先や袖口をギャザーで絞ってふくらませたパフスリーブ。釣り鐘型に膨らんだ膝丈のスカート。黒と白を基調としたそれは、メイド喫茶でメイドさんが着ている衣装そのものだった。 その格好だけでも異質なのに、金髪碧眼の美少女がそれを着ているのだから、自然と視線が吸い寄せられる。 間違いない。今朝、私にチラシをくれた外国人だ。 目が合うと、彼女は微笑を浮かべて近づいてきた。 「こんにちは。あなたとは今朝お会いしましたね。ひょっとして、異能を購入する気になりました?」 透き通った声で彼女は言った。 また異能とか言い出した……やっぱりやばいよ、この人。完全に頭キマっちゃってる。 そう思った私は、無視して通り過ぎようとした。 「――理子さんの夢は、リア充になることですね?」 その言葉が、急ぐ私の足を止めた。 どうして私の名前を知ってるの? いや。それよりも、もっと不思議なのは……。 「あ、あの。どうして、その、私の夢がわかったんですか?」 夢なんて、誰かに言ったことはない。SNSで情報を発信したこともない。私の夢は私しか知らないはずなのに、どうしてわかったんだろう。 まさかとは思うけど……心を読んだなんてことないよね? 彼女は人差し指で、私の鼻をちょんと突いた。 「わたくしは異能売りの少女、アビリタです。さて、問題です。多くの異能を所有しているわたくしが、あなたの心を読めたのは何故?」 アビリタと名乗る少女はくすっと笑みをこぼす。 たしかに今、彼女は心を読んだと言った。 彼女は異能売りの少女。相手の心を読む異能を持っていても不思議ではない。 「理子さん。あなたは篠田さんとお友達になりたいのでしょう? 彼女と仲良くなり、高校生活を満喫したい。そうですね?」 まただ。また私しか知らないことを、彼女は言い当ててみせた。 背中に毛虫が這うような悪寒が走る。頭が痛い。この人に関わるなと、脳が警鐘を鳴らしている。 異能なんて存在しない。この状況を一言で表すと「電波女が意味不明なことを口走っている」だけだ。 でも、アビリタさんは私しか知らないことを言い当てた。それは事実だ。 もしかして……本当に異能は存在する? なんだか胸が熱くて騒がしい。 もしも本当に異能があるのなら……こんな私でも、生まれ変われるのかな? 半信半疑ではあるものの、希望が私の心を突き動かす。 「アビリタさん。お話、詳しく聞かせてください」 気づけば、荒唐無稽な話に乗っかっている自分がいた。 「お買い上げ、ありがとうございます。実はもう、異能はあなたに差し上げています。先ほどあなたの鼻に触れたときに授けました」 アビリタさんは悪戯っぽく笑った。 「え? わ、私、まだ、買うとは一言も……ね、値段も聞いてないし。やっぱり、高いですよね?」 「ご安心ください。代金はいただきません」 ただし、とアビリタさん。 「きっちりと対価は支払っていただきます」 刹那、彼女の表情から笑みが消えた――いや、表情が消えたと言ったほうが正しい。感情を読み取れない、無機質な顔。まるで精巧な美を有したフランス人形のように、私には見えた。 「た、対価、ですか?」 「はい。理子さんの欲望の果てを覗かせていただきます」 「私の……欲望の果て?」 「異能を手に入れたあなたは、きっと欲望を解放するはず。その果てを、わたくしに見せてほしいのです」 「欲望って……私のリア充になりたいっていう願望のことですか?」 「はい。わたくし、異能を授かった者の行く末を見るのが趣味なのです」 「他人の人生を覗くなんて、なんか悪趣味……」 「わたくしもそう思います。でも、夢を掴み、幸せそうな顔をした者を見ると、こちらも幸せな気分になりますでしょう?」 なるほど、一理ある。つまりアビリタさんの趣味とは、異能で幸せになった人から、幸福のおすそ分けをしてもらうことなのだ。 「わかりました。対価は支払います」 了承すると、アビリタさんは再び微笑を浮かべた。 「では、異能の説明をいたします。あなたに授けた異能は『傀儡』です」 「かいらい?」 「はい。簡単に言えば、人を操る力です。理子さんが異能を使用した相手は、あなたの思ったとおりの行動を取ってくれます。使い勝手は悪い異能ですが、効果は保証します」 「えっ……」 それじゃあ、まるで操り人形じゃないか。 そんな怖い力いらない。私はただ、学校生活を楽しくしたいだけだ。 「あの、そんな危ないヤツじゃなくてもいいんですけど……」 「生憎ですが、あなたの願いを叶える異能の在庫は、現在これしかありません」 「でも私、人を操るなんて怖いです……」 「心配しないでください。例えば、理子さんが篠田さんに異能を使うとします。そのとき、理子さんは『篠田さんは私と友達になる』と願えばいいのです。ほら。全然危険なんてないでしょう? 『傀儡』と聞くと身構えてしまいますが、『子どものおまじない程度の異能』なのです」 「な、なるほど」 要するに、使い方を間違いなければいいのか。 ……大丈夫。『傀儡』は、友達作りのためだけの異能。それ以外の目的で使う必要はない……自分にそう言い聞かした。 「大丈夫ですよ、理子さん。異能の効力も一時的ですし、さほど恐ろしい異能ではありません」 「一時的? じゃあ、友達になれるのも一時的なんですか?」 「その点はご安心を。たしかに効力は一時的ですが、仲良くなるきっかけにはなります。異能を使って、彼女と確実に仲良くなるのが目的だと考えていただければ間違いないかと」 「はぁ……思っていたよりも強力な異能ではないんですね」 「他にもデメリットはあります。