七ひきめのウサギ

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 学校というものは本来平日に来るもので、授業のない休日に来るものではない。それに、誰もいない校舎というのもどこかもの悲しく、どこかうら淋しく、そして、どこか薄気味が悪い。
 だから、すき好んでわざわざ休日に学校に来る生徒などまずはいないものなのだが、しかし、『生き物係』ともなればそうともばかりも言ってはいられない。
 生きていれば毎日食べるし、排せつだってする。それは休日だからといって休むことはない。生きているということは、つまりそういうことなのだ。
 子どもたちの情操教育のために学校で飼っている小動物たちもそれは全く例外ではなく、そんなわけで五年生と六年生の各クラスから選ばれた生き物係が、休日も交替で登校して、世話をすることになっていた。
 朝のうちに登校した生き物係は、初めに職員室でウサギ小屋とニワトリ小屋の鍵を借りて掃除をする。食べ残しのエサや排せつ物を片づけ小屋の中をきれいにしてから、六ぴきのウサギ、三羽のニワトリ、そして、池で飼っているコイに餌をやってまた職員室に鍵を返す。それらを午前中に済ませるのが生き物係の仕事だった。
 その日もまた、授業のない休日だった。
 夏休みもまだだと言うのに日差しは既に夏のそれだった。太陽は高く、熱く、夏の日差しが校舎と校庭とをジリジリ焼く。焼かれた地面からの照り返しが地表近くに熱い空気の層を造り、光を歪めて本来は見えないはずの物を映し出していた。
 学校の敷地に沿ってぐるりと植えられた桜の木のあちらこちらから、アブラゼミのジージー鳴く声が、耳鳴りのようにうるさく聞こえる。
「こんなとこにいたんだ」
 男の子の声が、アブラゼミの声に混じって聞こえた。すると、校庭脇の百葉箱が設置されている芝に寝転がって夏空を見上げていた女の子が、声のした方にちょっとだけ顔を向けて一瞥した。
 夏らしい白いブラウスに、デニム地の丈の短いスカート。そこから伸びる脚は細く、少女と呼ぶにはまだ子どもで、しかし、寝転がったまま男の子を見上げる視線は妙になまめかしく、女の子と呼ぶには女だった。
 整った顔立ちの中で薄桃色の唇からちょっぴり覗く前歯がチャーミングで、その歳の女の子らしくゴムでツインテールに結った髪型と相まって、ウサギを連想させる。今朝初めて会ったときに、男の子が思わず『ウサギちゃん』と呼んでしまったほどに、女の子は可愛らしいウサギのようだった。
 幼さとなまめかしさが同居する。
 誰の言葉だったか忘れてしまったが『女は生まれたときから既に女だ』とは本当のことらしい。女の子はまさにそれを体現していた。
「もう終わったの?」
「うん」
 女の子が聞くと、男の子が答えた。
「もう終わったよ、全部」
「そう」
 なんの特徴もない子だった。
 よくある絵柄のTシャツに半ズボン。白いソックスとありきたりのスニーカーを履いた男の子は、たとえ同じクラスにいたとしても、隣のクラスの子と言われれば納得するほどに何処にでもいるような子だった。
 ただ、右の肩から左にいわゆる『幼稚園がけ』した何が入っているとも知れないショルダーバッグが、特徴的と言えなくはなかった。
「あとは君らだけだよ」
 言ってから、男の子は辺りを見回した。
「茶色いウサギは?」
 百葉箱の周りをひととおり見回して男の子が聞くと
「さあ、どこかしら」
 女の子は、なまめかしさに愉しさを加えた視線で男の子のことを眺めた。
「どこかしらって、まさか逃げちゃったんじゃないだろうね」
 子どもらしい鈍感さでその視線に全く気づくことなく、男の子は続けた。
「だから反対したんだ。いくらあのウサギが人懐っこいからって、連れたままコイのエサやりに行くだなんて」
「じゃんけんに勝ったのは私なんだから、今更もんく言わないの。勝った方がコイにエサをやっている間に、負けた方がウサギ小屋とニワトリ小屋の掃除をするって決めたでしょ?」
「いや、でも――」
 口を尖らせて男の子が抗議を続ける。
「ウサギを連れて行っていいとは言ってないよ」
