サントアンヌ2世号ジムリーダー失踪事件 |
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※本作はポケモン、およびポケモンGOの二次創作です。 原作の雰囲気が壊れる恐れがあるので苦手な方はブラウザバックをお願いします。 「そこのじむりーだー、しょうぶだー!」 いとけない声に、思わず振り返る。 赤いカーペットの上、スマホを掲げながら目を闘志に輝かせる少女がいた。足元にはロコンがまとわりついて、バトルの予感に闘志をみなぎらせながら小さく火を吐いていた。 ポケモンそのものはVR(ヴァーチャルリアリティ)とはいえ、カーペットが焦げそうな熱が伝わってくる。 ……しかし困った。 俺はトレーナーじゃない。 「ええと、せっかくですがお客様……」 「もんどうむよう! いざ、じんじょーにー……ってあれ!? なんでポケモン出さないの? バトルしようよ!」 キラキラとしたまなざしに、罪悪感を覚える。 ここは、ポケモンGOのために船を丸ごと『ポケモンジム』にした豪華客船サントアンヌ2世号。 ゲーム原作のようなポケモンジムを船客たちで運営しながら、各地に寄港しポケモンをGETしたり、挑戦者を待ち受ける。 そういうツアーなのだから、乗客はすべてポケモントレーナーに決まっている。 が、現実はゲームじゃない。 ゲームのサントアンヌ号にはトレーナーだらけでも、リアルでは船を動かすためにスタッフが必要だ。そして俺たちスタッフの業務にバトルは入っていない。だからバトルはできない。 そうやんわりと説明したが、少女はぶぅと頬を膨らませた。 「えぇ~。だってスマホに『じむりーだー』ってかいてあるよ!」 そう言って彼女は、足りない背丈を補うようにぴょんぴょん跳ねて、画面を俺に見せてきた。 この船では、歩いているトレーナーをスキャンすると、そのトレーナーの戦歴が見られるようになっているのだ。彼女は、俺をスマホでスキャンして、ジムリーダーと確認したらしい。 ……しかし、俺がジムリーダー? 内緒で挑んでる現ジムリーダーのマツノに、一回も勝てたことないのに? 小首をかしげながら彼女のスマホをのぞき込むと……確かに、書いてあった。ひらがなで。 『じむりーだー。ふかがわたすけ』 そんな馬鹿な、と目を見張ったが、ふと、このトレーナースキャナーを開発した先輩のことを思い出した。 ……あぁなるほど。そういうことか。 子供用のUIでみると、表記は確かにジムリーダーに見える。 やってくれたな、先輩。 俺は苦笑して、自分の胸についたネームプレートを見せるように少女の前に膝をついた。 「自己紹介が遅れて、申し訳ありません。私は『事務リーダー』の深川太助。トレーナーじゃなくて、裏方のスタッフですよ。このサントアンヌ2世号を動かすための事務作業を行っております」 少女は、「すた、っふさん? じむさぎょー??」と聞きなれない言葉に目をパチパチと瞬かせた。 □□□ 深夜、ジムリーダーの船室に酒を持っていったら、捕まった。 「聞いたぞタスケ、お前挑戦者の女の子にジムリーダーと間違われてバトル挑まれたんだってな! よっ、サントアンヌジムリーダー! バッジくれー!」 そう囃し立てて、現ジムリーダーのマツノはニヨニヨと酒に赤くなった顔で笑った。 どうも今朝のネタを仕入れてから、からかいたくて仕方なかったらしい。 「へーへー、現ジムリーダー様から認めてもらえるたぁ、ありがたいことですね」 やさぐれて、手の中の酒を一気に煽る。 ご相伴にあずかった船員にしては俺の態度は不遜すぎるが、構うことはない。どうせ今日の俺のシフトは終わってるし、実はマツノは高校からの友人だ。お互い気が置けない関係で、今更かしこまっても笑えるだけである。 ……事実、船員としての立場から日中は「マツノ様」と呼んでいるが、そのたびにマツノは笑いを嚙み殺そうとして変な顔になっている。 ちくしょう、船を降りたら覚えとけよ。 「それにしても、事務リーダーね。いやー実にシャレてる肩書だ。くくくっ」 「まだ言うか」 じとり、とマツノを睨むが未だにツボに入り続けているらしく、喉の奥でくつくつと笑い続けている。むう、とふてくされる。 空のグラスを弄びながら、一応言い訳じみたことをいってみた。 「別に、俺が自称したんじゃない。正式な俺の肩書は事務部司厨員。事務リーダーってのは、……昔、先輩につけられたあだ名だよ。先輩たち、船を下りる時にやけにニヤニヤしてると思ったら、俺の船員データにいたずらしていったんだな。とんだ置き土産だ。5年間全く気づかなかった」 後半独り言じみて述懐する俺に、マツノは珍しく神妙な顔をした。 「5年前……っていうと、アレか。サントアンヌからポケモンVR化の開発者たちが一人も残さず降りた日だな」 マツノはあの日はまだサントアンヌに乗っておらず、小さな会社で会社員をやっていた。 だから当時のことなど何も知らないはずである。 俺は一つだけ修正してやった。 「全員降りたわけじゃない。俺だけが残って、……それで今もここにいる」 「え、お前も技術者だったのか?」 「まさか、プロジェクトはエンジニアだけじゃ回んねぇよ。俺はチームの何でも屋だった」 「じゃあ、なんで開発者たちは船を降りたんだ? お前は降りようとは思わなかったのか?」 仕事に疲れた頭にはグラスが反射する光ですら眩しい。 俺は目を眇めて、ぽつりと言った。 「……もういやになったとさ。プロジェクトは成功したものの、上司に手柄を根こそぎ奪われた上に、別プロジェクトの失敗を押し付けられてチームは解散。これじゃ残る気がしないだろ?」 マツノはため息をついた。 「……ひでぇな、それ」 「まぁ、会社も業績が悪化して程なく潰れたし、先輩たちはVRシステムごと大手に引き抜かれたみたいだから、それだけは救いだったな」 「で、お前はわざわざサントアンヌを買収した会社に転職して、またサントアンヌに乗ったと。……なんで先輩に一緒に連れてってもらえなかったんだ? いじめ?」 「ばーか、俺は可愛がられていたよ。先輩達が言ってたんだ。