先ほども申し上げましたが、『傀儡』の異能の使い方は、少々使い勝手が悪いです」 「どうすれば使えるんですか?」 「まず紙を用意してください。その紙に『相手に行動させたい内容』を書きます。その紙を行動させたい相手に貼ります。これが一連の流れです」 紙に願いを書き、それを相手に貼る……それだけでいいの? 「あの、紙ってどの紙でもいいんですか?」 「はい。メモ帳やノートの切れ端でも結構ですし、和紙やティッシュでも可能です。携帯することを考えると、現実的なのはメモ帳や付箋だと思いますが」 「ペンの種類も自由ですか?」 「書ければ種類は問いません。どんなペンを使っていただいても結構です」 あ、そうそうと、アビリタさんは付け加える。 「貼るのにセロテープ等を使用する必要はございません。紙が相手に接触した瞬間、紙は消失してしまうので」 「へぇ。消えるなんて、なんだか魔法みたいですね」 「ふふふ。魔法ではありません。異能です」 アビリタさんは口もとを押さえて微笑む。気品漂うその仕草は美しくて、おもわず見惚れてしまう。 「説明は以上です。質問はありますか?」 「いえ、だいたいわかりました」 「そうですか。ふふっ。あなたの未来を見るのが楽しみです」 「わ、私も楽しみですけど……あの、本当に異能なんて使えるんですか?」 「ええ。わたくしがあなたの心を読んだことが証拠です……では、わたくしはこれで」 アビリタさんは「ごきげんよう」と言い残し、去っていった。 異能『傀儡』の説明を聞いても、未だに半信半疑だ。浮世離れした人に現実味のない話をされても、説得力ないし。 でも、夢だから。 リア充は……友達と楽しい学校生活を送るという些細な願いは、私の憧れなんだ。 友達作りのチャンスなんて、そんなに巡ってくるものじゃない。 夢を掴む機会が舞い込んだ……ここで一歩踏み出さきゃ、私は一生友達がいないままだ。 そんなの嫌。 「大丈夫。きっとできる」 臆病な自分を奮い立たせ、家路を歩いた。 ◆ 異能を授かった、翌日の朝。 本日のミッションは、篠田さんの背中を軽く叩き、「おはよう」とあいさつすること。このときに、命令が書かれた付箋を貼る、というシンプルな作戦だ。 一人ぼっちの私が教室で誰かに挨拶すると、クラスメイトから奇異の視線を向けられる。それは嫌なので、私は校門の辺りで篠田さんと接触することにした。 といっても、彼女と待ち合わせをしているわけではない。そもそも、待ち合わせをするにも連絡先なんて知らないし。 では、どうやって校門で会うのか。 答えは簡単。校門付近で張り込みをし、篠田さんを見つけたら偶然を装って声をかけるという、姑息な張り込み戦法で挑むつもりだ。 私の手の中には『あなたは私と友達になる』と書かれた付箋が握られている。 書き終えて気づいたけど、なんてイタイ文章を書いているのだろう、私。こんなの誰かに見つかったら、恥ずかしくて死んじゃうよ。 見つかってもいないのにへこんでいると、お目当ての篠田さんを見つけた。 胸を突き破りそうなくらい、心臓が鼓動する。 大丈夫……落ち着いて。頑張れ、私。 小走りで篠田さんに近づき、付箋を持った手で彼女の背中に触れた。 そのときだった。 付箋はまるで篠田さんに吸収されたかのように、彼女の体に入っていった。 こ、これが異能……すごい、本当に消えちゃった! 篠田さんがくるっと振り返る。 目が合った瞬間、頬がかあっと熱くなる。 「あ、あの。おは、よう! ございます……」 かろうじて挨拶すると、篠田さんは優しく目を細める。 「おはよう。昨日はどうだった?」 その言葉にドキリとする。 まさか……私がアビリタさんから異能を買っているところを見られたのだろうか。 話を聞かれていたらマズい。だって私が異能使いなの、バレてるってことじゃん。 テンパってると、篠田さんは心配そうに私の顔を覗き込む。 「やっぱり怪我してた? どこか痛む?」 私の身を案ずるその言葉を聞き、ようやく篠田さんの真意を理解した。彼女が言う「昨日はどうだった?」とは、私が転ばされたことを言っているのだ。 「あ、ううん。その、大丈夫。平気です」 「よかったぁ。はぁー、心配しちゃったよぅ」 篠田さんは安堵のため息をついた。 空気みたいな存在のこの私を心配してくれるなんて……篠田さん。あなたは天使ですか? というかこれ、異能の効果出てる! だってこの流れなら、一緒に教室まで行けるもん。篠田さんと仲良く会話しながら登校して、友達になれちゃうパターンじゃ――。 「じゃあ、理子ちゃん。私行くね」 予想外の言葉が、私の胸に鋭く突き刺さった。そのまま貫通して、寒い風がぴゅーぴゅーと吹き抜けたかのように心が寒い。 篠田さんは「今日、日直だから職員室に行かなきゃなんだ」と言い残し、小走りで校門を駆け抜けていった。 へぇー。願いが叶う異能ねぇ……いやいや。友達になれる気配ゼロなんですけど? 「私の異能、クソザコだなぁ……」 異能の力を疑問に思いながら、校門をくぐった。 ◆ 一時間目、体育。私の大嫌いな授業だ。 運動が嫌いというのもあるけど、それだけじゃない。準備運動するために二人組を作らされるのが嫌なのだ。 私には友達がいないので、二人組なんて作れない。それだけならまだしも、「あの子、友達いなくて余っちゃったんだ」という、鬱陶しい同情的な空気がすごく嫌なのだ。 「おーい。