「いいじゃない、いっぴきぐらい。コイのエサだってちゃんとやったんだし。あなたも六ぴきより五ひきの方が、お掃除しやすかったでしょ?」
「それは、まあ、そうかもだけど」
 実際のところ、それでいくら手間が減るのかわからないが、男の子は言い返すことが出来なかった。
「ウサギってもふもふしてて、柔らかくて、可愛いんだから」
 女の子がなまめかしく、そして、妖しい視線で男の子を見つめる。
「食べちゃいたいぐらいに」
「食べちゃいたいって、まさか――」
 一瞬、アブラゼミの鳴き声が止んだ気がした。
 男の子はひとつゴクリとツバを飲みこんでから、もう一度聞いた。
「ねえ、茶色いウサギは、どこ?」
 その問いには答えず、寝転がっていた半身を起こして芝の上に座り直してから女の子は話し始めた。
 その視線に妖しさを称えたまま。
「学校で飼うウサギは、今では六ぴきまでって決まってるけど、昔は七ひきまで飼っていたんですって。それが、ある事件をきっかけに、以来六ぴきまでになったんだって」
「ある事件?」
「そう。事件」
 男の子を見つめる視線に妖しさがいや増す。
「飼ってた七ひきのウサギが、全部首を切断されて殺されたの」
 ゴクリとのどを鳴らして、男の子がもう一度ツバを飲みこむ。
「私たちがこの学校に入学するずっと前、そういう事件があったんですって」
「そうなんだ」
「うん」
 そう言って女の子は頷いて見せた。
「お休みの日に、その日たまたま当番だった生き物係の男の子と女の子がウサギ小屋に行ったら、血まみれのウサギの首なし死体が七つあったんだって」
 周りの空気が一度ばかり上がったような気がした。
「ウサギの首は、鉈(なた)のような大型の鋭利な刃物で切り落とされていて、でも、ウサギ小屋には胴体しか無くて切り落とされたはずの首はその場にはなかったの」
 湿気を含んだぬるい空気がべたべたと肌にまとわりつく。
「それで、生き物係のふたりは、ウサギの首を探しまわったのよ。そしたら――」
 薄桃色をした唇に意味ありげな笑みを浮かべ
「そしたら、あったのよ。首が」
「あったって、どこに?」
「そこに」
 男の子の問いかけ答えて、女の子はにあごで場所を指した。
「ほらそこ、百葉箱の真ん前に」
 見ると、その部分の芝だけ薄くなっている気がした。
「そこに、切り落とされたウサギの首が正六角形の形に並べられていたんだって」
 アブラゼミのジージー鳴く声が、ぬるい空気を震わせる。
「でもね」
「……うん」
「並べられていたのは、全部で六つ。ウサギの首はもうひとつ足りなかったの」
 周りの空気が、更に湿気を増した。
「正六角形のちょうど真ん中に、もうひとつ首を置いたような血の跡があったのに、そこにはなかったのよ」
 ひとつ足りないウサギの首。
 姿の見当たらない茶色いウサギ。
「それでね」
「うん」
「ふたりは、七ひきめのウサギの首を探したの。切り落とされた最後の首を探したのよ」
 女の子が語る怪談めいた話と、今の状況がリンクする。
 ねっとりとした汗が肌に浮き出た。
「でもね」
「うん」
「探しても、探しても、いくら探しても、七ひきめのウサギの首は見つからなかった」
「う……ん」
 浮き出た粘着質の汗がゆっくりと肌を伝う。
「探し回るうちに、ふと、男の子は気づいたの」
 肌を伝う汗の感覚に、不快感がいや増す。
「女の子が、ひと言も話していないことに気がついたの」
 流れた汗が、ぴちゃりと落ちた。
「…………」
 見つめる女の子の視線に、男の子は声が出なかった。
「それは、首が見つからないのとは、別に関係がないのかも知れない。でも、一度気になりだしたら確かめずにはいられなくなった。ほら、そういうことってあるでしょ?」
 聞かれて男の子は無言で頷いた。
「それでね、女の子に聞いたの。どうして何もしゃべらないの? って」
 おぞましい予感がした。
「何も答えない女の子にもう一度聞いたの。口の中に何か入っているの? って」
 予感が核心へと近づいて行く。
 そして
「それでも答えない女の子に最後に聞いたの。ねえ、口の中を見せてよって」
 女の子が言った「食べちゃいたいぐらい」の台詞がリフレインする。