“お前はまだこの船に未練があるんだろう。だから一緒には連れてけない。お前や船に恨まれたくないからな。だが、いいかタスケ。物事や関係には終わりがあるんだ。お前はこの船とどうやって関係を終わらせるか、それを考え続けろ”ってさ」 へぇ~、とマツノが感心したように頷いた。 「深~い話だな」 俺は苦笑した。 「そこだけ聞けばな。先輩はこうも言ってた。“ただし、絶対に5年以内には降りろ。じゃないと、無理やり降ろされることになるかもしれない。他の誰かが決めたことに、自分の意志を無視して巻き込まれるのは嫌だろ?”ってな」 実のところ、未だにこの忠告の意味はわからない。 言葉尻では仮定を装っているが、先輩は悪い意味での有言実行なのだ。きっと5年以内に何かあるに決まっている。 ご丁寧に手元のスマホでカレンダーを確認したマツノは、恐る恐る口にした。 「……今年で5年目だな」 「うん、しかも今週できっかり5年目。でも俺はこの船から降りる気はない。先輩の5年以内てのも、俺以外の“誰か(先輩)が決めたこと”だからいうこと聞くのものも業腹だしな」 俺は嫌な予感を振り切るように、にやりと笑った。 「んまー、かわいくない子」 マツノも応じて、茶化すようにマツコデラックスみたいに肩をすくめた。実在の人物はヤバイ。 「や、やめい。頼むからシャレにならん事態を重ねるのやめて。ただでさえ先輩の言ったことって当たりやすいんだよ。……まぁ、だからそろそろ、無理やり降ろされる事態は起きるんだろう。俺は、その日までこの船と一緒にいるよ」 「船と運命を共にしますってか」 それこそシャレにならんぞ、とマツノは呆れた顔をした。 俺は笑って否定するように軽く手を振った。 「まさか、俺はそんなに殊勝じゃない。俺は先輩たちの作った船とVRシステムと、行けるとこまで行ってみたいんだよ。それだけだ」 俺が割と前向きな考えをしているので、マツノは驚いたようだった。 「……すげえな、お前。……まぁ俺は100年先までジムリーダーの座を譲るつもりはないからな。お前が下りた後も、お前の代わりに船を守ってやるよ。感謝しろよなー」 俺もくつくつと笑った。 そうそう、俺たちに湿っぽい雰囲気は似合わない。このくらいの冗談が言えるくらいがちょうどいい。 「ははっ、ぬかせばーか」 そのあとは、『未来の100年防衛記録ジムリーダーマツノに乾杯!』と調子っぱずれの大声で乾杯した。酔っ払いってこんなもんだ。 その後マツノとバトルして、いつも通りに負けた。お互いへべれけで。 俺は、酒でうるんだ声でスリーパーに指示を出しながら、船を降りたら、もうこのふざけたジムリーダーとバトルできないんだな、とちょっと切なくなった。 □□□ 翌日。サントアンヌの甲板。 いい天気だ。 そう、甲板の強烈な日差しと照り返しで、寝不足と二日酔いには耐えがたいほどのいい天気だ。 俺は酒に青くなった顔で、営業スマイルを浮かべながら必死に 『ラプラス乗船チケット』を切っていた。 チケットをきられた客が、ぞろぞろと甲板に横付けされたラプラスに乗り込んでいく。 座席の背中の甲羅(?)はすぐに満員になった。 もともと人を乗せるのが好きなポケモンなので、ラプラスも機嫌よさそうに歌なんか歌っている。 ……頼むから『ほろびのうた』はやめてくれよ。 今日は、サントアンヌジムリーダーマツノVS挑戦権10回目の挑戦者の公式バトルだ。 ちなみに、サントアンヌ2世号では、10回までジムリーダーへの挑戦権があり、それ以上負けるとこの船を降りなければいけない。 ただでさえ、リアルポケモンバトルができるサントアンヌの乗船希望者は多く、強制的にでも乗客の入れ替えをしないと、乗船希望者リストは中々減らないからだ。 一方、ジムリーダーも強制降船の点では安心できない。 ジムリーダーはもっと厳しく、一度でも負ければそれで終わりだ。しかも挑戦者は尽きることが無い。 常に背水の陣で戦い続けているようなものだ。 マツノも挑戦者も負ければ終わりの崖っぷちだ。 ……とはいっても、俺はマツノが負けるとは思っていない。ほぼ毎日戦っているからわかる。こいつは歴代のジムリーダー最強だ。 サントアンヌ2世の連続ジムリーダー防衛記録を現在も更新中で、昨日言っていた『100年ジムリーダー』も達成可能ではないかと思う。……その前に船が持たないだろうけど。 さて、そんな重要なバトルの会場は海上である。――いや、ギャグじゃなくマジで。 今日は水ポケモン縛りなので、海の上のバトルのほうが映えるのだ。 そのため、間近でバトルを見たい観客のために、VR(ヴァーチャルリアリティ)のラプラス――を投影した小型船を用意している。 もちろんこのラプラスもAIを搭載しているから、現実にラプラスがいるかのような反応をする。 さて、バトル20分前。 ラプラスは嬉しそうに観戦ポイントをめざして出発した。ついでに俺を含む係員も数名乗り込む。安全上必要なことだ。 マツノと挑戦者もそれぞれ水上オートバイにまたがり、派手な水しぶきを上げながらポイントまで移動していく。 ちなみにバトル会場では不正対策として、強力なジャミング(電波妨害)が仕掛けられている。サントアンヌではトレーナーはバトル本部から貸与されたスマホを使ってポケモンのAIへ指示を出す。バトル会場ではジャミングにより、そのスマホの周波数以外はすべてはねのけられるのだ。 これでバトル中にポケモンがトレーナー以外の電波を受信して、暴走することを防ぐことができる。 ……まぁよっぽど巨大なアンテナがあればジャミングを上回る電波を発して、相手のポケモンを乗っ取れるかもしれないが。しかし、そうなったら目立ちすぎて一目瞭然で不正がバレる。 そう、視界を遮るものがない海に、鉄塔なんて立ってたらさすがに見逃す方が難しいだろう。 一応見回してみるものの、それらしい影はない。 それ以上は、反射した海面の光に寝不足の目をちくちくいじめられたので、見るのもキツかった。 (なんでマツノは平気なんだよ……) 八つ当たり交じりに、じっとりと水上オートバイ上のマツノ背中を睨む。 