準備運動するから二人組になれー」 体育教師がみんなに声をかける。 ああ。この世はなんとぼっちに優しくない世界なのか。 こんなとき、篠田さんが友達だったらなぁ――。 「理子ちゃん一人? もしよかったら、私と準備運動しない?」 天使の声が背中越しに聞こえてきた。 振り向くと、そこには篠田さんがいた。 「あ、え? 私なんかでいいの?」 可愛くない私は、つい卑屈なことを言ってしまう。 「いつも一緒に組んでる子が、今日は学校休んでるの。だから準備運動の相手を探してて……もしかして、私とじゃだめ?」 「ま、まさか! 光栄でございます、とても!」 「ふふふ。大げさだなぁ」 篠田さんは小鳥がさえずるようにクスクスと笑った。 これは篠田さんと仲良くなるチャンス! そう思ったとき、ふとアビリタさんの微笑が脳裏をよぎる。 「まさか……異能の力なの?」 おもわず口にして、自分の失態に気づいた。篠田さんの前で、なんてイタイ発言をしてしまったのだろう。 「ぷっ……あははは! 理子ちゃんが漫画のキャラみたいなこと言ってるー!」 急に吹き出す篠田さん。どうやら笑いツボに入ったみたい。よかった、変人扱いされずに済んだ。 「あの、篠田さんは、漫画とか読む……です?」 勇気を出して話題を振ってみる。 すると、篠田さんは目を輝かせた。 「え、理子ちゃん漫画読むの?」 「あの、うん。結構好き、かな」 「本当!? どんなの読むの?」 「えっと……最近だと『寺ファーマーズ』とか」 「うそー! 私もそれ超好きだよ! 青年漫画なら『農協グール』とか『ゴールデン向井』とかも大好き!」 「し、篠田さんも読むんだ。てっきり、篠田さんはニーチェとか読むのかと」 「ちょっとぉ。理子ちゃんの中で私はどういうイメージなのよぅ」 篠田さんが大笑いする。つられて私も笑った。 頬が少し痛いのは、久しぶりに笑ったからだろうか。 「私の友達、漫画読まないからさぁ。理子ちゃんみたいに、漫画が好きな友達がほしいな」 「わ、私も! 趣味の話ができる人がいると、その、嬉しい……です」 「じゃあ、後で連絡先教えてくれる? 私たち、漫画友達になろうよ!」 瞬間、心が跳ねる。 クラスメイトが、私に興味を持ってくれたことが。 そして、ほんの小さな勇気をきっかけに友達ができたことが、私は未だに信じられなくて。 「し、篠田さん。私のほっぺをつねってくれる?」 そう言うと、篠田さんはまた笑った。 「あはは。理子ちゃん変なのー。これでいい?」 篠田さんが私の頬をつねる。 ああ、そうか。 久しぶりに笑ったからじゃない。 頬が少し痛いのは、きっと友達がいるからだ。 ◆ それから私は篠田さんと仲良くなり、彼女の友人グループに入れてもらえた。 学校ではクラスメイトやスイーツの話、それに、恋の話とか。普通の会話かもしれないけど、私のとっては全部新しいことで、毎日がきらきらと輝き始めた。 篠田さんと二人きりのときは、よく漫画の話をする。漫画が好きなのは、私たちだけの秘密だからだ。 秘密の共有……それだけで、篠田さんと私が親密な関係であるかのように感じてしまう。 学校生活が充実し始めたある日、事件は起きた。 私は篠田さんの席でおしゃべりしていた。話は段々と恋愛の話になり……彼女の秘密が明らかになった。 「え、篠田さん好きな人いるの!?」 「しーっ! 理子ちゃん、声大きい!」 篠田さんが慌てて私の口をふさいだ。同時に、ラベンダーっぽい香りが鼻孔をくすぐってくる。こういう細かいところに小さな女子力が潜んでいるのは、さすが篠田さんというべきか。 彼女は私を解放し「ナイショだよ?」と小さな声で言った。 「ご、ごめんね。で、誰なの?」 「ちょ、いきなり核心を突いてくるね……また今度、二人きりのときに教えてあげる」 「えー、気になるー」 ……などと言いつつ、私は幸せを噛みしめていた。 篠田さんと恋バナができる日が来るなんて……セバスチャンや。ここは天国かい? 頭の中のお花畑を駆け回っていると、クラスメイトの坂本くんが通りかかった。 「お。篠田、漫画持ってんじゃん。何、どんなの読むの?」 篠田さんの鞄は開けっ放しだった。その鞄に入っていた漫画を、坂本くんに見られてしまったのだ。 別に漫画くらい誰でも読む。漫画は世界に誇る日本の文化だ。堂々と見せてやればいい。 でも、今日、篠田さんが持っていたその漫画は、堂々と見せられない類の漫画だった。 「ちょっと見せて」 坂本くんの手が篠田さんの鞄に伸びる。 「あ! それは――」 「……何これ? うわ、BLじゃん!」 BL漫画――いわゆる、男性同士の愛を描くジャンルの漫画だ。篠田さんが持っていたのは性的な描写も少なからずあるし、学校で堂々と読める漫画ではない。 学校というのは独特な社会だ。たとえば、見えない地位の差――スクールカーストなんてものが存在する。BLが好きというだけで、地位の上のクラスメイトから目をつけられ、最終的にいじめられる可能性だって十分あるのだ。 だから、今の状況は非常にまずい。 篠田さんの顔が真っ赤になる。 「あ、これは、その……」 「篠田って、こういうの読むんだ。ないわー。ちょっと引くわー」 坂本くんは漫画を鞄の中に返して、背を向けて去っていった。 ほっ……よかった。ひとまず、いじめとかに繋がりそうな感じはなさそうかな。 それにしても、なんてクソ野郎なんだ、あいつは。勝手に女の子の鞄をあさるばかりか、悪口まで言うなんてどうかしてる。日本が銃社会だったら蜂の巣だぜ? 「し、篠田さん。