夢入様 |
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青いキャンバスには白い雲は一つもなく、肌をジリジリと焼く太陽の光はストーブを彷彿とさせた。 耳を澄ませば目の前の木々からは虫の鳴き声が聞こえ、鼻を凝らせば磯の香りが鼻腔を抜ける。 小学校が夏休みに入ったことを機会に、私はお婆ちゃんの家に泊まりに来たのだ。仕事が忙しい両親は一週間後に迎えに来ると言っていた。 お婆ちゃんの家は自然が豊かな離島にあり、都会育ちの私はテレビの中で見るジャングルに来たような印象を受けた。ただ、その考えはそこそこ当たっているようで、人の姿はほとんど見ない。お婆ちゃんが言うには、ここには年寄りしかいねぇからみんな家の中にいるんだ、とのことだ。 そんなところに他の子供もいるわけもなく、朝から私は当てもなく山を探索したり海辺で貝殻拾いをして遊んでいた。毎日が新発見の連続で一人でも寂しさは感じなかった。 味付き卵の黄身のようなオレンジ色の太陽が海に沈む頃にお婆ちゃんの家に帰るようにしていた。 お婆ちゃんの家に着くと、まずお風呂に向かった。ヘアピンを外して服を脱ぎ鏡を見ると、服のあとがくっきりと白くなっていて、なんだか面白かった。ささっと汗を流してから晩ご飯を食べた。 この日の晩ご飯は、白米と冷えた味噌汁、それに漬け物やほうれん草のお浸しだけと、野菜中心の食生活は年寄りらしいと思い、もっと脂っこい物が食べたいとも思った。しかし、そんな晩ご飯にもメインディッシュがある。――スイカだ。 晩ご飯が終わり窓辺に腰を下ろし外を眺めていると、お婆ちゃんは大きなスイカをお盆に乗せて運んできた。 このスイカは小学生の私には大きすぎて、お婆ちゃんと半分こして食べた。 歯磨きとトイレを済ませて寝室に入ると布団が二組敷いてあった。 私が布団に潜り込むと、おやすみ、とお婆ちゃんは微笑みながら電気を消した。 ☆★☆★☆★☆ この日を境に毎日男の子の夢を見た。 山を歩いていると同い年ぐらいの男の子に出会った。 私は男の子に手を引かれるまま山奥に進んでいく。だが不思議と恐怖は感じ無い。 木々に囲まれた薄暗い林の中で昆虫採集に勤しんだ。 ☆★☆★☆★☆ 目を覚まし外を見ても、翌日も翌々日も山や海の様子は変わりなく、少し飽き始めていた私にとって男の子と遊ぶ夢の中は毎日が冒険で、そちらの方が楽しくなり始めていた。 だが、三日ほど経ったあたりから男の子と遊ぶ内容が変わってきた。 いつもなら山の入り口で男の子に会いそのまま遊ぶのだが、この日はもうすでに山奥にいて目の前に男の子と子犬がいた。 男の子は子犬の足を持つと思いっきり振り回した。子犬の鳴き声と骨が砕ける音が響き渡る。 ボロ雑巾のように子犬を投げ捨てると、次にポケットから出したカッターナイフで耳を引き裂き目を突き刺した。 いきなりの状況に私は呆然と男の子を見続けることしかできなかった。 男の子の冷たい瞳が私の視線と重なる――。 呼吸を荒げながら跳ね起きると辺りはまだ暗く、隣ではお婆ちゃんが寝息を立てていた。 寝ようと思い横になり目を閉じるも、夢を見るのが怖くてお婆ちゃんが起きるまで眠ることができなかった。 お婆ちゃんと朝食を済ませて外を眺めると、昨日とはうって変わって曇天で、雨が降るから今日は家にいなさい、とお婆ちゃんに言われた。 昔ながらの平屋のお婆ちゃんの家は遊ぶ物も場所もなく、娯楽と言えばテレビしか無かった。そのテレビには時代劇が映っており、私には難解で面白さがわからなかった。 長座布団に寝そべると、夜に寝られなかったせいもあり、瞼が重力に負けて下がってきた。 