その視線に気づいたわけでもあるまいし、ふとマツノがラプラスの上の俺を振り返り、ひらひらと手を振った。 余裕の笑みだった。昨日俺より酒飲んでいたはずなのに、コンディションは最高らしい。ザルというかワクである。 一方挑戦者は、……目が血走っている。 後がないという緊張感のせい、――にしても限度がある。 水上オートバイを操るハンドルさばきも危なっかしい。 ただ、バトルに参加できるなら、挑戦者のメディカルチェックも水上バイクのメカニカルチェックも通ったんだろうが、……果たして大丈夫だろうか。ポケモンにベストな指示ができるかどうかも怪しい。 これは、バトル前からマツノの勝利が見えたかもしれない。 可哀相だが、挑戦者がベストコンディションが保てない以上、ただでさえ薄い勝ちの目が完全に消えたように見える。 (マツノ、頼むからやりすぎんなよ……。ジムリーダーが恨まれると、ろくなことにならんぞ) 俺は、ラプラスの背中によりかかりながらため息をついた。 ーー今思えば、俺の目は節穴だった。 あんなバトルはこの船に乗ってから8年、一度も見たことが無かった。 □□□ (どうしたんだよ、マツノ……!) 俺はラプラスの背中でバトルを呆然と見つめていた。 バトルが始まってみれば案の定マツノの一方的な展開で、挑戦者は歯を食いしばりながらなんとか耐えているようだった。 挑戦者の持ちポケモン3体の内、2体がすでに倒され、3体目はスターミー。 そのスターミーが挑戦者に『ハイドロポンプ 』を指示された瞬間、空気が変わった。 指示を受けてスターミーが海中に潜る。なぜか『ハイドロポンプ』が海中から水面に向かって噴射された。 水上に何本も水柱が立ち、海面ギリギリを背中のカノンから噴射される『アクアジェット』で飛び回っていた、マツノのカメックスの移動ルートが制限される。 しかし、マツノは慌てていなかった。 水上のルートが制限されるなら、カメックスも海中に潜ってしまえばいい。 マツノはカメックスに指示を飛ばした。カメックスがそれを受けて、手足を丸めて海中に潜航しようとしたとき――不可解なことが起こった。 カメックスが雷に打たれたように痙攣して、海面に倒れ込んだ。 バシャンと、大きく水柱が上がった。 スターミーの『10万ボルト』か?! ――いや、海中で10万ボルトなんか撃ったらスターミーも感電する。海水は電気を通しすぎる。自爆を選ぶほど挑戦者は馬鹿じゃない。 じゃあ、なぜカメックスは倒れた? 思わず、実況のモニターを凝視する。カメックスのHPは満タンだった。 かといって、まひ技の『でんじは』を受けたわけでもない。 ステータスも異常なしだった。 (――なんだ、何が起きてる?!) 不可解さに首を傾げている暇はなかった。 次の瞬間、カメックスがはじかれるように起き上がった。 両手足、頭を甲羅にひっこめての『からにこもる』。自分のぼうぎょを一段階上げる技だ。だが、短期決戦を旨とするマツノの戦法には似合わない。 案の定、マツノの目は驚愕で見開かれている。 そんな指示を出した覚えはないんだろう。 技をキャンセルするためか、何度か必死でスマホに向かって指示を飛ばしている。 しかし、その指示もむなしく、カメックスは『からにこもる』を解除しないまま海中に沈んでいく。 ラプラスのモニターと、アナウンスに非情な判定が流れた。 【カメックス:バトルエリア外に出たため、戦闘不能】 哄笑する挑戦者に、険しい表情のマツノ。 追い詰める者と、追われる者が逆転した。 □□□ あれからマツノは、3匹の手持ちポケモンを全てスターミー1匹に撃破され、ジムリーダーの座を奪われた。 サントアンヌは前代未聞のニュースに沸き立っている。 俺は唇を噛み締めながら、仕事に没頭した。そうでもしないと、マツノに何を言ってしまうからわからない。責めたいのか慰めたいのか、けしかけたいのか、それすらもわからない。 ようやく踏ん切りがつき、夜にジムリーダーの客室を訪ねた時には、全てが終わっていた。 マツノの私物はすべて段ボールに全て押し込まれた後で、豪華な部屋はがらんとして寒々しい空気しか流れていない。 マツノは段ボールにもたれて、ぼんやりと煙草を吸っていた。心ここにあらずのようだ。 かける言葉もなく、俺は入り口に立ち尽くす。 マツノはふと振り返り、珍しく皮肉気に肩をすくめた。 「悪いなお前との約束果たせないで。本気で100年ジムリーダー目指したんだがな……。力が及ばなかった」 俺は首を振った。マツノのせいじゃない。 あのバトルは絶対におかしかった。 意図せず怒りがこもり、低い声が漏れ出た。 「……俺は、本部に挑戦者を不正の疑いで訴えた。どう考えたってあれはおかしい。お前のトレーナーレベルなら、ポケモンが言うこと聞かないなんて馬鹿げた事態が起こるわけない」 へぇ、とマツノは口の端をあげて笑った。自嘲の笑みだ。 「それでどうなった? 本部はなんて答えてきたんだ」 俺は唇を嚙み締めた。 マツノはわかってて、言わせようとしているんだ。 希望を持たせるようなことを言う俺を、咎めているのかもしれない。 「……バトル会場でカメックスが受信した電波は、マツノの分しかなかったって。マツノが指示したのは明白だから、判定は覆らない、と」 マツノは煙草から口を離して、低く笑った。 「ククッ、まぁそうだろうな。本部は、海上のジャミングが強力だって喧伝している以上、不備があったなんて言えるわけがない」 俺は、マツノの言葉にはっとした。 マツノも腹の底では納得していないらしい。 それにしては投げやりな態度だ。ジムリーダーを追われるのもどうでもいいかのような……。 まさか本部への不信感で、トレーナーまでやめようなんて考えているんじゃ……。 嫌な予感がする。 「いいか。やけになるなよ、マツノ。俺はあの挑戦者を徹底的に洗う。絶対何かカラクリがあるはずだ。もし挑戦者の不正が認められれば、お前がジムリーダーに返り咲ける。絶対に俺が証明する。……だから、間違ってもトレーナーやめようなんて考えるな」 マツノはまたしても皮肉気に笑った。 「おいおい、あいつは俺に勝ったんだ。“挑戦者”じゃなくて“新ジムリーダー”って呼んでやれよ。