気のすることないよ……?」 ぽたり、ぽたり。 篠田さんの目から涙がこぼれる。 「なんで、よりによって、彼に……!」 よりによって、彼に。 その言葉と、彼女の涙でくしゃくしゃになった顔が、すべてを物語っていた。 篠田さんの好きな人は、きっと坂本くんなのだろう。 ただ辱められただけなら、まだ耐えられたかもしれない。 でも……好きな人に愛する趣味を侮辱され、彼女は何を想っただろう。 どれだけ傷ついたのかは、スカートの裾をぎゅっと握る彼女の小さな手を見ればわかる。 「ひどいよ、坂本くん……そんな言い方、しなくたって……!」 篠田さんの声は震えていた。 ぬるい涙は頬を滑り落ち、ぽつぽつとスカートに染みを作っていく。 私は怒りを抑えるように歯を食いしばり、拳を力強く握った。 こんないい子に何してくれてんだ。ふざけるな。篠田さんの趣味を……いや、心を踏みにじる権利なんて、あなたにはないよ。 胸中にどす黒い感情が渦巻いていくのが自分でもわかる。 許せない。 神に代わって、私が天罰を下してやる。 気づけば付箋にペンを走らせていた。 書き終えて、廊下に出る。坂本くんは友達と話しながら、たらたらと歩いていた。私は走って坂本くんに追いつき、背中にばしっと付箋を貼った。 「いてっ! な、何すんだよ!」 「許さないからッ」 それだけ言い残して、私はそのまま帰宅した。 翌日、担任の先生は言った。 「みんなに残念なお知らせがある……昨晩、坂本が交通事故に遭ったそうだ。意識不明の重体らしい」 そのとき、私は思った。 異能を扱うこの私に、できないことなんてないんだって。 ◆ それから数週間がたった。 「今日、帰りにカラオケいかない?」 放課後の教室で、友達の木下さんがそう言った。 「あ、いいねぇ。なんか騒ぎたい気分かも」 篠田さんは頬を緩めてうなずいた。 私にはわかる。篠田さんはきっとそういう気分じゃない。 木下さん、全然わかってないんだから。私よりも篠田さんと友達歴長いんだから、気持ち汲み取ってあげなよ。 私はこっそり付箋にペンを走らせた。 『カラオケよりも、駅前の喫茶店に行きたくなる』 付箋を木下さんの背中にそっと貼る。 すると、木下さんは「あっ!」と何かに気づいたような声を上げ、ぽんと手を打った。 「そういえば、駅前に新しく喫茶店できたよね?」 「あ、私もそこ気になってたんだ! 行きたいよねー!」 篠田さんの目がきらきらと輝く。カラオケを誘われたときの反応とは全然違う。ほら。やっぱりカラオケなんかより、喫茶店がよかったんだ。 「だよねー。どうする? カラオケはまた今度にして、今日は喫茶店に行こっか?」 「決まりだねー。理子ちゃんはどうする?」 篠田さんが笑顔で尋ねる。 「うん、行く行く。私もあそこのケーキ食べてみたい」 「よし。そうと決まれば、早く行こう!」 私たちは帰りの支度をして廊下に出た。 あまりにも可笑しくて、自然と口角が持ち上がる。 ははっ……なぁんだ。 異能があれば、友達と上手く付き合えるじゃないか。 私は変わった。もう地味で内気な女の子じゃない。 これからは、異能を使って人生を謳歌してやるんだ。 「理子ちゃーん! 早く早くー!」 先を行く篠田さんが、私を呼んでいる。 「……今行くー!」 私は小走りで篠田さんたちに追いついた。 下駄箱でローファーに履き替え、校門を出た。 「あっ……」 視界の端で捉えたのは、メイド服を着たアビリタさんだった。 「理子ちゃん。どうしたの?」 「あ、篠田さん。忘れ物しちゃったから、ちょっと先に行ってて。すぐ向かうから」 「待ってようか?」 「ううん、いいの。お店が混む前に、席を確保しといてほしいし」 「わかった。じゃあ、先に行くね」 篠田さんと木下さんを見送り、私はアビリタさんに話しかけた。 「アビリタさん! この前はありがとうございました! 異能、すごく便利です!」 「篠田さんとお友達になれてよかったですね。放課後に喫茶店とは、順調にリア充街道を進んでいるようで」 「なんで知って……って、アビリタさんは心を読める異能を持っているんでしたね」 私が笑うと、アビリタさんも笑った。 いや……嗤っている。 口もとに愉悦の曲線を描き、碧い瞳に好奇心を宿らせて。 「そうですね。他にも多くの異能も持っています。たとえば……他人の人生を覗く異能とか」 人生を、覗ける? 嫌な予感がさざ波のように押し寄せ、私の熱を奪っていく。 「人生を覗けば、その人の過去がわかります。たとえば……理子さんが坂本くんに『交通事故に遭って、学校に来られなくなる』と命令した過去とか」 ぞわり、と寒気が全身を駆ける。 総身が震えた。心を暴かれたことに恐怖を覚える。 どうしよう……私が人を重体に追いやったことが、たった今、他人に知られてしまった。 ……いや、落ち着こう。事故を起こしたとはいえ、異能を使ったんだ。当然、証拠はない。仮にアビリタさんが警察に駆け込んだところで、私が犯人扱いされることはないはず。 だったら、堂々としていようじゃないか。アビリタさんには誤魔化しても無駄なんだから、正直に言ってやればいい。 唇をぎこちなく動かし、なんとなか言葉を絞り出す。 「は、はは……ざまぁないですよ。あいつが悪いんですから。私の篠田さんを傷つけたんだ。報いは受けて当然です」 「ふふふ……『私の篠田さん』とは、随分な言い方ですね。彼女はあなたのモノではありませんよ?」 「私の異能は『傀儡』でしょう!? 人を完全に操れるのなら、あの子は私の所有物だ!」 