 すると、突然淀んだ空気を掻き分けて、女の子の手が急に男の子の手を掴んだ。
「女の子を押さえつけると、男の子は無理矢理女の子の口を開かせたの」
 七ひきめのウサギの首。
 姿の見えない茶色いウサギ。
 それらがない交ぜになったところに急に腕を掴まれ、身をすくめた男の子の顔に、女の子の顔が近づく。
「無理矢理開かせた口の中」
 女の子の顔が更に近づき
「大きく開かせた口のその中に――」
 そして、男の子に見えるよう大きく口を開いて
「ワッ!!!」
「&#$△■×○!!!」
 言葉にならない声を上げて男の子はその場に尻もちをついた。尻もちをついた拍子に肩から斜めがけにしたショルダーバッグが放り出され、ガチャンと金属質の音がした。
 無様な男の子の姿に、女の子はツインテールを揺らしけらけらと笑った。
「あーおかしい。何もそんなに驚かなくったっていいのに」
「いや、でも――」
 即興で考えた作り話にこうもひっかかるなんて、女の子はおかしくてたまらなかった。
 そもそも、今日は本来は女の子がエサやり当番の日ではなかった。
 同じクラスの生き物係の男子に、サッカーの試合があってどうしても出られないからと頼み込まれて、しぶしぶ代わったのだ。
 本当なら、今ごろクラスの仲良しグループでショッピングモールにお買い物に行くはずだったのに。
 おまけに今朝学校に来て男の子に会ったとき、開口一番『ウサギちゃん』呼ばわりされたのが決定的だった。
 口元にちょっとだけ覗く前歯は女の子にとってチャームポイントではあったが、同時にコンプレックスでもあった。虫の居所が悪いところにそれをどこのクラスだったかも覚えていない冴えない男の子に明け透けに言われれば、頭に来るのも仕方がないというもの。
 それで女の子は、男の子のことをちょっとだけ驚かせてやろうと思ったのだった。
「茶色いウサギはここよ」
 そう言って女の子は、種明かしよろしく百葉箱の中から茶色い毛に覆われたウサギを取り出して見せた。
「あんなにびっくりするなんて、おかしいでちゅねー」
 ウサギを抱っこして、幼児言葉で話しかける。
 すると
「そりゃあびっくりもするよ。僕が知っている話と違うんだもの」
「知っている話?」
「うん」
 七ひきめのウサギの話は、男の子を驚かせようと即興で考えた話だった。しかし、どうやら男の子は、その作り話と似た話を知っているらしい。
 やにわに女の子の好奇心が芽吹いた。
「あなたが知ってる話ってどんなの?」
「どんなのって」
「どこが違うの? ねえ、聞かせて!」
「うん、わかったよ」
 せがまれて男の子がそう答えると、ふたりは百葉箱のある芝生の上に改めて座り直してから話を始めた。
「生き物係の男の子と女の子が休日に学校に来て、ウサギの首なし死体を見つけるのは一緒なんだけど、数が違うんだ」
「数? ウサギの?」
「うん」
 男の子がコクリと頷く。
「僕の知っている話では、ウサギの数は六ぴきなんだ」
 そう言えばこの男の子はどこのクラスの子だろうと、今更ながら女の子は考えた。
「へえ、七ひきじゃなくて、六ぴきなんだ」
「うん、六ぴき」
 生き物係は五年生と六年生から選ばれる。男の子はひょっとしたら学年が違うのかも知れない。
「じゃあ違いって、ウサギの数だけ?」
 がっかりしたように女の子が聞くと、しかし、男の子は首を横に振った。
「いや、それだけじゃないんだ」
 それからまた男の子は話を続けた。
「切り落とされた首が芝の上に並べられていたのは同じ。ちょっとそのウサギ貸して」
「え? うん」
 急に言われて抱っこしていた茶色いウサギを差し出すと、男の子は無造作に耳を掴んで受け取った。
「ちょっと、乱暴にしないでよ! 可哀想でしょ!」
 女の子の抗議を無視して片手でウサギの耳を掴んだまま、もう片方の手でショルダーバッグの中をまさぐると、男の子は中から大振りのナイフを取り出した。
「何よ、それ……」
「君の話だと鉈(なた)みたいな刃物って言ってたけど、あれ、軍用ナイフだったんだ」
 夏の日差しを反射し、手にした軍用ナイフが冷たく光る。
「まあ、些細な違いだけどね」