俺は“前ジムリーダー”、だ」 腹の底が熱くなる。お前、あれが本当の勝負だったって認める気か? 「マツノ、お前――!」 怒る俺に、マツノは舌打ちして頭をガリガリとかいた。はぁ、と苛立ち交じりのため息を吐いている。 「……トレーナーは止めねぇよ。悪い、ちょっと茶化しすぎた。だがな、お前はこの件からは身を引いたほうがいい。俺に近すぎるとお前が割を食うことになる。……お前、上司に『マツノと仲が良かったから 不正だって騒ぐんじゃないのか』って揶揄されなかったか。隠れて楽しく飲んでただけとはいえ、俺と癒着してるなんて疑われたらお前の立場が悪くなる。お前の好意はありがたいけどな、今回のバトルは黙って呑み込んどけ」 ぐっ、と言葉に詰まる。 確かに、上司には言われた。 ……だから何だっていうんだ? 今まで頑張ってきたマツノが、酷い不正で追われるなんて。そんなの許せるわけないだろ。 睨みつける俺にマツノは笑った。 「俺はもう吹っ切れた。また挑戦者にもどっただけだ。だからもういい。……でもな、お前が怒ってくれて、俺は嬉しかったよ。ありがとな」 そう言って、マツノは苦笑した。 全部終わったような顔しやがって……! 感謝という名の、明確な拒絶だった。どうしてこいつはこんなに――。 手をきつく握りしめて、腹の中のぐるぐるとした怒りを必死に宥める。マツノは吞み込んでしまった。もう俺がどんなに声を上げても揺るがないだろう。くそが。俺も諦めるしかないのかよ。 「……わかった。マツノ、本当にそれでいいんだな」 「ああ、二言はない。次の港にサントアンヌが寄港したら、俺は船を降りるよ。敗れたジムリーダーは、去るべしってな。……元気でな、タスケ」 そういってマツノは手を差し出した。 こんな気分で握手できるかよ、ばか。 それでも俺は、唇を噛み締めつつもギュッと握り返した。 「どうせすぐ戻ってくるんだろ。お前があの挑戦者の首獲ってリベンジするの待ってるからな。それまで絶対にやけ起こすんじゃねぇぞ」 「首狩り族かよ俺は……。まぁ心配すんな、次は負けねぇよ」 ふふんと笑うマツノは全部吹っ切ったように見えた。 俺は、ため息交じりに笑うと、また明日、と言いおいて踵を返した。 足音高く、去っていった“俺”の気配が消えた頃、マツノはまた段ボールに寄りかかりうなだれたようだった。 けだるく煙草をくわえているのか、煙に曇った声だった。 「ああくそ。俺のことはいいから自分のこと考えてりゃあいいのに、ぜってーわかってねぇなアイツ。……あいつの先輩が言ってた『無理やり降ろされることになるかもしれない』ってのは、俺のバトルに抗議したせいかもしれないってのに。――頼むからそいつだけは勘弁してくれ。この俺が、あいつの夢潰すとか……考えたくもねえよ」 それがお前の本音か。……ばかか。 (俺だってお前の夢潰してまで自分の夢とるとか、考えたくもねぇよ。そんなことになったら、自分で自分が許せない。わかれよ、くそ) 俺はドア越しにマツノを睨みつけて、気配を消したまま部屋の前から去った。 俺の代わりに乱暴に去る足音を演じてくれたスリーパーは、先の廊下の角で心配そうに俺を見ていた。 やはり、マツノに向けられた疑惑は俺が晴らそう。こんな終わり方でいいわけがない。 何もかも間違っている中、その決意だけが正しいように思えた。 今になって思えば、どうあってもマツノを一人にするべきじゃなかった。 やけになるなとは言ったはものの、マツノは余裕で、全然そんな気配がなかった。だから油断しすぎたのだと思う。 マツノは港に寄港する前に、サントアンヌから失踪した。 海の上でどこにも行けないはずなのに、探しても探しても、サントアンヌにマツノの姿は見つからなかった。 □□□ 自分の友達を――おそらく不正で負かした相手を、“様”づけで呼ばないといけないなんて……酷い屈辱だ。 あの挑戦者。もとい新ジムリーダーの名前は、ナグモといった。 あれから2日たったが、マツノはまだ見つからない。 マツノのスマホのGPSをたどってみたが、無駄足だった。 ジムリーダーの船室にポツンとマツノのスマホが置き去りにされていて、そこで手掛かりは途絶えた。 口さがないクルーや乗客は、『前ジムリーダーは負けたショックのあまり、海に身を投げた』と噂している。マツノがそんなタマかよ。 だが、マツノが見つからないという事実が、噂を真実にしそうだった。ただ、悔しかった。 (マツノ、お前は一体何を考えて消えたんだ) 考えてもしょうがないのに嫌な考えが次々と沸いてくる。 俺は振り切るように明日のバトルのために、小型船ラプラス号の整備をすることにした。 明日は、新ジムリーダーの初めてのジム戦だ。 マツノの失踪で落ち込んだ船内の雰囲気を、新任ジムリーダーのジム戦で盛り上げようという思惑らしい。 何の因果か、バトルフィールドはまた海だった。ナグモの希望らしい。 (行方不明になったやつが最後にバトルした場所で、日を置かずにまたバトルとか不謹慎すぎるだろ……) のんきな本部の考え方に腹が立ったが、これは考えようによってはチャンスだった。 目の前のバトルでジムリーダーの不正が見つかれば、マツノの名誉が回復されるかもしれない。ポケモンに背かれたトレーナーとして名が残るのは不憫だった。 俺はラプラス号に、機関部から借りた電波探知機をこっそり積み込んだ。 明るみにでれば処分ものだが、構うことはない。手段を選んでたんじゃ真相にたどり着けない。 それでも2日考えて、ナグモの行った不正に一つだけ思い当たった。 『巨大なアンテナがあれば会場のジャミングを上回る電波を発して、相手のポケモンを乗っ取れるかもしれない』 おそらくマツノのカメックスはナグモに乗っ取られたんじゃないだろうか? しかし、問題が一つある。強力なジャミングを突破できる巨大なアンテナがどこにも見当たらなかったのだ。 だから、俺は見方を変えた。アンテナそのものを探すんじゃない。 大事なのは、いつマツノのスマホが乗っ取られたかだ。 そのための、電波探知機だった。ログをたどって、電波の強弱の波を探す。 