真夏の花嫁 |
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アメイジング・グレイスを歌った。 牧師さんはとても優しい人だった。 飾ってあるのは白くて可憐な花ばかりだった。真っ赤なバラを飾れるといいのにとぼんやりと考えた。 ……あれから何年経ったのだろうか。 朝からずっと降り続いていた雨があがった。 私は窓から外を見て、安堵の吐息をもらした。 クローゼットから、あのあと貰った白いワンピースを出して袖を通した。日焼け止めを念入りに塗り、片化粧のつもりで薄く化粧をした。そして、日傘を手に外へと出た。 だいぶ髪が伸びた。太陽を浴びる機会が減ったら、色もどんどんと白くなっていった。 昼間に歩くとすぐに汗ばむ。私はハンカチで軽く額を押さえた。 外はとても晴れているのに、時たま雨がパラついていた。気まぐれな空だ。 「久しぶりだね、多恵乃(たえの)ちゃん」 私はお墓に向かって声をかけた。 キリスト教のお墓は、私が知っているお墓とは違うので、いつもどうしたらいいのか戸惑ってしまう。何度も来ているのに、いつまで経っても私は不慣れなままだ。 自分でラッピングしたブライダルベールのブーケをそっと置いた。愛らしくて白い小花たちはとても美しい。まるで多恵乃ちゃんそのものだ。 お墓の前にしゃがむと、自然と涙が浮かんできた。何度来ても、そのたびに私は泣いている。その姿を他の人に見られたくなくて、人気のない午前中にいつもにお墓参りをしていた。今日は午前中に雨が降っていたので昼間になった。 いつ訪れてもお墓は綺麗に手入れされている。きっとおばさんが掃除しているのだろう。 多恵乃ちゃんとの思い出が次から次に浮かんでくる。 多恵乃ちゃんと初めて会ったのは、私が小学生のときだった。多恵乃ちゃんは体が弱くて、高校を休みがちだった。お母さん同士が友達だったので、たまに遊びに行っていた。 私からすると、多恵乃ちゃんは豪邸に住んでいて、優しい家族からとても大事にされていて、何でも持っている人に見えた。 「いいわね、みつきちゃんは。私、うらやましい」 ある日、多恵乃ちゃんがそう口にしたとき、私はぽかんとしてしまった。美人でお金持ちで頭のいい多恵乃ちゃんが、私をうらやましがる理由が分からなかったからだ。 「え、どうして? 私、いつもクラスの男子を蹴ったら、先生から怒られるよ? あと、弟を叩いて、昨日お母さんからも怒られたし。それに、九九もなかなか覚えられなかったんだよ?」 「何か、いいなあ」 私の声が聞こえているのか、いないのか、多恵乃ちゃんは肩からかけたショールを細い指でさするようにゆっくりと羽織り直した。そして少し笑った。 「私、昔から体が弱いからなのかな、お友達とそんな風にケンカしたことないのよ」 「へえー!」 「それに兄も歳が離れてるせいか、かわいがってくれるばかりなの。今なんて留学中だから、毎日一緒にご飯を食べたりもできないしね。みつきちゃんみたいに、もっと外を走り回ったりしたいな」 私は黙った。じゃあ走り回ればいいのに、とは思えなかったからだ。 それから私は多恵乃ちゃんの家によく遊びに行くようになった。やんちゃな弟しかいないせいか、がさつに育ってしまった私から見て、美人で物静かな多恵乃ちゃんは理想のお姉さんだった。こんなお姉さんがいたらいいのに、とよく考えた。 今から思ったら、多恵乃ちゃんも寂しかったのだろう。 同じ歳の少女同士だと、健康や未来を比べて落ち込んでしまうのかもしれない。 しかし私は小学生だったせいか、そういうコンプレックスを刺激しないようだった。 多恵乃ちゃんは私の来訪をとても喜んでくれた。私が来ると多恵乃ちゃんの調子がいいと、おばさんもにこにこしながら言ってくれた。 ある日、おばさんが大きな封筒を持って部屋に入ってきた。 「ほら、多恵乃、お待ちかねのものよ」 「いやね、そういうのじゃないのよ」 「そうよね。でも、大嘴(おおはし)くんって、礼儀正しい子ねえ。