校門に怒号が響く。恐怖を誤魔化すように、声を荒げている自分に遅れて気づく。 「理子さん。あなたの異能で他人を完全に操れると思っているのなら、それは己の力を過信しています。以前、申し上げたでしょう? あなたの異能は『子どものおまじない程度の異能』だと」 「何言ってんだ……私の異能は子ども騙しなんかじゃない! 今の私はなんだってできるもの!」 「……ククク。これはいい結末が見れそうですねぇ」 アビリタさんは意味不明なことを口走り、私に顔を近づけた。 「理子さん。私があなたにお配りしたチラシの注意書き、覚えていますか?」 「ちゅ、注意書き……?」 碧い瞳が、私の瞳を覗き込む。 気づけば呼気が荒くなっていた。体は全身に針金が通ったみたいに硬くなっている。彼女の放つ得体の知れない威圧感のせいだ。 「覚えていないのであれば、教えて差し上げます」 アビリタさんは一呼吸置き、艶やかな唇を震わせる。 「『異能を欲する方は、くれぐれも言葉に責任を持ってください。想像力の欠如は大参事を招きます』……あのチラシには、そのような注意書きがあったのです」 アビリタさんは、ゆっくりと私から離れた。 言葉に責任? 想像力の欠如? どういう意味だろう。私が坂本くんを裁いたことに責任を持てとか、そういうことを言っているのだろうか? 「……坂本くんが悪い。私は彼の罪を裁いただけだ!」 「罪? はて。人の意思をねじ曲げ、私利私欲を満たすあなたが、正義ヅラをして言うセリフでしょうか?」 「何よそれ。篠田さんのことを言ってるの?」 「そうです。理子さんが彼女に『友達になれ』と命令したから、彼女はあなたの友達なのです。それどころか、あの異能は一時的なものです。異能の説明をしたときに言いましたよね? つまり、あの瞬間は友達だったけど、今は友達かどうか……」 「め、命令したのは、友達になるきっかけ作りのためでしょ! もう『友達になれ』なんて命令してない! 今はちゃんと友達だ!」 「……今は友達、ですか。たしかに、今は、そうですね。ククク……楽しみです、本当に」 アビリタさんは「さて、いつまで友達でいられることやら」と、笑いながら去っていった。 おそらく、彼女は警告しに来たのだ。自分の行動の結果を想像してから、責任を持って異能を使えと。 馬鹿馬鹿しい。今の私にできないことなんてない。想像力の欠如だとか、そんなものどうだっていいんだよ。 「この私に、偉そうに説教するな……っ!」 その気になれば、アビリタさんのことだって簡単に……ふふっ。そうだよ。私は無敵だ。あんな頭のイカれたメイドの話に、耳を貸す必要はない。 私のリア充ライフは始まったばかりだ。異能を使って、これからどんどん幸せになってやる。 決意を新たに、篠田さんたちの待つ喫茶店に向かった。 ◆ 「理子ちゃん。その髪止め可愛いね?」 「えー。べつにそんなことないよ」 「どこで買ったの?」 「安田さん、欲しいの? もう一つあるから、おそろいにする?」 「ほんと? やったぁ。篠田さんとおそろい、嬉しいなぁ」 安田さんは可愛いもの好き。『私の身につけている物が全部可愛く見える』と命令したら、私にすぐ懐いた。 「ねぇ、理子ちゃん。スマホゲームの『パズモン』やってる?」 「やってない。沢村さんはやってるの?」 「うん、すごく面白いよ! よかったら一緒にやろうよ!」 「そこまで言うのなら、やってみようかな」 「やった! じゃあフレンド登録するから、インストールしたら教えてね」 沢村さんはスマホゲームにハマっている。『私と一緒にスマホゲームをプレイしたくなる』と命令したら、ご覧のとおりだ。 もはや高校生活は完全にイージーモード。友達には困らない。みんなが私をチヤホヤしてくれる。 あーあ。あまりにも順調すぎて、張り合いがないな。そろそろ次のステップに進もうか。 やっぱり、リア充といえば男女混合グループでしょ。 カラオケでデュエットしたり。ボーリングでストライク取って、ハイタッチしたり。夏休みには花火大会とか見に行って、そこで彼氏ができたり……いひひ。妄想はどんどんふくらむなぁ。 いや……今の私にかかれば、妄想でも何でもない。 それを今、証明してやる。 クラスメイトのイケメン男子、青木くんが一人で廊下に出るのを確認して、 「ちょっとトイレ行ってくるね」 「あ、待って理子ちゃん。私も行く」 そう言って、篠田さんが席を立った。 ちっ……んだよ。タイミング悪いなぁ。 「あのさ、篠田さん。私、一人で行きたいんだけど」 「え? 私も行きたいから、一緒に行こうと思ったんだけど……」 「じゃあ、私の後にしてくれない? 連れション、あんまり好きじゃないの」 連れションしたら、たぶん漫画の話で盛り上がって長くなる。青木くんと話す時間がなくなっちゃうから勘弁してほしい。 「あ、うん……ごめんね、理子ちゃん」 篠田さんは困ったように笑った。 そうそう。私の言うことは絶対だよ。いくら仲良しの篠田さんでも、私の言うことにはちゃんと従うように。 「そうだよ、篠田さん。連れションなんて下品な文化だしさぁ。頭の悪い女子がすることだからやめなよ」 「そんな……そこまで言わなくても……」 「あ、急がなきゃ! それじゃあね!」 私はその場を離れ、教室を出た。 小走りで青木くんに近づき、『私との会話が弾んだ後で、私のメアドを聞く』と書かれた付箋を彼の背中に貼った。 「やっほ、青木くん」 「うん? ああ、佐藤か」 振り返った青木くんは不思議そうに私を見ている。