気付くと私は山の中にいた。どうやら眠ってしまい夢の中に来てしまったようだ。 山の中は白く濃い霧で覆われていて、視界が制限されている。そのせいか、いつもいる男の子の姿も見えない。 呼吸を整えて耳を澄ませる。前方から足音が聞こえてくるが姿は見えない。 私は物音を立てないように脇の林の中に身を隠すと、だんだんと霧の中に見える影が姿を現してきた。 その姿が男の子だと確信すると同時に私の体は硬直した。 男の子の手には赤く血塗られたカッターナイフが握られていたのだ。一体なにに使うつもりなのだろうか……。子犬の件が脳裏に浮かぶと血の気が引いてくる。――逃げなくては。 林から顔を覗かせると、そこに男の子の姿はなく静寂だけが漂っていた。 今なら行ける。 立ち上がろうとする私は腕を強く握られ後ろを振り向いた。振り向いた先にはカッターナイフ片手にほくそ笑む男の子がいた。 「な、なにかな?」 男の子に声をかける私の顔は、きっと引き攣っていただろう。 「一緒に遊ぼうよ」 カッターナイフを持っていることもあるが、目を大きく見開き無表情になった男の子の顔を見て戦慄した。 恐怖のあまり声が震える。 「遊ぶのは良いけど、なにで遊ぶの」 「えーと、まずキミを裸にして木に縛るでしょ。それから口を塞いで耳を削いで目を潰すでしょ。あとね、柔らかそうな足も切りたいな。最後は首を切るか心臓を突くかで迷ってるんだけど、どっちがいいかな?」 人差し指を立てながら話す男の子の目はさっきとうって変わり、夢を語っているように輝いていた。 「なんでそんなことするの」 「え? なんでって裸にするのも木に縛るのも切りやすくする為じゃない。口を塞ぐのは目の前で叫ばれたら五月蠅いし、目を潰すのは僕がカッターナイフで切るところを見るのは怖いだろうなと思ったから、耳はついでかな。あ、でも切ってる最中に目玉が無いのが騒いでるのも気持ち悪くて萎えそうだから、目玉を最後にしようかな」 額から頬を伝い顎に冷や汗が流れた。 この子は何を言っているのだろうか。 私は力の限り暴れるが男の子の力は想像以上に強く、あっけなく押し倒されてしまった。 「やっぱり最初に目玉を潰さないとダメかな」 「やめて。離して!」 必死に抵抗するが馬乗りになっている男の子をどかす術は無かった。 「大人しくしてないと痛いよ?」 私は頭を抱えて防御の姿勢をとった。その時、なにかが手に触れた。 ――もうこれしかない。 男の子の振り下ろす腕と私の腕が交差した。 ☆★☆★☆★☆ 目を覚ました私は気分が悪くなりトイレで嗚咽した。 お婆ちゃんが介抱に来てくれたので、ここに来てからの夢の話――男の子の話をした。すると、お婆ちゃんは血相を変えていろんなところに電話をし始めた。 何事かと思い聞くと、夢入様だ、と言い簡単な説明をしてくれた。 「ユメイリサマ?」 「そうだ。夢入様はこの島に昔からいる妖怪みたいなもんだ。老若男女と姿は決まっていないが夢の中で残虐非道なことをするのが特徴で、夢の中で死んだ者は現実でも死んでしまう厄介な妖怪だ」 怖くなって手が震える。震える手を抑えようと力強く握るが、今度は体が震え始め涙が溢れ出てきた。そんな私をお婆ちゃんは抱きしめてくれた。 「私死んじゃうの?」 「島には夢入様を外に出さないように祠が建てられているから、今日中に島を出れば大丈夫だ」 「本当?」 「ばぁばは嘘はつかないよ」 そう言って笑うお婆ちゃんの抱きしめる力は強かった。 そこから私が島を出るまでの流れは、激流を下る舟のような慌ただしさだった。 準備ができ別れ際、お婆ちゃんに、二度とこの島に来てはいけない、と言われた。