上がっていったらって言ったのだけれど、無理させたくないのでと帰ってしまったわ。またうちでお夕飯食べていってくれたらいいのに」 「ママ、変なこと言ったりしないでよ?」 私が触って遊んでいた目覚まし時計が、急にピピピと鳴った。 何となく二人は、ハッとしたような雰囲気になり、急に部屋が静かになった。私がいることに改めて気付いたようだった。 おばさんは多恵乃ちゃんに、少し厚みのある封筒を渡すと、部屋から出て行った。 「多恵乃ちゃん、それ何?」 「授業のノートなの。勉強に遅れないようにってお友達が持ってきてくれて……」 いつも色白な多恵乃ちゃんの頬が、微かに赤くなっている。照れているようだ。 「え! 彼氏なのー? かっこいい? いつ結婚するの?」 「もう、みつきちゃんったら」 多恵乃ちゃんは困ったような顔をして笑った。 遊びに行っていたのは短い期間だった。暑い時期の僅かな間だけだ。だけど、多恵乃ちゃんとは心から分かり合えた。それは真実だ。あの夏、過ごした日々は、今でも心の奥に大事に大事にしまってある。私の宝物のような時間だ。 ある夜、多恵乃ちゃんは急に具合が悪くなり、救急車で病院へ運ばれた。しばらく入院するけれど、すぐに良くなって退院すると、母から聞かされた。 だけど、多恵乃ちゃんが退院することはなかった……。 「最後の対面になります。皆様、お花をお入れください」 教会の人の声は、頭に入ってくるのだけれど、どこか遠い世界の話のように感じた。 母が私に白いユリを渡して、多恵乃ちゃんの棺に入れてお別れの挨拶をするようにと優しく言った。 棺の周りにいる人はみんな泣いていた。 おばさんは多恵乃ちゃんの頬を何度もさすって、大粒の涙をこぼしていた。他の人もハンカチを目に当てていた。大人が泣くところを見るのは初めてだった。 ふいに多恵乃ちゃんの笑顔が浮かんだ。最後に話したとき、将来の夢の話になった。あのとき、多恵乃ちゃんは照れたような表情で、私の耳に囁いた……。 「やめて!!」 私の大声に他の人が一斉に振り向いて私を見た。 「多恵乃ちゃんを連れていかないで!!」 言いながら、説明できない感情が体中を支配していた。 「蓋を閉めないで! 外に出さないで! だって、そしたら、そんなことしたら、多恵乃ちゃんが……」 最後のほうは涙で声にならなかった。手の甲で目をぬぐった。泣きながら私は叫び、そんな私をかわいそうに思ったのか、他の人のすすり泣きが強くなった。 「みつき、やめなさい」 母が静かにそう言ったが、私は首を振った。母は私の前にしゃがむと、ハンカチで私の顔をそっと拭いてくれた。 「ここは大きな声を出したらダメなのよ」 これ以上、私が騒ぐと、母も他の大人たちも困るのだと思った。けれど私はどうしたらいいのか分からなかった。 多恵乃ちゃんのおばさんが私のほうに来た。大きな声を出して騒ぎ立てている私を怒りに来たのかもしれない。私は少し怖くなっておばさんを見た。 「みつきちゃん、ありがとう」 そう言っておばさんは、私を抱きしめてくれた。多恵乃ちゃんとよく似た匂いがした。上品で優しい香りだ。 「そんな風にみつきちゃんから好かれて、多恵乃も喜んでるわ。……多恵乃に最後のお別れをしてくれる?」 おばさんにそう言われて、私は頷いた。頷くと同時にまた涙が出てきた。 あのときに、私の涙腺に、私は多恵乃ちゃんという女性を刻み込んだのだろう。ずっと明るくて元気な私だけれど、多恵乃ちゃんのことになると、今でも涙腺が決壊してしまう。 「このブライダルベールね、今、家で育ててるの。おすそ分けに持ってきたよ」 私は鼻をすすりながら、お墓に向かって話しかけた。 白くて綺麗な花。多恵乃ちゃんが好きそうだと思ったのだ。 「ウェディングブーケのつもりで作ってみたの。気に入ってくれるといいんだけど……」 多恵乃ちゃんが亡くなって、しばらくしたあと、おばさんから遺品分けをしたいと呼ばれた。 白いワンピースを貰った。多恵乃ちゃんが、私に上げて欲しいと頼んでいたそうだ。 