パンチラズ・ドリーム |
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1 インターホンが鳴ったので玄関のドアを開けると、その先に西島の姿があった。だが、その表情は冴えない。 俺は察した。どうやら、気分のいい話はできないようだ。 ふたりで部屋に入り、リビングのソファセットに向い合うかたちで腰かけた。 テーブルの上に、B4紙の束が置かれている。 漫画原稿だ。俺が『週刊少年ジェット』で連載している、『パラレギュ ~Paradise Regulations~』の第十八話。西島は、この連載が始まったときから担当になった編集者なのだ。 西島は原稿を手に取り、内容を一通り確認する。そしてバッグから大型の封筒を取りだし、中に原稿を収めた。 「オーケーです。原稿、たしかに受け取りました」 原稿を渡したあとは、そのまま次話の打ち合わせに入るのがいつもの流れだ。しかし、その前に聞いておかなければならないことがある。 「それで、何位だったんだ?」 俺がいうと、西島は視線を落とした。黒縁眼鏡を直しながら、力なく言葉を発する。 「十六位でした」 予想はしていたが、実際に耳にするとショックだった。俺は、ふーっと息を吐きながら腕を組み、ソファの背もたれに体をあずけた。 「とうとう、そこまでいってしまったか」 今週の週刊少年ジェットに掲載された『パラレギュ』第十五話の、人気順位のことだ。現在、ジェットで連載されている漫画は二十作品。その中でもかなり下の順位になってしまったことになる。 「この順位から巻き返した作品は、過去にあるのか?」 「十五話でこの順位だと、多くの作品が短期間で連載終了していると思います」 「そうか。そうだよな」 週刊少年ジェットは、三百万近い発行部数を誇る、日本で最も売れている漫画雑誌である。数多くの人気作を生み出してきた背景には、徹底したアンケート至上主義があった。 『愛読者アンケート』というはがきが、毎号付属しているのである。読者はそのはがきに、面白かった漫画をみっつ記入して編集部に送る。 多くの票を獲得した作品は、巻頭カラーをもらえるなど優遇され、逆に票の少ない作品は、短期間で連載を終了させられる。人気のない作品は、どんどん切っていくわけである。 そしていままさに、俺の作品『パラレギュ』が、連載終了の危機に瀕しているのだった。 『パラレギュ』は、第一話は三位と上々のスタートで、その後も七位から十位あたりをキープしていた。 だが、十話で十三位に落ちてから雲行きが怪しくなってきた。そこから毎週二桁順位になってしまい、そしてとうとう、今週の十五話では十六位である。 この順位の落ち方は、典型的な短期打ち切り作品のそれだった。 「くそう、なんで人気がでないんだろうな」 「ボクは面白いと思いますし、編集部内でも『パラレギュ』を好きな人は多いですよ。ただ、ちょっと理屈っぽいところがあるせいか、若い世代のアンケートがあまり入っていないんですよね」 「少年誌で、若者の人気がないのは致命的だな。なんとか、若い世代を取りこまなくちゃいけないわけか」 こういうときに作者ができることは、ひとつしかない。 テコ入れをして作品の方向性を変え、人気回復をはかるのだ。 「で、どうなんだ?」 俺は西島にきいた。 「このままだと打ち切りになってしまうが、次の連載会議まで、どれくらい猶予がある?」 連載会議とは、新連載される作品を、数ある候補の中から選定する会議である。同時に、連載終了する作品を決める会議でもある。 「次の連載会議は、七週間後です。つまり、二十二話までに人気を回復させなくてはなりません」 七週間と聞くと、まだ余裕がありそうに思える。 だが、すでに十八話までは原稿が完成しているのだから、テコ入れができるのは十九話からだ。