 そう言って男の子は大振りの軍用ナイフを片手で器用にくるくるっと回した。じたばたと暴れるウサギを地面に押さえつけ、首元にナイフをあてがって、そして
「止めてッ!」
 女の子が叫んだのと、男の子がナイフで切り裂いたのが同時だった。
 ゴリッ
 首の骨が断ち切られるいやな音がした。
「あッ……」
 芝生の上に血だまりができ、その中でウサギの首と胴体が離れ離れになっていた。
 首が無くなった胴体で、後ろ脚がひくひくと痙攣している。
 込み上げる吐き気を、女の子は両手で口を押えてこらえた。
 ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ出る。
「そうそう、正六角形に並べたって言ってたけど、あれね、六芒星なんだ。こうやって血で三角形をふたつ重ねて描いてさ」
 女の子のことなどまるで意に介する様子もなく、男の子は切り離したばかりのウサギの首で芝の上に血の六芒星を描いた。
「知ってるでしょ? 六芒星。魔法陣とかでよく出てくるヤツ」
 それから筆替りにしたウサギの首を六芒星の一番上の頂点に起き、続いてショルダーバッグからウサギの首を五つ取り出してそれぞれ頂点に並べた。
「これでよしと」
 並べ終わると男の子は、ウサギの血と首で描かれた六芒星を満足気に眺めた。
「あとは、真ん中に七ひきめのウサギの首を並べれば完成なんだけどさ」
 そこで改めて女の子に視線を移すと、女の子は芝の上にへたり込んでぽろぽろと涙を零していた。
 ひょっとしたら、腰でも抜かしたのかも知れない。
 ふたつに結わえた長いツインテールが、小刻みに震えていた。
「学校で飼っているウサギは六ぴきだって言ったでしょ?」
 軍用ナイフを手で弄びながら、男の子が話しかける。
「でも、六芒星の真ん中には、七ひきめのウサギの首を並べるんだ」
 男の子はその場に動けないでいる女の子に聞いた。
「じゃあ、どうすればいいと思う?」
 周りの空気は淀んで流れない。
「七ひきめのウサギの首をどうすれば並べられると思う?」
 アブラゼミのジージー鳴く声だけが、淀んだ空気を震わせる。
「ねえ、『ウサギちゃん』!」
 震えるツインテールを引っ張って芝の上に押し倒し、手にした軍用ナイフを男の子は振り上げた。
 女の子が声無き悲鳴を上げる。
 そして
 …………
 …………
 …………
 ゴリッ


 了
へろりん

2016年06月12日 20時40分45秒 公開
■この作品の著作権は へろりん さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:
探しても、探しても、いくら探しても、七ひきめのウサギの首は見つからなかった
◆作者コメント:
学校の怪談です。
ぷち夏企画のにぎやかしにでもなれれば幸いです。
よろしくお願いします。

2016年07月05日 00時29分03秒
+20点
2016年07月04日 00時08分44秒
+20点
2016年07月03日 17時26分41秒
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2016年07月02日 20時55分40秒
作者レス
2016年06月26日 21時38分15秒
+10点
2016年06月26日 05時52分12秒
+20点
2016年06月25日 20時10分08秒
+10点
2016年06月23日 22時45分15秒
+30点
2016年06月22日 22時26分41秒
+10点
2016年06月19日 18時13分11秒
+10点
2016年06月19日 17時20分28秒
+20点
2016年06月19日 13時32分23秒
+20点
2016年06月19日 13時05分59秒
+10点
2016年06月18日 21時25分13秒
+10点
2016年06月16日 01時36分06秒
+10点
2016年06月14日 20時31分06秒
+10点
2016年06月14日 06時27分50秒
+10点
合計 16人 230点

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