「ごめんね、みつきちゃん、たいしたものじゃなくて」 「ううん、大きくなったら大事に着るね」 私は白いワンピースを見ながら、これはウェデイングドレスだと思った。 最後に会ったとき、多恵乃ちゃんは元気そうだった。お喋りしていて、将来の夢の話になった。 「みつきちゃんは将来何になりたい?」 「えっとね、ケーキ屋さんでしょ、お花屋さん。あとは看護師さんと、大工さん。あとね、獣医さんもいいなあ」 多恵乃ちゃんは微笑みながら聞いていた。 「多恵乃ちゃんは? 何になりたい?」 そう聞くと、多恵乃ちゃんは少し黙った。それから恥ずかしそうな表情になった。顔が少し赤い。 「内緒にしててくれる? 二人だけの秘密よ」 「うん!」 友達同士で、秘密を共有するのは、親友になる証だった。私は嬉しくてしょうがなかった。 「私、お嫁さんになりたいの……」 「へえ、お嫁さん?」 多恵乃ちゃんは照れながら頷いた。 「ウェデイングドレスを着てみたいの……変かな?」 「ううん! 私も着たい! 真っ白くて、ヒラヒラしたやつ」 それから、しばらくウェデイングドレスの話をした。 私は飾りがいっぱいついていて、裾が床につくような豪華なデザインのものを着たい。レースのベールも被りたいと言った。 多恵乃ちゃんは、シンプルなデザインのものが着たいと言った。ストンとしたシルエットで、飾りもなくていい。ティアラや花冠もいらないとのことだった。 「実はね……こっそりと準備しているのよ」 「えっ! 多恵乃ちゃん、結婚するの?」 小学生の私から見たら、高校生は大人で、結婚してもおかしくないと思っていた。 「ううん、真似だけしようかなって」 多恵乃ちゃんの彼氏の大嘴くんに、その話をして、今大嘴くんが準備をしているそうだ。特注の白いドレスだけど、アンティークのワンピースに見えるデザインらしい。できあがったら、それを着て、こっそりと結婚式の真似だけでもしたい。多恵乃ちゃんはそう言っていた。 「みつきちゃん、秘密にしてくれる?」 「もちろんだよ! すごいね、私も多恵乃ちゃんの結婚式見たいなあ」 「……ごっこ遊びよ。本当の結婚式じゃないのよ……」 そう言うと、多恵乃ちゃんは、一瞬だけ黙って、それから静かに笑った。喜びと悲しみが入り混じった笑みだった。 「またね!」 手を振って多恵乃ちゃんの家から帰ろうとしたとき。 多恵乃ちゃんが小走りで私のところまで来た。こんなことは初めてだったので、私はとても驚いた。 「みつきちゃん、また来てね? 約束よ?」 「うん……」 もしかしたら、多恵乃ちゃんなりに何か予感するものがあったのかもしれない。 「本当に?」 私は小学生で今よりももっと深く物事を考えていなかった。多恵乃ちゃんの体調よりも、遊びに来てと強く言われたことが純粋に嬉しかった。 「本当だよ! また遊んでね!」 そう言って笑うと、多恵乃ちゃんも笑ってくれた。 笑顔で手を振ってくれる多恵乃ちゃん。それが、私が多恵乃ちゃんを見た最後だった。 その日の晩、多恵乃ちゃんは家で倒れて、入院したからだ……。 ……ウェデイングドレスも結婚式も間に合わなかった。 秘密の約束は絶対に破らない。私はそう決めていたので、多恵乃ちゃんのウェデイングドレスのことは誰にも話さなかった。 今の私は、片化粧をしてウェデイングドレスを着ている。しかも花婿がいない。何て中途半端な花嫁姿なのだろう。 多恵乃ちゃんは、大事にしていたドレスを私にくれた。その気持ちが本当に本当に嬉しくて、お墓参りのときに着ていくと決めていた。最初は大きかったドレスも、今ではピッタリになった。 できあがったウェデイングドレスを、多恵乃ちゃんはすごく喜んでいて、病室にかけていたそうだ。 「これを着て、大嘴くんと出かけるって約束したの。早く外出許可が降りるといいのに。明日には出かけられるかしら?」 毎日そう言っていたそうだ。 もちろん、家族には、大嘴くんからプレゼントで貰ったワンピースだと説明していたようだ。 もしかしたら、おばさんは何か勘づいていたかもしれない。ドレスのデザインや、多恵乃ちゃんの態度などで。