まるで私に興味がないみたいな顔だ。 なんて生意気な態度。あなたはこの私と友達になれるんだから、感謝してよね。 「あー。佐藤って呼び方、なんかよそよそしい。理子って呼んで?」 上目づかいで、青木くんの顔を覗き込む。昔なら恥ずかしくてできなかったブリっ子も、自信のついた今なら簡単にできる。 私を見て、青木くんはぷっと吹き出した。 「ははは。佐藤って、そんな面白いことするんだな」 「ひどーい。可愛かったでしょ?」 「微妙過ぎてリアクションに困るわ」 「うわー傷ついたなぁ。しくしく」 「それぇ! そういうのがリアクションに困るんですけど!」 泣き真似をする私に、青木くんが笑顔でツッコむ。 「ははは。可愛いかどうかは置いといて、佐藤が面白いヤツってことはわかった。可愛いかどうかは置いといて」 「なんで二回言ったの……というか、理子って言えー」 「悪かったよ。ごめんな、理子」 瞬間、頬がかあっと熱くなる。 おかしいな。命令したのは私なのに、下の名前で呼ばれるの、なんだか気恥ずかしい。 そういえば……私、男の子に下の名前で呼ばれるの、これが人生で初めてだ。 「あ。もしかして、名前で呼ばれて照れてる?」 「そ、そんなんじゃないし!」 「ははは! 照れてるじゃん!」 「ち、ちが……」 「そういうところは可愛いじゃん。変にキャラ作らないで、素の理子のままでいいんじゃね?」 その言葉が、どくんと鼓動を跳ねさせる。 可愛いとか。素の理子でいいとか。そういう言葉を気安く言わないでよ。ばか。 友達になりたいって思って声をかけたのに……私は今、彼を異性として意識してしまった。こんなことなら『私を好きになる』って命令すればよかった。 「理子。連絡先交換しない? 今度みんなで遊びに行こうぜ」 恋する乙女と化した私は、さっきみたいに上手く話せなくなっていた。冗談の一つも言えず、こくこくとうなずき、スマホを取り出して連絡先を交換する。 そのときだった。 「……?」 視線を感じて、後ろを振り返る。 スクールカースト上位のギャル、稲見恵梨香が私を睨んでいた。 目が合うと、彼女は舌打ちをして去っていく。 ……なんだったんだろ? 不思議に思いつつ、青木くんと楽しくおしゃべりを続けた。 彼と連絡先を交換して別れた後、私はニヤけるのを我慢しながらトイレに向かった。 ◆ それは突然の出来事だった。 トイレの個室を出たら、女子三人に囲まれた。その中心に立っていたのは稲見恵梨香。目を吊り上げ、鼻の穴をふくらませて私を睨んでいる。 「な、何か用――ぅっ!」 パァンという乾いた音が響くと同時に、頬に刺すような痛みが走る。 いきなりすぎて、状況がいまいちわからなかったけど、ビンタをされたことに遅れて気づく。 「テメェ、調子乗ってんじゃねぇよ」 取り巻きを引き連れた稲見恵梨香が、私の髪の毛を掴んだ。 トイレから出たら、ギャルに囲まれていきなり暴力……うわ。これがいじめというヤツか。 「理子。テメェ青木に色目使ってただろ? ブスがいきがってんじゃねぇよ。死ね」 「あの、稲見さん。痛いんだけど。放してくれない?」 「ざけんなッ! 話聞いてんのかよ、ブタ!」 私の髪を掴む彼女の手に力がこもる。 「い、痛い! な、何? もしかして、稲見さんって青木くんが好きなの?」 「テメェには関係ねぇだろ! いいか? テメェに青木は似合わねぇんだよブス! 死ね!」 稲見の膝が私のお腹に沈んだ。息が止まると同時に、鈍痛が腹部にじわりと広がる。 「恵梨香ぁ。こいつ全然反省してないじゃん。どうする?」 取り巻きの一人が、ニヤニヤしながら尋ねた。 「ボコっちゃうか。そんで制服ビリビリに破って、水ぶっかけて、写真撮ろう」 「ぎゃははは! 恵梨香の考えること、マジクールなんですけど!」 取り巻きの下品な笑い声がトイレに響く。 クソが……好き放題やってんじゃねぇよ。 私の異能は『傀儡』。人間を操る万能の能力だ。 人を自由に動かせる私は、もはや神に等しい。お前らみたいなムシケラなんかより、私は何億倍も優れているんだ。 私にこんな仕打ちをしやがって……ただで済むと思うなよ。 稲見は私に顔を近づけた。臭い息が、私の鼻孔を刺激する。 「おい、理子。土下座したら許してやるよ」 「ぎゃはははは! トイレで土下座とか汚ねぇー!」 取り巻きにつられて稲見が笑ったとき、私の髪の毛を掴む彼女の手が緩んだ。 「私に……気安く触るなッ!」 稲見の手を乱暴に払いのけ、トイレの個室に逃げ込んだ。 「理子ぉ! テメェ立場わかってんのかよ! 出てこい! ぐっちゃぐちゃにしてやる!」 ドアをガンガンと叩く音がする。 立場をわかっていないのはお前だよ、稲見。 青木くんは私のモノだし、お前が私に暴力を振るう権利なんてない。 「支配してやる……私の異能で、屈辱を味あわせてやる!」 付箋を数枚取り出し、文章を書く。 書き終えた私は、ドアを蹴飛ばして個室を出た。目の前には、額に青筋をうっすら浮かべた稲見が立っている。 私が無言で稲見の前に立つと、彼女は今にも喰らいついてきそうな獰猛な目で睨んできた。 「理子。土下座するか、ボコボコにされるか選べ」 「黙れクソビッチ。土下座するのはお前のほうだ」 「あぁ? テメェ何言って――」 言い終わる前に、稲見に付箋を貼った。 すると、稲見はその場でひざまずき、額を床に押し当てた。 「な、なんだこれ……体が、勝手に……土下座の姿勢に……!」 「しゃべんないでくれる? 