テコ入れをしても、すぐに人気があがるとは限らないことを考えると、ほとんどギリギリのタイミングといってよかった。 「先生、次の十九話からテコ入れをしましょう。やるしかありません!」 西島は太い眉をキリリとつりあげた。黒縁眼鏡が、キラリと光った気がした。 俺はうなずく。 「そうだな。テコ入れをするしかない」 少年漫画でおこなわれるテコ入れには、大きくわけると二種類ある。 ひとつはバトル化だ。 バトルは少年漫画の王道で、人気を取りやすいことが理由である。バトル要素のなかった作品が急にバトル化する現象は、よく見られる。 しかし『パラレギュ』の場合は、バトル化はむずかしい。 『パラレギュ』は、非科学的要素をふくまない、学園漫画である。高校の生徒会長に就任したヒロインが、学校を自分にとって都合のいいパラダイスにするべく、独裁的に新しい校則をつくろうとする。そんなヒロインの暴走を、生徒会の書記を務める主人公が止める。そんな内容だ。 不良軍団と生徒会との戦いというのも考えられるが、主人公は運動神経のない優男なので、やはりバトル化するのは不自然だろう。 とすると、もうひとつのテコ入れをするしかない。 そう、エロである。 エロ。これも、バトルと並んで人気を取りやすい要素だ。 もちろん、少年誌なので規制があり、直接的な性描写はできない。作品によっては、規制ギリギリを攻めたり、単行本で加筆をしたりもしているが。 「エロ要素か。どんな感じで入れていけばいい?」 「あまり過激なエロ描写はいらないと思います」 西島はいう。 「『パラレギュ』の魅力は、あくまでもストーリー面です。エロは花を添える程度でいい」 「そうか。じゃあ、とりあえずはパンチラかな」 俺はいった。 「十九話で、茜音(あかね)のパンチラを数カット入れてみるか」 茜音とは、『パラレギュ』のヒロインの名前だ。フルネームを古城(ふるき)茜音という。 「そうですね。パンチラを入れれば、若い読者からの支持を得られるはずです。なぜなら、先生の描く女の子は、めちゃくちゃかわいいからです!」 女の子がかわいい。俺の作品を、そう評する者は多い。俺自身自覚しつつも、それに反発するように、過去二回の連載では硬派なバトル漫画を描いてきた。少年漫画の王道にあこがれていたからだ。だが、その二回の連載はいずれも短期間で終了した。 心機一転して、別ジャンルに挑んだのが今回の連載なのだ。過去二回と同じ轍を踏むわけにはいかない。 「先生、やりましょう! 大和紫苑(やまと しおん)の名は、『パラレギュ』で世にとどろくはずだと、僕は信じています! いっしょに、『パラレギュ』を人気漫画にしましょう!」 担当編集者の力強い言葉が、室内にひびいた。大和紫苑とは、俺のペンネームだ。 まだ二十五歳で若手の西島は、俺より五歳も年下だ。俺にとっては年下の担当は初めてだったこともあり、若干頼りな印象もあった。だが、いま目の前にいる男は、漫画家を引っ張っていく担当編集者の姿そのものだ。彼を見直すと同時に、自信がわいてきた。 「よし、いっちょやるか!」 「やりましょう先生!」 俺は室内を見渡した。 都内にあるマンションの、リビングルームである。とはいえ、一般家庭のリビングとは雰囲気がちがう。所せましと並んだ机、パソコン、コピー機。壁際の本棚には大量の資料用書籍。 ここは俺の仕事場なのだ。四人のアシスタントともに毎週死にものぐるいで原稿に向かっている。締め切り間際になれば、ここはまさに戦場になる。 この部屋の借り賃も、アシスタントに払う給料も、決して安くはない。連載が短期で終了してしまえば、あとに残るのは借金ばかりなのだ。 必ず『パラレギュ』を人気漫画にしてみせる。そう堅く心に誓った。 2 とあるマンションの一室、その玄関前に俺はいた。 