俺のカンでは、バトルの3戦目、あのスターミーがきな臭いと思う。 ……ただの考えすぎかもしれない。だが、藁にも縋る気持だった。 (マツノ、頼むよ……。俺に仇を討たせてくれ) マツノが海に身を投げたとは思わない。 しかし死んでも居ないのにマツノに神頼みしている自分が滑稽だった。 □□□ 「最近の君の勝手な行動は目に余る」 派手に動き過ぎて、上司に呼び出された。 ご立派な司厨長室で重厚な机に座ったまま、事務部司厨長は俺を睨みあげる。俺は目を瞬かせた。 「……勝手な行動といいますと?」 「マツノ君の捜索に口を出すだけではなく、休憩時間や業務後も機関部に駆け込んで何かやっているそうじゃないか。ナグモ君にもポケモンバトルをねだっているようだし、君は一体何がしたいんだ?」 俺は、あからさまに戸惑った顔と声色で答えた。むろん演技だ。 「お言葉ですが、おっしゃることの何が問題なのかわかりません。確かに、『マツノ様』の捜索に関しては、差し出がましい真似をして申し訳ありませんでした。今後、職分を侵すことは致しません。……しかし、それ以外の休憩時間や業務後の行動については司厨長の関与するところではないと思いますが」 司厨長は、苛立ったように繰り返した。 「“何をしていたのか、何をしたいのか”だけを簡潔に言いたまえ。隠れて不穏な行動をされると、乗客に不安が伝染する。ただでさえ、前ジムリーダーの失踪で船内が緊張している。君の行動で船が危険にさらされるのなら、私の関与する余地がある」 それほどの危険人物にみられてるのか。……そろそろ潮時かもしれない。 俺は言われた通り簡潔に答えた。 「……私はこの船を降りようと思っています。ただ、辞める前にジムリーダーとバトルしてみたかったのです。幸い、ナグモ様には先日のジム戦の後でご快諾いただけました。『君の引退式には、はなむけにポケモンバトルをしよう』と」 「どうしてそんな大事なことを――!」 司厨長は目を見開いて、立ち上がりかけた。 ジムリーダーが公式にバトルを約束したなら、人を集めて正式なジムバトルを行わなければならない。 「申し訳ありません。私も、それほどおおごとになるとは思っていなかったのです」 しれっと言うと、司厨長は声を荒げた。 「言い訳はいい! 君はどうしてこう辞める時まで人騒がせなんだ!」 「ほぉ、『辞める時まで』、というと私の辞表は認めて頂けるんですね」 司厨長は面憎そうに俺を睨みつけると、一転脱力してため息をついた。 「……仕方あるまい。懲戒解雇(クビ)ではなく、会社都合退職扱いだ。前ジムリーダーのことで君が悩んでいたのは知っている。せめて最期の花道を飾ってくれたまえ。ただし、陸に上がるまでは君はまだ船員だ。……この人手の足りない時に、本当に君は――」 この人も、本部と部下や乗客の間に挟まれて苦労している。それを思えば、俺の作戦に巻き込むのは不憫に思えた。 俺は滔々と続くお説教の途中で、口をはさんだ。 「……やはり、この場でクビにしてもらえませんか」 司厨長は急な頼みに説教の気勢を削がれ、口をぱくぱくしていた。そしてため息をついてがっくりと肩を下げた。 「どうして最近の若いのは、こう唐突で遠慮がないんだ……。ええい、せめて理由を言え。理由を」 「……俺が辞めるのは、現ジムリーダーの不正を公の場――衆人環視の公式ジムバトル――で明らかにするためです。クビにしてもらえれば、船が俺の管理責任を問われる謂れはないはずです。だから今クビにしてください」 「だから、どうしてそういう大事なことを――!」 司厨長は悲鳴を上げた。 ……だんだん可哀相になってきた。 「いや失礼、何も聞かなかったことにしてください。何も知らなかったとシラを切れば、司厨長に嫌疑は向かないでしょうから」 「――俺が止めるとは思わないのか」 司厨長の一人称が“俺”になっている。 本音で向き合ってくれているらしい。ここで間違えるわけにはいかない。 「全く思いません。ナグモ様のバトルはどこかおかしい。――司厨長もそう思っているのではありませんか。早く手を打たないと、信用を無くすばかりです。ただ、あなたは無茶ができる立場じゃないし、この船には必要不可欠な人だ。……俺は身軽なものだし、何よりマツノの仇を討ちたい。我々の目的は一致している。止める理由はないと思いませんか」 司厨長は眉間にしわを寄せて、黙って俺の話を聞いていた。 そうして、司厨長はぽつりと言った。 「……俺はただ、この船を守りたい。それだけだ」 なら思いは同じだ。見逃してくれませんか――と、目で伝える。 司厨長はため息をついた。椅子をくるりと回して立ち上がり、窓の外の海を見下ろしている。 「俺は、何も聞いてない。それでいいんだな」 「充分です」 これで話は終わりだろう。見逃してもらえただけで御の字だ。 未だ海を見下ろしている司厨長に頭を下げて、俺は踵を返した。 ドアノブに手をかけたところで、司厨長は俺の背中に苦痛に満ちた声をかけた。 「お前とジムリーダーのバトルは、サントアンヌ公式のジム戦として本部の記録にも載せることにする。……俺ができるのはここまでだ。すまないな、お前にばかり無理をさせる」 ……こういう人だから、嫌いになれない。俺もほんとはまだ船に乗っていたかった。決心が鈍りそうになる 俺は震える声で、ありがとうございますとだけ口にした。 □□□ また海のバトルだ。これも新ジムリーダー、ナグモの希望だ。 俺とジムリーダーのバトルは、あの司厨長との話し合いのわずか2日後に実現した。裏で司厨長が力を貸してくれたらしい。 俺は司厨長の期待に応えられるだろうか。――いや、応えてみせる。絶対にだ。 俺は緊張感にごくりと喉を鳴らした。 ドッグに並べられたバトル会場に向かうための水上オートバイ。 あの日マツノが乗っていたそれに、4日後俺がバトルのために乗ることになるとは、当時の俺に言っても信じないだろう。 機関部が協力してくれた仕掛けは、すでに水上バイクに乗せてある。座席の中だから、傍目には見えないはずだ。 あとは、俺次第だ。 肩をこわばらせている俺に、ナグモは楽し気に声をかけた。 