稲見さん、息臭いからさぁ」 そう言って、私は稲見の頭を踏みつけた。同時に取り巻きが声を荒げる。 「お、お前! 恵梨香に何を――」 「うるさいッ! お前らもこうなりたくなかったら黙っとけッ!」 怒鳴り散らすと、取り巻きは怯えたように閉口した。私の異能に恐怖を感じているのだろう。所詮、金魚の糞か。稲見がいないと何もできないゴミカスめ。 私は二枚目の付箋を稲見に貼った。 「ぐっ……『すみません、理子さん。メス豚の私には、青木くんは似合いません。あきらめます。もう二度と、理子さんに歯向かいません。許してください』……な、なんで、口が、勝手に……」 「はーい。稲見さんの汚い土下座いただきましたー。さぁて、次はいじめの仕返しだね」 三枚目の付箋を貼る。 稲見は立ち上がると――。 「な……か、体が、勝手に……ちょ、なんで……!」 稲見は制服を脱ぎ出した。 ブレザーを脱ぎ、ワイシャツのボタンを一つずつ開けていく。彼女の白い肌が見えると、経験したことのない背徳感を覚えて興奮した。 彼女の怯えた表情。恥辱に耐え切れず、赤く染まった頬。悔しさと恐怖からか、涙で滲んだ瞳。小刻みに震える矮躯。 私の操り人形と化した稲見を見ていると、実感する。 ああ。人を支配するって、気持ちいいなって。 稲見は下着姿になった。 青いブラが彼女の豊かな胸を包み込んでいる。腰はくびれており、足も思いのほか細い。へぇ。結構スタイルいいんじゃん。なんかムカつくわ。死ねよクズ。 私はブレザーからスマホを取り出し、それを下着姿の稲見に向けた。 「ちょ、何してんだよ! やめろ! 動画だけは頼むから!」 「あのさ。口の利き方には気をつけたほうがいいんじゃない?」 「お、お願いです! それだけは、やめてください!」 「卑しいメス豚の体を撮らないでください、でしょ?」 「ごめんなさい、卑しいメス豚の体を撮らないでください!」 さっきまでの強気の態度はどこへやら、稲見は私に媚びてきた。もちろん、媚びろなんて命令はしていない。 ひひひ……稲見はもう恐怖の奴隷だな。 「よく言えたね、稲見さん。じゃあ、撮影を始めようかなぁ」 「えっ!? や、約束が違うだろ!」 「口の利き方には気をつけろとしか言ってないけど? さて、動画はどうやって使おうかな?」 「そ、そんな……」 今にも泣き崩れそうな表情の稲見。助けてくださいと、彼女の大きな瞳が私に訴えかけている。 なんて可愛い表情をするの、私の操り人形さん。 ひひひ……人を操るのって、愉しいなぁ。いひひ。 「嘘だよ、稲見さん。動画は撮らないであげる」 「ほ、ほんと?」 「うん。でも……私に逆らったらどうなるか、よくわかったでしょ?」 稲見は「ごめんなさい」と何度もつぶやき、頭を下げては上げるを繰り返した。 「稲見さん。また今度遊んでよ」 「え? あ、遊ぶって……」 「逆らうの?」 「そ、そんなっ! また遊びたい!」 稲見は泣きながら無理して笑っている。 いひひ。 やった。 これでいつでも稲見と……いや、稲見のお人形遊びができる。 ひひっ。また新しい『友達』ができちゃった。いひひっ。 「じゃあ、服着ていいよ」 稲見は嗚咽を漏らしながら制服を着た。 「あ。そうだ、稲見さん。二千円貸してくれない? 私、今日体育で疲れちゃったから、タクシーで帰りたいの」 そう頼むと、彼女は首を横に振った。 「ご、ごめん理子。今日は小銭しかもってなくて。貸せないんだ」 「えーなんか嘘くさいなぁ。そうだ、たしかめちゃおっと」 私は稲見に四枚目の付箋を貼った。 すると稲見はブレザーの内ポケットから財布を取り出して、二千円を差し出した。 「な、なんなのこれぇ……もうやだぁ……」 「稲見さん。友達に嘘ついちゃだめだよ。ひひひ」 私は二千円を奪うように受け取り、トイレを出ようとする。 何もできずに怯えている取り巻きを一瞥すると、彼女たちは逃げるように壁際に移動し、道を譲った。彼女たちも、誰に従えば学校生活を平穏に過ごせるか、正しく理解したらしい。そういうことには敏感なんだな。さすが金魚の糞だ。 トイレを出ると、腹の底から万能感がせり上がってくる。 いひひ。私は神だ。どんな人間だって、意のままに操れる。 「ひひひ……いひひひひひ!」 私は高笑いを廊下に響かせながら、教室に戻った。 ◆ 校門を出て、しばらく歩くと、向かいから黄色いタクシーが走ってきた。 空車であることを確認し、手を上げる。タクシーは止まり、後部座席のドアが開いた。 「どちらまで?」 虚ろな目でそう言ったのは、初老の男性ドライバーだった。はぁはぁと熱い吐息を漏らし、私を見つめている。 よく見ると黒目が上下している。私の顔と胸、太腿まで見られているような気がした。 ……こいつ、変態じゃないだろうな? 「あの、明法通りの猪瀬耳鼻科のすぐそばまでお願いします」 警戒しつつそう言うと、運転手は無言で車を発進させた。 なんか怪しい……襲われたりしないだろうな。念のため『あなたは動けなくなる』と書かれた付箋を用意しておくか。 付箋に命令を書いたのち、窓の外を見る。 夜が少しずつ夕方を浸食し、街を闇に染めていく時間帯だ。通行人はさほど多くない。もう少しすると、帰宅するサラリーマンやOLで溢れかえるだろう。今はまだ、学生がまばらに道を歩いているくらいだ。 この人たちもみんな、付箋を使えば、友達になれちゃうんだよね。 ……試したいなぁ。いひひ。 やばい。ニヤニヤが止まらない。運転手に見られていたら、変人だと思われるだろうか。 