ある人物に会うために、やって来たのだ。 インターホンのボタンを押したが、マイクから声は聞こえてこない。その代わりに、ガチャリという音がドアから聞こえた。リモコンかなにかで開錠したのだろう。入ってきてもいいということか。 玄関から中に入ると、その先にまっすぐに廊下が伸びていて、突きあたりにドアがある。俺は靴を脱いで廊下を歩き、最奥のドアを開いた。 十六帖ほどのリビングルームが広がっていた。部屋の中央に長机があって、そこにひとりの男が着いている。 プロイラストレーターの『もずく』である。 もずくは、俺の高校時代の同級生で、同じ漫画研究部に所属する友人だった。部員の中でも、俺たちふたりの画力は群を抜いていた。どちらが上手い絵を描けるかを競うライバルでもあったのだ。 高校卒業後も交流はあったのだが、お互いがプロデビューしたあとは、会う機会も少なくなっていった。こうして顔を合わせるのは、二年ぶりくらいだろうか。 「やあ、やまーと。ひさしぶりだね」 高校時代と変わらない調子で、もずくはいった。『やまーと』とは、俺の本名山本をもじったあだ名で、ペンネームの苗字『大和』の由来でもある。 ちなみに『もずく』のほうも、高校時代のあだ名をそのままペンネームにしたものだ。もずくみたいにモジャモジャな頭髪がその由来だった。 その特徴的な髪は、いまも変わっていなかった。それだけじゃなく、やせすぎな体形も、まぶたの垂れさがった顔も、高校当時からほとんど変化がないように見える。 「おう、ひさしぶりだな、もずく」 「おどろいたよ。急に電話してきてさ。あ、食べる?」 もずくは、手にしていた『きのこの山』をひとつ差しだした。 「いや、いらん」 「やまーとって、『たけのこの里』派なの?」 「そんなんじゃねえよ。甘いものは苦手なんでな」 「ふーん。ところでごめんね、ここって椅子がなくてさ。悪いけど床に座ってくれる?」 もずく自身はずいぶん高そうな椅子に座っているのだが、それ以外の椅子は、たしかに見当たらない。というより、余計なものがなにもないのだ。 ここはもずくの仕事場なのだが、仕事に必要なものだけが最小限置かれているようだ。 もずくが着いている椅子と長机。机の上に、タワー型のパソコンとモニターが一台、タブレット型のパソコンが一台、それからキーボードとペンタブ。ついでに、きのこの山の箱。 部屋にあるのは、これだけだ。 仕事はすべてデジタルでこなしているのか、紙やペンの類さえ見当たらない。 物であふれている俺の仕事場とは対極的だが、もずくにとっては最適な環境なんだろう、たぶん。 ともかく、椅子がないなら床に座るしかない。が、フローリングに直接腰かけるのも嫌なので、立ったままでいることにした。右手に持っていたバッグだけは床に置く。 「週刊連載って忙しいんでしょ。こんなところに来る暇があるの?」 きのこの山をボリボリ噛みながら、もずくはいう。 「忙しいさ、死にそうなほどにな。その合間をぬって来たんだよ」 十八話の原稿をあげてから四日が経過していた。十九話の締め切りまではあと三日。明日からはアシスタントを入れての作業となり、睡眠時間もほとんど取れなくなる。本来なら、空いた時間は少しでも休みたいところなのだ。 「ふーん。がんばってね。ボクも毎週『パラレギュ』読んでるし」 「それはありがたいな。感想は?」 「ビミョーだね。はじめのころはまあまあ面白かったけど、だんだんマンネリ化してる感じがある。掲載順もさがってきてるし、人気ないんじゃないの?」 歯に衣着せぬ物いい。このあたりも高校時代から変わってない。 「そのとおりだ。人気がないんだよ。だからテコ入れをしようと思ってる。そのあたりは、電話で話しただろ」 「なんだっけ? パンチラをだすって?」 