「そんなに硬くならないで下さい。リラックスして、バトルを楽しみましょう」 「……ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」 ニコニコしているナグモとがっちりと握手して、それぞれ水上オートバイに乗り込む。 ――今日で全部終わらせてやる。 ただその決意だけが俺を駆り立てていた。 □□□ (出してきた、3匹目ーー。やはりスターミーか!) 俺もHPが5割ほど残ったギャラドスを引っ込めて、あえてカメックスを出した。 カメックスVSスターミー。 これであの日と同じ組み合わせだ。 あの日マツノは、スターミーにカメックスを倒されて、ジムリーダーとしての経歴に終止符を打った。 ポケモンが言うことを聞かないなんて、不名誉な疑惑を抱かれたまま……。 (それもすべてここまでだ。歪み切った事実を、清算してやる) 俺の闘志を感じ取ったのか、カメックスが背中のカノンの照準をガチリとスターミーに合わせた。 俺の命令と同時に、カノンから繰り出された高圧の『アクアジェット』が、第3ラウンドの幕開けとなった。 □□□ 3戦目中盤、スターミーが潜って『ハイドロポンプ 』を撃った瞬間、スマホにノイズが走った。 (来た……) 相変わらず、巨大なアンテナは影も形もない。 だが、俺のスマホに干渉しようとしているのは明らかだった。 (考えられる可能性は一つだけ。そして俺の考えが正しければ、この不正は封殺できる) 俺は落ち着いてスマホで指示を飛ばした。 「カメックス、こっちも潜ってハイドロポンプだ。海中でスターミーを抱え込んでゼロ距離で撃ってやれ」 カメックスが潜って、背中のカノンからハイドロポンプを撃ち始める。 狙いは、もちろんスターミーだ。 カメックスが潜る前は海面にいくつかできていた水柱が、急に不規則になり、高さにムラができ始めた。 応じるように、スマホのノイズも乱れ始める。 ……スターミーはカメックスに追われて、『わざわざ、丁寧に海中から水面に向けてハイドロポンプを噴射している余裕がなくなった』のだろう。 海面下で行われている敵味方のハイドロポンプの乱れうちとノイズの乱れは、けして無関係ではない。 つまり、これが『みえないアンテナの正体』だった。 (あとは、このまま耐えれば俺の勝ちだ――) ごくりと生唾を呑み込む、ここが正念場だった。 罠をいくつかめぐらせたが、勝てるかどうかはわからない。ナグモに気付かれていないとも限らない。 俺はスマホを覗き込んだ。 ノイズどころか、画面が真っ暗になっている――。 【カメックス:バトルエリア外に出たため、戦闘不能】 高らかに、ラプラスからアナウンスが流れた。 ……まさか失敗か? バトルフィールドの反対側で、ニヤリと笑うナグモが見える。 俺は、いつの間にか滴り落ちてきた汗をぬぐった。 (落ち着け、まだ負けたわけじゃない。こちらにはあと2匹いる。逆転のチャンスはある――) そうは思っていても、スマホを握る手は震えていた。画面は相変わらず真っ暗に落ちている。 マツノの仇討ちを誓ったのに、ここで終わるのか。……俺にマツノの汚名を雪ぐことはできないのか。 呆然と水上バイクに立ち尽くす俺の耳に、かすれたラプラスのアナウンスが聞こえた。 【先ほどのアナウンスは誤報! 正しくは、『カメックス及び、“スターミー”:バトルエリア外に出たため、戦闘不能!』】 アナウンスは続く。 【なおジムリーダーの残り手持ち数はゼロ。よって、本公式戦は、挑戦者深川太助の勝利です!】 俺は目を見開いた。 □□□ 終わってみれば、作戦通りの終焉だった。 カメックスは指示通りスターミーを“抱えたまま”、ナグモにAIを乗っ取られ沈んでいったのだ。 ポケモンが同時に戦闘不能なんて事態は初めてだったため、アナウンスが混乱したことを担当員は必死に謝ってきたが、緊張感から虚脱した頭では頷くことしかできなかった。 実に2日ぶりの司厨長室だ。 俺は、デスクに座ったままの司厨長に、水上バイクに隠し積んでいた電波探知機を提出した。 そして、バトルに使ったスマホの『電源切り替えのログ』も。 司厨長は戸惑ったように促した。 「それでつまり、……どういうことだったんだね?」 俺は、疲れ切った頭で懸命に説明した。 「スターミーは、海水を使ったハイドロポンプで『アンテナ』を作っていたんですよ。海水は電気をよく通すので、高ささえ確保できればアンテナとして十分機能します……」 疲れ切った俺を見かねたのか、司厨長が後を引き継ぐ。 「そしてジムリーダーが、ハイドロポンプのアンテナで電波を増幅してジャミングを突破した。そして、君のスマホになりすまして、カメックスに偽の電波を飛ばした――ということでいいんだね」 「はい」 司厨長は言いづらそうに言葉をつないだ。 「だが、君のスマホのからの指示じゃなかったと、どう証明する? ナグモ君が君に成り済ましたのなら、あの場では君の周波数しか検知されなかったはずだ。マツノ君と同じく、君の指示だったと断定されるのでは……?」 俺は、緩く首を振った。 「司厨長、そのための『スマホの電源切り替えログ』です。実はカメックスに『ハイドロポンプ』を指示した後、俺はスマホの電源を落としていました。俺のスマホから電波が出ていないのに、俺がカメックスに指示を飛ばせるわけがないんです」 いわば一つの賭けだった。俺がスマホを電源を落としたタイミング、ナグモがスマホを乗っ取るタイミング、カメックスがスターミーを抱え込むタイミング――。 全てが嚙み合ったから、うまくいったのだ。 ……いや、最後のはどうにでもなるか。手負いのスターミー1匹、残りの手持ちで十分対処できる。 ナグモは、不正に頼らなければ、ジムリーダーになれなかった。 そんなインチキ野郎に、毎日『本物』のジムリーダーのマツノと真っ向勝負で戦ってきた俺が、負けるわけがない。 司厨長は、深く頷いて立ち上がり、手を差し出した。 「確定だな。フカガワ君、よくやった。本部やクルーを代表して礼を言う。すまなかった、そしてありがとう」 俺はその手をがっちりと握り返して、照れ笑いした。 