嫌だと言いたかったが、お婆ちゃんの悲しそうな顔を見ると何も言えなかった。 私はお婆ちゃんに抱きつき、さよなら、と別れを告げ船に乗り込んだ。 「あっ」 涙で視界がぼやけてて足下が見えていなかった私は、揺れる船に足を取られて盛大に転んでしまった。 「大丈夫か」 船主に声をかけられ立ち上がると、無言で頷き指先で涙を拭き取った。 お婆ちゃんも別れるのは悲しいのに私だけ泣けない。 振り向いた私は、涙をこらえてお婆ちゃんに手を振った。転んだ時に切ってしまったのか腕から血が流れていたが、お婆ちゃんの姿が見えなくなるまで構わず腕を降り続けた。 ☆★☆★☆★☆ 周りが暗いせいもあるが、街灯に照らされたハイヒールがコンクリートを踏みしめる音がやけに威圧的に聞こえる。玄関の目の前の手摺りは塗装が剝げ落ち錆で赤くなり、白かったであろう外壁は薄茶色に汚れきっている。 高校を卒業した私はこの古くさいアパートに引っ越してきた。特に理由は無いのだが、強いて言えば夢の一人暮らしというものだ。 玄関を開けると狭いアパートの一室に一本の電話が鳴り響いていた。 「はい、もしもし」 電話の相手は母だった。なんでもお婆ちゃんが脳梗塞で倒れて入院することになったそうだ。 「お婆ちゃんって離れ小島に住んでるよね。治療できる病院あるの?」 私は受話器の線を人差し指でねじりながら耳を傾けた。 「離れ小島って、アンタ寝ぼけてんの?」 「なにが――」 「お婆ちゃんは普通に長野県の山の奥に住んでるわよ」 「引っ越したの?」 「はぁ? 昔から変わらないわ」 その言葉の意味を理解するのに、私の脳はやたらと時間がかかった。 父方のお婆ちゃんは亡くなっているのでいない。いるとしたら母方のほうだが、昔から住んでいるとなると、あの小島で過ごしたお婆ちゃんは誰なのだろう。 部屋の電気を点けた時、窓に反射する自分を見て気が付いた。島から出る時に船で転んだ傷跡が残っているのだ。これだと思った。 「私が小学生の時にお婆ちゃんの家に行った時に夢入様っていう妖怪に取り憑かれて、急いで帰るのに島から出る船に乗ろうとして転んだ傷が腕に残ってるよ」 これなら話が通じるだろう。そう思った私だが、その答えは予想外のものだった。 「だから、お婆ちゃんは長野県に住んでるって言ってるじゃない。そもそも、その傷はアンタが山に遊びに行ってつけてきたものでしょうが」 この傷は山でつけた……? 混乱する私に母は話を続けた。 「あの日あんな傷を負ってきても泣かなくて、それで青い顔してたからよく覚えてるわ。なにがあったのか聞いても、男の子と遊んでてなった、ってしか言わないかったのよね。まぁ、見た目の割に傷口も浅かったから病院は行かなかったけど――」 母の言葉が途中から耳に入らなくなった。 私が現実だと思ったお婆ちゃんは夢で、夢だと思っていた男の子は現実。では、あの男の子は誰なのだろうか。 考えれば考えるほど溝が深まるばかりで、全然答えが出てこなかった。 母との通話が終わった私はジャージに着替えると、思考の霧を晴らすために夜風を辺りに家を出た。 引っ越してきてまだ一ヶ月ということもあり、まだ決まったルートしか散歩は出来ないが、今の私にはちょうど良かった。下手に考え事をして歩いていると迷子になりそうだ。 散歩と同じように道筋を思い出しながら歩いていると、ふと、後ろから足音が聞こえるのに気付いた。 最初は私と同じ道で帰るサラリーマンだろうと思っていたがどうやら違うようだ。私が立ち止まると足音も止み、歩を進めると足音が増えるのだ。 私は怖くなり歩調を早め後ろを見ると、そこに人影が見えた。夜道で顔は見えなかったが、身長で言えばおそらく男だろう。 