「そうなんだ」 これまで硬派な作品で勝負してきた俺は、じつはパンツの絵を描いたことがなかった。 そこで、ネットで探した写真を参考に、パンチラ絵をいくつか描いてみた。しかし、どうもしっくりこないのだ。 自慢ではないが、俺は画力が高い。画力だけなら、現在ジェットで連載している作者の中でも上位のはずだ。 だが、パンツの絵というものは、人物や背景の絵とはちがったコツが必要なようである。自分で描いたパンチラ絵を見ても、魅力を感じることができないのだ。 だれかパンツの描き方を教えてくれないだろうか。そう考えたときに頭にうかんだのが、もずくの存在だった。 もずくは、現在もっとも活躍しているイラストレーターのひとりだ。 淡い色を多用し、幻想的な雰囲気のイラストが高く評価されている。 だが、もずく作品の最大の特徴は、女の子のかわいらしさ、艶やかさを見事に表現しているところだ。初期はエロゲーの原画を担当することが多かったこともあり、パンツの描き方にも定評がある。 そんな人物と面識があったのは、幸運だった。 「そこでお願いがあるんだ。もずく、俺にパンツの描き方を教えてくれ」 「うーん」 もずくは、モジャモジャ頭をボリボリ掻いた。 「それってさ、自分で考えなきゃいけないんじゃないの? やまーとだってプロでしょ? 絵の描き方は人それぞれちがうんだからさ、ボクのやり方がやまーとに合うとは限らないよ?」 「時間がないんだよ。俺は、早く上達しなくちゃならないんだ。そのために、上手い人の描き方を学びたいんだよ」 「やまーとだって上手いくせに。ジェットの中でも上手いほうだよ」 「いいや、少なくとも女の子の絵、とくにエッチな絵は、お前の方が俺よりも数段上だよ」 もずくの垂れさがったまぶたが、ピクリと動いた気がした。 彼は喜びを顔にだすことが少ない。おだて作戦が通用しているのかどうかわかりづらいが、まあ悪い気はしていないはずだ。 「とりあえず、俺の描いた絵を見てくれないか?」 床に置いていたバッグからコピー紙の束を取りだし、もずくに差しだした。 『パラレギュ』第十九話ネームと、パンチラシーンのイメージカットだ。 ネームとは、漫画を絵コンテのようにラフに描いたものである。いわば、原稿本番にいく前の漫画の設計図のようなものだ。ストーリーの流れも理解してもらおうと、持ってきたのだ。 ちなみに、今回のパンチラは三カットだけだった。最初から露骨にだしすぎるのもよくないという判断から、その程度にとどめたのだ。首尾よく人気を得られれば、徐々にパンチラ描写を増やしていくつもりである。 もずくはコピー紙を受け取り、ネームを読みはじめた。それを無表情のまま読み終えると、三枚のイメージカットを机にならべ、じっと見つめる。およそ十秒後に顔をあげ、こちらに視線を向けた。 「全然だめだね。これじゃあ鼻血もでない」 「鼻血?」 「うん。エッチな絵を見て興奮すると鼻血がでるでしょ?」 「いや、そんなの現実にはないだろ」 「あるよ。少なくともボクは何度もある」 マジか。まあ体質にもよるだろうが。 「教えてくれ。俺の描いたパンチラの、どこがダメなんだ?」 「ときめきがないよね」 「ときめき?」 なんだそりゃ。ザックリしすぎてる。 「どういうことなんだ? もっと具体的に、というか技術的な部分を教えてもらいたいんだ」 「技術? それ以前の問題だね」 「なんだと?」 「これじゃあ、『ただパンツを描いただけ』だよ。だから、ときめきが生まれないんだ」 もずくは、鋭い視線を俺に向けた。 「ボクからいえるのは、これだけだ。このパンチラを見て読者にどう感じてもらいたいのか、それをよく考えるべきだね」 自宅に帰りつくと、自分で描いたパンチラの絵をあらためて見てみた。 ときめきがない。もずくはそう表現していた。