「はは、こちらこそありがとうございます。いろいろ無理を聞いて頂いて。俺がいなくなった後も大変でしょうが、後のことはよろしくお願いします。」 ――司厨長の笑顔が凍り付いた。 「ん? 君は新ジムリーダーとして船に残るんじゃないのかね?」 俺も、頭の上に疑問符を浮かべた。 「え? 不正野郎がジムリーダーを降ろされた今、本当のジムリーダーのマツノがその地位に返り咲くんでしょう? 俺はマツノを探しに行きますので」 当然ですよね? と、小首をかしげたが、司厨長の同意は得られなかった。ギチギチと握手の手に力を籠められる。い、いたい……。 「いいかね、マツノ君は未だ行方不明だ。その上、新ジムリーダーの席を、空席にすると? 君がジムリーダーに就いてくれねば、乗客の不安が爆発してしまうよ。この際船員は辞めてもいいし、臨時でもいいから、君はジムリーダーとして船に残りなさい」 司厨長の顔が怖い。しかし、ここで引くわけにはいかない。俺はマツノを探さねば。 「い、いや、ジムリーダーなんてちょっとそれは……」 「いやいやじゃない、やりなさい」 すでに押し問答だ。いい加減手が痛い。 こんな酷いグダグダ展開を救う天使(同僚)は、司厨長室のドアに体当たりする勢いで現れた。 「た、大変です司厨長! ナグモさんが消えました!」 ……ただし、凶報を伴って、だ。 □□□ あれから、ナグモが謹慎していたというジムリーダーの部屋に急行して、一通り探した。やはりナグモの影も形もない。 司厨長たちは、見張りをしていた船員の元に話を聞きに行った。 俺は、疲れが足に来てふらふらしていたので、司厨長の好意でここに残ることを許された。 (それにしても、ひどい顔色だ……) 洗面所の鏡の中には、疲れた表情で力なく笑う俺がいた。 マツノがいなくなってから、なかなか眠れていない。――本当に、やつが帰ってくる日が来るんだろうか。 俺はマツノが海に身を投げたなんて、信じていない。 ……信じてはいないが、最悪の状況がふつふつと脳裏によぎって止まらない。 (まさか本当に、海に――) くそっ、と呻いて鏡に額付ける。 頭突きのような勢いだったが、鏡は割れたりしなかった。 だが、顔を近づけてはっきり分かった。 鏡には小さく、しかしはっきりと傷がついている。……ナイフでつけたような矢印状の傷? つられて、下に視線を持っていくと、蛇口の周りにも細かな傷。 今度は文字だった。“蛇口根本のナットを右に3回、左に15回回せ”。 (なんだこれ?) 疑問に思いながらとりあえず、言うとおりにしてみる。 右に3回、左に15回。 ――足元に穴が開いた。 (えええええええ!!!!???) 俺は悲鳴を上げる間もなく、穴に吸い込まれた。 □□□ 「いいところに来た、タスケ! 助けて!」 「お、おま、マツノ! 今までどこにいたんだよ! ……ってここ、どこだ?!」 とびかかってくるマツノを必死に引きはがして、俺は周囲を見回した。 変な秘密基地のような部屋だ。 真上には、落ちてきただろう穴で、足元にはふかふかの毛布が積んである。けがをせずに済んだ。 穴には梯子がかかっていて、いつでも出入りできるようになっていた。 ちなみに、向こうに毛布の山がもう一つできていたから、のぞき込んだら、ナグモが寝ていた。 「……どうしたんだこれ」 うなされているナグモに指をさすと、謎のモニターの前でぐるぐる回っていたマツノが、適当に答えてきた。 「知らん。投票にYESなんて答えようとしたから、ぶん殴ってやったら寝た。……まぁ手遅れでボタンは押されちまったんだが。ああくそ、ヘマしちまった」 そう言ってまたマツノは、空腹のトラのように、またモニターの前をぐるぐる回り出した。 ナグモはともかく、なんだよ投票って? 「……なあマツノ、お前の身に一体何が起きたんだ。お前が行方不明になってから4日もたってるんだぞ」 「それ答えたら、手伝ってくれるか」 グルグルと虎のような唸り声だ。 「ああ、もうなんでもきやがれ」 俺も投げやりに言った。内心は別だ。 (もしもこの応答でろれつが回ってなかったら、無理やりでも上に戻って医者を呼んでこよう。いやもう、手遅れか?) 俺がそんなひどいことを考えてるとはつゆしらず、マツノはイライラとした声で答えた。 「ええと、俺の身に一体何が起きたのか、だっけ……ってどうせお前も、同じ経緯でここに来たんだろ? 省略してもいいか」 いいわけあるか。 「……ここはいったいどういう場所なんだ? なんでいつでも出られるのに帰ってこなかったんだよ」 「ここは多分お前の先輩の秘密基地だな。食料やらトイレやら至れり尽くせりで、全然不自由はなかった。……あとなんだ、帰ってこなかった理由? これ見ればわかるぜ。ついでにお前の先輩が《5年以内に船を降りろって言った理由も》だ」 そう言ってマツノは、モニターを忌々し気に指さした。 どれどれと近寄ってみれば、驚いた。画面にはこう書かれていた。 《負けた歴代のジムリーダーたちへ。君達には船を爆破する権利が与えられる。YESなら爆破、NOなら中止となる。なお、爆破もしくは中止は10票以上の票が集まった時点で確定される by開発者一同》 ……電子証明は明らかに、先輩のものだった。 (せ、先輩、なにしてんだよ) 頭を抱える俺に、マツノは言った。 「最悪なことにな、俺がいれても9:9だったんだ。次に来た奴、この場合ナグモだな。そいつがもしYESに入れれば、ドッカーンだ。だから、そうならないように俺が残って、説得なり止めるなりしてNOに入れさせるつもりだったんだ。それが俺がすぐに戻れなかった理由。……まぁ大乱闘でどさくさまぎれにYESを押されちまったから意味なかったけどな。あと30分後に爆発だとよ」 ……さっきからチカチカしている数字は、爆破までのカウントダウンらしい。 (負けたジムリーダーしか認めない、ってことは俺が押しても無駄だろうが……一応) ぽちっとNOを押してみた。なんと、ピコンと音が鳴ってNOに票数が入った! しかしいらないコメントもついてきた。 