男の方を見ながら数歩進むと男の顔が街灯で照らされた。男は私と目が合うと口角を上げ、こちらに指をさしてきた。 狙いが私だと確信を得ると、急いでその場から走り去った。 こんな時に限って携帯電話は家に置いてきてしまった。唯一の救いはスニーカーで走りやすいことだろうか。 家がバレてしまうのが一番困るので、撒いてから帰ろうと思い適当にジグザグに走り回った。ここがどこなのかもわからないが、道路の案内標識を見れば帰れるだろう。最悪そこら辺の家の人に聞いてもいい。まずは、あの男から逃げ切るのが先決だ。 適当な曲がり角で立ち止まり、息を整えて静かに来た道を見返してみる。男の姿は――ない。 胸をなで下ろし前を見ると、そこにはさっきの男がいた。 私の心臓はかつて無いほどの早さで脈拍を刻み、呼吸が止まりそうなほど驚いた。 「探し出すのに苦労したよ」 静かな男の声に懐かしい雰囲気を覚えた。 「アナタはだれ」 私の問いに男は目を見開くと、ポケットからカッターナイフを取り出した。 「やっぱり覚えていないよな」 物言いは静かだが怒気を感じられた。怒りのバロメーターを表しているかのように、カッターナイフの刃がカチカチと音を立てて伸びてきた。 私は黙って男の話を聞くしかなかった。 「僕はね八年前にキミと山で遊んで左目を潰されたんだよ」 そう言われてから男の左目を見ると白濁した瞳なのに気付いた。 「どうやらキミは忘れてしまったようだから、一度説明してあげようか。 小学生の夏休みの時期に僕とキミは偶然出会った。僕はバラバラにする虫を取りに行っていたのだけど、キミはただの虫取りだと思ったのか楽しそうにしていたね。その日から僕たちは仲良く遊ぶようになった。ある日山に行く途中で子犬を拾ったから山でバラバラにしてみることにした。もしかしたらキミも案外楽しんでくれるかと思ったしね。 だが、キミは一目散に走り出した。今と同じようにね。 鬼ごっこのように捕まえるゲームでも始めたのかと思ったよ。捕まえたらなんでもして良い罰ゲーム付きでね。だから、僕は必死に追い掛けた。確か辺りには濃い霧が出ていたけど、難易度が上がったと思えば楽しさは倍増した。 気配を殺して近づきキミを押し倒すことに成功して、切ろうと思って手を振り下ろしたら左目が熱くなって開けてらんなくなったんだ。 キミは酷い奴だ。僕の目にヘアピンを刺すなんて」 男の握るカッターナイフの刃が落ち着き無く出入りしている。 「キミに逃げられた僕はひとまず家に帰ることにした。そこで親に驚かれてすぐに眼科に連れて行かれたよ。だけど、手の施しようがなくて失明だろうと言われた。 まぁ、でもキミを恨んじゃいないよ。その証拠にキミのことは話さずに、山で遊んでいて細い枝が刺さったと言っておいた。自分でヘアピンを抜いたのが功を奏したのか、傷口が荒くなって本当に枝が刺さったと医者も思い込んだんだろう。特に何も聞かれなかったよ」 そこまで話を聞くと、私は恐る恐る口を開いた。 「じゃ、じゃあ今更私に何の用があるの?」 「んー、ただふと思い出したんだ。キミのこと」 男の手が私の腕を力強く掴んだ。 男の笑顔が私の顔に近づく。 「じゃあ、そろそろあの時の続きを始めようか」 |
たてばん 4Ru6zmU./o 2016年06月12日 20時18分55秒 公開 ■この作品の著作権は たてばん 4Ru6zmU./o さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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