その言葉が具体的になにを意味しているのかはわからないが、魅力が感じられないのはたしかだ。 まだパンツを描くことに慣れていないからだろうか。 いや。 もずくは「技術以前の問題」ともいっていた。「ただパンツを描いただけ」、そして「読者にどう感じてもらいたいのかをよく考えるべきだ」と。 十八話のネームをもう一度チェックしてみる。 ヒロインの茜音がパンチラするのシーンは、次のみっつだ。 ・茜音が階段を昇るシーンで、ローアングルからのパンチラ。 ・茜音が廊下を歩いているシーンで、スカートが少しめくれてパンチラ。 ・茜音が本棚の高い位置から本を取ろうと背伸びしてパンチラ。 「うーむ」 なるほど、『ただパンツを描いただけ』というのは、たしかにそうかもしれない。パンチラさせるために無意味にローアングルにしたりスカートがめくれたりしている。 そうではなく『ストーリー的に意味を持たせろ』と、もずくはいいたいのだろうか。 ひとつ考えた。茜音のパンチラは、作中でだれにも見られていないわけだが、それを『主人公に見られる』という展開にしてみたらどうだろうか。 それによって恥じらいという要素が生まれ、よりエロさが増すかもしれない。 ネームの後半部分を修正することにした。本棚から本を取るシーンで、主人公が茜音のパンツを見てしまう。それに気づいた茜音は顔を赤らめ、主人子をぽかぽか殴る。そんなシーンを加えた。 それから、もうひとつ大事なことに気がついた。『パラレギュ』の今後の路線についてだ。 『パラレギュ』は、これまで恋愛要素は薄めだった。だが、今回のテコ入れ以降はラブコメ色を強めていくことを、西島との話し合いで決めていたのだ。エロとラブコメは相性がいい。 このパンチラ騒動から、お互いが男女として意識しはじめる。そんな展開にすればラブコメ路線への転向も無理なくできるじゃないか。 そのあたりを踏まえ、さらにネームに修正を加えていった。 「よし。これならいけるはずだ!」 納得のいくネームができた。ネームの修正をしたと西島に電話で伝え、ファックスでネームを送る。しばらくすると、西島から電話がかかってきた。 「先生、めちゃくちゃよくなりましたよ! これで勝負しましょう!」 西島からのお墨つきをもらい、自信もついた。 翌日からは、アシスタントとともに原稿の作業となった。いつも以上に気合を入れて作画をおこない、とくにパンチラシーンは全神経を集中して、渾身の絵を描きあげた。 そのかいあって、これまでになくハイクオリティな仕上がりにすることができた。 あとは、アンケートでいい結果がでることを祈るのみだ。 3 複数本引かれた鉛筆の線から最適なものを選び、その上からペンで、新たな線を入れていく。肌の丸み、服のしわ、それぞれの質感を意識しながら、線に強弱をつける。 ラフだった下書きに、くっきりとした線が入り、作品が完成形に近づいていく。 全体に線を入れ終えると、消しゴムで下書きを消していく。余分なものが消え、画面が一気にクリアになる。この瞬間がたまらなく好きだった。 そのとき、スマホが音を鳴らした。 担当の西島からだった。 「もしもし」 「先生、やりましたよ! 十九話の『暫定版』、十位です!」 「おお! そうか!」 週刊少年ジェットのアンケート集計には、ふたつの種類がある。 先着百通のアンケートを集計した『暫定版』と、その後とどいた大量のアンケートから千通をランダムに抜きだして集計する『確定版』である。 暫定版は、ジェット本誌が発売した翌日の火曜日、確定版は原稿の入稿日にあたる金曜日に結果がでる。 暫定版と確定版では多少順位が変動することがあるので、これまでは確定版の順位しか聞いていなかった。しかし、なんといっても十九話は初めてパンチラをだした『勝負話』である。ここで人気を得られるかどうかが、生死の分かれ目になる。