バックミラー越しに運転手を見る。 ……え? 異変に気づき、私は慌てて身を乗り出した。 運転手はハンドルにもたれかかるように抱きついていた。呼気は荒く、呼吸の仕方も不自然だ。 彼の顔面は蒼白で、唇は青黒くなっている。もはや運転できる状態ではないことは、素人の目にも明らかだった。 まさか……心臓発作とか? 私が乗車したとき、息が荒かったのは動悸が激しかったから? 目の焦点が合っていなかったのは、眩暈がしていたから? 「う、嘘でしょ?」 一気に血の気が引いた。 このままじゃ、交通事故で死ぬ。 恐怖を感じたそのとき、窓の外に見慣れた顔を見つけた。 「し、篠田さんと木下さん!」 私は助けを求めるため窓を開けた。 歩道を歩く篠田さんたちに、私が乗るタクシーが近づいていく。よし、これなら私の声が届く――。 「なんか最近、理子ちゃんウザくない?」 「あ、わかる。なんか調子に乗ってるよね。さっきもトイレに行くとか言いつつ、男子に媚び売ってメアド聞いてたし」 「だよね。あーあ。あのブス死なないかなぁ」 予期せぬ批判が衝撃的すぎて、声が出なかった。そのままタクシーは篠田さんたちを追い抜いて、どんどん離れていく。 ああ、そうか。 友達作りのきっかけは異能で作れたけど……結局、誰も私の友達になってくれないんだね? 「……ひひっ」 べつにいいさ。あんな薄情な女、友達でもなんでもない。明日学校で「人形遊び」してやるんだから。 それに、気が動転していて気づかなかったけど、篠田さんに助けを求めたところで、彼女はこのタクシーを止めることはできない。助けを呼ぶ必要なんて、初めからなかったのだ。 気を取り直して、前を見る。 交差点の信号は、不運にも赤信号だった。交通量は多く、行き交う車が途切れることはない。 このまま渡れば、横から衝突されて死ぬ。 たった一つ、生き残る可能性があるとすれば、私の異能を使って車を止めること。 意識のない人間に効果があるかどうかはわからない。 でも、他にいい方法は思い浮かばなかった。 「私は神だ! なんだってできる!」 付箋に『タクシーを止めろ』と書き、運転手の背中に貼った。 その直後、運転手の体がびくんと跳ねる。そして、奇跡的に運転手が上体を起こした。 やった! お願い、そのままブレーキを踏んで止まって――。 「……え?」 突然、運転席の窓が開いた。 前の交差点を左折して、こちらへやってくる対向車は……タクシーだった。 「の……と、ま……」 運転手は蚊の鳴くような声を絞り出し、対向車線からやってくるタクシーに向かって手を上げた。 は? こいつ何やってんの――。 刹那、左横から強烈な衝撃に襲わる。私は車内の窓を突き破る形で外に放り出された。 最期に視界に映ったのは、大型トラックだった――。 ◆ 金砂のような美しい髪が夜闇に波打つ。 すれ違う人は皆、彼女の美しさを見ようと振り向き、ため息をついている。彼女は紺のスーツという地味な服装だが、それがまた、彼女の素材を存分に引き立たせているようにも見える。 「みなさんが私を見ているのはどうしてでしょう? 喪服は地味なものがいいと聞いたので、紺のスーツを着たのですが……はて、私に何か目立つ要素が?」 スーツの女性――アビリタは不思議そうに首を傾げた。どうやら自分の目立つ容姿を自覚していないらしい。 喪服を着た彼女が参列したのは、佐藤理子の葬式だった。 「大変醜い死に方でしたね……期待どおりでした」 アビリタの唇が愉悦で歪む。 アビリタは複数の異能を持っている。例の人の心を読む異能だけではない。「他人の人生を覗く」異能も有している。 彼女は他人の人生を、映画を観る感覚で覗く趣味がある。わざわざ理子の葬式に参列したのは、人生を覗かせてもらったせめてもの礼なのだろうか。 「もっと理子さんが醜くなっていく様を見たかった、というのが本音です……まったく、だから忠告しましたのに」 たしかに、アビリタは理子に忠告していた。 ――くれぐれも言葉に責任を持ってください。想像力の欠如は大参事を招きます、と。 「『タクシーを止めろ』という言葉では、『タクシーを拾う』ことを連想する人もいるでしょうね。誤解のないように『ブレーキを踏め』と書けば助かったのに……異能を扱う者として、彼女は致命的なまでに想像力を欠いていたようです」 ククク、とアビリタは愉しそうに笑う。 「それにしても、理子さんの葬式……お友達は誰も来ませんでしたか。異能を使っても、お友達は作れなかったようですね」 アビリタは表情を殺した。まるで、能面をつけたみたいに。 「以前申し上げたとおり、『傀儡』で『友達になれ』と命令しても、それは友達作りのきっかけに過ぎない。あんな『子どものおまじない程度の異能』では、すべてが思いどおりになるわけではないのに……ふふっ。実に滑稽な人でした」 アビリタは最後に蠱惑的な笑みを浮かべ、夜に紛れて消えていく。 彼女が通った道に、一枚の紙がひらりと舞う。 地面に落ちたその紙はチラシだった。 目立つ赤文字で大きく書かれたキャッチコピーが、暗闇で不気味に浮かび上がる。 ――あなたに異能、授けます。 |
上村夏樹 2016年12月30日 01時45分06秒 公開 ■この作品の著作権は 上村夏樹 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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