だけど、胸の内にしまっておいたのだろうなと思う。 「今日は来るのが遅くなってごめんね。朝から雨だったの。参ったわ」 私は多恵乃ちゃんのお墓に喋り続けた。 いつも私は早朝にお墓参りに行っていた。泣いている姿を見られたくないからだ。今日は雨で予定が狂い、午後になってしまった。 だいぶ話していたせいか、もう涙も止まった。そろそろ帰ろうかなと思った。 突然、足音と共に人の気配がした。顔を上げると、人が立っていた。 大嘴さんだった。 しばらく、お互い無言のままだった。驚いて言葉が出なかったのだ。それは向こうも同じに見えた。 月日が流れて、大嘴さんはもう高校生ではなく、私ももう小学生ではないけれど、顔に残る面影は同じだ。 あの頃、多恵乃ちゃんの部屋には写真がたくさん飾ってあった。家族と写った写真が多かったけれど、大嘴さんとの写真もあった。私と撮った写真も飾ってあった。 写真で何度も見るうちに、大嘴さんの顔は覚えてしまった。 大嘴さんも私の顔を覚えているようだった。多恵乃ちゃんから話を聞いたり、写真を見せて貰っていたのだろう。 「……こんにちは」 やっと口が動いた私は挨拶をした。 「びっくりした……多恵乃さんがいるのかと思った」 大嘴さんの真剣な表情に、私は少し笑った。 何年経っても、こうして大嘴さんの心に多恵乃ちゃんがいることが、微笑ましく感じたからだ。 「そんなわけありませんよ。それに私と多恵乃ちゃんは全然似ていませんし」 「でも、本当に多恵乃さんに見えたよ」 そのとき、雨がパラパラと降り始めた。太陽が出ているのに、透明なしずくが次から次へと落ちてくる光景は不思議だった。 「天気雨ですね……綺麗」 私は日傘を差したけど、ウェディング用のアンティーク調な作りのせいか、雨を防ぐのには役に立たなさそうだった。大嘴さんが自分の傘に入るように言ってくれたので、好意に甘えることにした。 「狐の嫁入りだね」 「え?」 こんな風に晴れているのに、雨が降ることを狐の嫁入りというと大嘴さんは教えてくれた。どこかで狐が結婚式を挙げているのか。そう思うと、やっぱり多恵乃ちゃんが浮かんできた。 こんな真夏に結婚したがる狐がいるように、こんな真夏に結婚式を挙げようとした女の子が昔いた。そして、こんな真夏にウェデイングドレスを着て墓参りにくる変わった女もいる。 気まぐれな空、気まぐれな天気。そしてそれに振り回される私。 少し目を閉じる。 最後に遊びに行ったときの多恵乃ちゃんを思い出す。門のところで、笑いながら私に手を振ってくれていた。 薄手のショールを肩からかけて、いつものようにワンピース姿だった。長い髪がさらさらと揺れていたっけ。 あんなに綺麗な人はそうはいない。改めて思う。 私は空を見た。 ねえ、多恵乃ちゃん。私は頭の中で多恵乃ちゃんに呼びかけてみた。 少しだけ、大嘴さんと喋ってもいいかな? 多恵乃ちゃんのことを話したいの。もちろん、このウェデイングドレスのことは言わないよ。 ねえ、いいかな? ぴたと雨がやんだ。 「ここまで電車で来たんですか?」 「うん」 「お墓参りを済ませたら、駅前のカフェに一緒に行きませんか?」 大嘴さんは戸惑っている。私の真意を図りかねているようだ。 「二人で多恵乃ちゃんの思い出話をしませんか?」 ああという表情で大嘴さんは頷いた。 この人から、多恵乃ちゃんの話を聞いてみたかった。また違った面が見られるのではないかと思う。 真夏に花嫁になりたがっていた多恵乃ちゃん。真夏の花婿を少しだけお借りしよう。 空を見上げると、どこからともなく蝉の鳴き声が聞こえてきた。どうやら雨は完全に上がったらしい。 |
薄荷 TfvXOHrnn2 2016年06月12日 23時33分45秒 公開 ■この作品の著作権は 薄荷 TfvXOHrnn2 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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