【YES:NO=10:10 ※同票数の場合、先に10票が入った選択肢が優先されます】 「なんでだよ!」 「……お前ジムリーダーだっけ? しかも負けたのか?」 マツノは気遣わし気な表情になっている。腹立つ。 「勝ったよ! 俺があの不正野郎に負けるわけないだろ!」 「じゃあなんで、押せたんだよ」 ああ、しつこいなこいつ。 マツノと脳裏の先輩のしたり顔がダブる。イラっと来た。 「……ああくそ、わかった。これも先輩の仕込みだ。先輩が俺につけたあだ名が《事務リーダー》。そして俺、さっき事務部司厨員を辞めたんだった。事務リーダーを辞める=敗北したジムリーダーってわけだ。……ダジャレかよ!」 「お前、ノリツッコミうまくなったよな」 マツノはしみじみとしている。お前爆破30分前だからって諦めんなよ。 「なぁ、マツノ。他に爆破を止める方法ないのか?」 「あるっちゃあるが、……俺には意味がわからなかった」 そういってマツノは画面の、爆破解除コード!のボタンをクリックした。 《パスワードヒント:爆破コマンド【Hanabi】(花火)を無害なものに変えよ。ヒント2:一文字も変えないこと。ヒント3:鏡をみつめろ》 そして真っ白な入力フォーム。 「な、意味わかんないだろ?」 マツノが同意を求めるが、俺は思考に沈んでいた。 考えろ、先輩の思考をトレースしろ。答えは必ずそこにある。 20分もたった頃、俺はポツリと言った。 「……そうだ、先輩はダジャレが好きなんだ」 マツノは小首を傾げた。 「ん?」 「けど、自分だけわかるようなダジャレで笑ってる人じゃない。一緒に笑えるように、こっちにもヒントをくれるんだ」 「タスケ。爆破5分前になってパニックになる気持ちはわかるが、落ち着け。落ち着いて尊厳ある死を迎えようじゃないか」 「前向きか後ろ向きかわかんない発言はやめろ。どうせ前向きなら生き残る方に前向きになれよ」 「そんなこといってもなぁ。お前はこのパスワードわかるのかよ?」 俺は頷いた。 「《ヒント3:鏡をみつめろ》が最大のヒントだ。……だから、これが答え、だ」 俺はキーボードにパスワードを打ち込んだ。 【Hɒnɒdi】(鼻血) 「は、鼻血ってお前……」 絶句するマツノをよそに、エマージェンシーコールが船内に響き渡った。 《解除パスワードを受け付けました! サントアンヌの爆破は中止されます。なお副作用でポケモンの鼻血から出ます。鼻血は一日で回復しますのでご安心ください》 (いや鼻血より、サントアンヌが爆破予定だったってことが衝撃でご安心できないだろ普通) 俺は乗客たちのパニックを思って、一人げんなりした。マツノもパスワードを見つめてげんなりしている。 「鏡をみつめろってつまり、鏡文字で《Hanabi (花火)⇔ Hɒnɒdi(鼻血)》にしろってことか……わかるかばーか」 俺は力なく頷きつつ、無言でスマホで電話をかけた。 最初からこうすればよかったのに、全く気付かなかった。パニックってホント怖い。 《よぉ、俺だ。久しぶりだなタスケ》 「先輩本当にサントアンヌ爆破する気だったんですか?」 《おお、なんだアレ見つけたのか。その様子だと解除には成功したみたいだな。なに、本当に爆発はしない。船長のケツにロケット花火が直撃するくらいだ》 「そ、それも結構おおごとですけど。それよりなんでこんな仕掛け用意したんですか?」 《んー、昔言ったよな。“物事や関係には終わりがあるんだ。お前はこの船とどうやって関係を終わらせるか、それを考え続けろ”ってな。その仕掛けは船を去るジムリーダーが心の整理をつけるために置いたんだよ。二択とはいえ、“船とどう関係を終わらせるのか自らの意思で決める”ってのが大事なんだ》 なるほど、まさか先輩が5年も前から伏線を張っていたとは思わなかった。相変わらず、この人には勝てる気がしない。 一方で、一言文句も言いたくなる。 「そのせいでえらい目に遭いましたよ。失踪事件や、不正野郎とのバトルやら……」 《ははっ、まあ無事ならいいじゃねぇか。しかし、お前がそこにいるってことは船への未練はなくなったんだろ? ならお前こっちこねぇか?》 「そっち、ですか?」 《こっちは今、廃線寸前の地下鉄利用して、リアルバトルサブウェイやろうってシステム開発してるんだよ。お前初代サブウェイマスターやらねぇ? お前と仲の良かったジムリーダー、ええとマツノだっけ? そいつと組んで、原作と同じく2人でサブウェイマスター張ってもいいし。どうせお互いの手の内知り尽くしてるんだろう? タッグバトルでも息ぴったり合うと思うんだけど》 ……なんだそれ超おもしろそう。めちゃくちゃ行きたい。 でもマツノを巻き込んでいいのだろうか。 ちらりとマツノをうかがうと、マツノはキーボードを打って、できた文章をこちらに見せてきた。 【けっ、自分だけ楽しいことしようなんて、そうはいくか。まず俺がお前に勝ってジムリーダーに戻るだろ? そんで、お前が俺より強くなって、俺のことサブウェイにスカウトするか、……そうだな、俺がサントアンヌとサブウェイの二足わらじでも面白そうだな!】 やたら楽しそうだが、言ってることはめちゃくちゃだ。 「んなこと許されんのかよ」 苦笑いしていると、マツノは俺のほっぺたをむにーっと引っ張った。 【じゃあ、お前ももっと現実的なのを考えろ。関係性を続けるのも終わらせるのも、大事なのはお互いが考え続けることなんじゃないのか】 ……なんだか、先輩にもこいつにも教えられてばっかりだ。でもそれがなんだか楽しい。 俺は笑いながら、「わかった。全部どうにかしてみるよ」と言った。 だって、みんなで考え続けたから、後悔せずにみんなで一緒に笑える場所に行きつけた。ならこれからも、きっと。 関係性を考え続けるというのは、そういうことなのかもしれない。 |
北斗 2016年08月28日 23時25分35秒 公開 ■この作品の著作権は 北斗 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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