そこで、暫定版の順位を知らせてくれるように頼んでおいたのだ。 「テコ入れ成功ってことだな!」 「はい! この調子でいけば、次の連載会議で終了を宣告されることはないはずです」 十五話で過去最低の十六位を記録して以降、十六話から十八話まではそれぞれ十五位、十四位、十五位で、いよいよ厳しい状況だったのだ。 それが、ここにきて十位である。この順位上昇は大きい。 「でも本当の勝負はここからですよ、先生。二十話と二十一話は少し順位がさがるかもしれませんから」 「そうだな」 二十話と二十一話は、それぞれパンチラシーンは一カットのみと控えめにしておいたのだ。「読者をじらすことも大事」という西島の判断だ。 連載会議の直前に掲載される二十二話で人気を爆発させる。それが俺たちの作戦だった。 すでに二十二話のネームは完成しており、明日から原稿を執筆することになっている。ドジっ娘の新キャラを登場させて、パンチラを連発するのだ。 そのイメージカットを、俺は何枚か描いていた。いまもまさに、そのうちの一枚を描いているところだったのだ。 「西島、新キャラのイメージカットをいくつか描いたんだけど、チェックしてくれないか?」 「わかりました。いま仕事場ですか? そちらに向かいます」 新キャラの『緑川(みどりかわ)まるみ』は、ショートカットでたれ目、ロリ体形のドジっ娘だ。メインヒロインの古城茜音は、ロングヘアでつり目、モデル体型なので、それとは対極に位置する存在として考えたキャラである。 風でスカートがめくれてパンチラ、転んでパンチラ、無防備にしゃがんでパンチラなどなど、さまざまなパンチラシーンを登場させる予定だ。それらのイメージカットを、仕事場にやってきた西島に渡した。 一枚一枚を真剣に見つめていた西島は、すべての絵をチェックし終えると、告げた。 「やっぱり先生の描く女の子はかわいいですね。さすがです。茜音と対照的なロリっ娘として魅力たっぷりですし、読者の人気も得られるでしょう。ただ、もうワンパンチほしいですね」 「ワンパンチ、か」 「緑川まるみは、キャラとしては充分な個性があります。でも、パンツ自体に特徴がないんですよね」 パンツ自体に特徴? 「なにをいってるんだ? パンツはパンツだろ」 「先生こそ、なにをいってるんですか。ひとくちにパンツといっても千差万別ですよ」 西島は、右手の中指で黒縁眼鏡をクイッとあげた。 「男性用のトランクスと女性用のショーツでは、形状が大きく異なっているでしょう。女性用のパンツに限定しても、それは同じことです」 「形状というとつまり、Tバックとか紐パンとか、そういうことか?」 「そうですね。でも、『パラレギュ』のヒロインたちは女子高生なので、形状はスタンダードでいいでしょう。それよりも考えるべきなのは、柄です」 「柄か。なるほど、それは考えていなかったな」 「そう。柄は、パンツを構成するうえで非常に重要なものなんですよ」 西島はクイクイと眼鏡をあげながら、キリリとした視線を俺に向ける。こんなに熱く語る西島は初めて見る。こいつも相当なパンツ好きなようだ。まあ、心強いと考えるべきか。 「たとえば縞があるだけで、パンツの印象は大きく変わります。縞パン。それは数ある萌え要素の中でも、とくに人気があるもののひとつですから」 「縞パン、その魅力とは?」 熱弁をふるう西島に、俺も思わずインタビューっぽく尋ねてしまう。 「ふたつあります。ひとつは、幼い印象をあたえ、かわいらしさがアップすること。もうひとつは、横縞が等高線のように作用することにより、お尻の形がわかりやすくなることです!」 「なるほど。お尻の形か」 目からうろこが落ちた気分だった。お尻の形を意識すれば、より煽情的なパンチラを描けるかもしれない。 「いいな、縞パンは! 緑川まるみには、縞パンを穿かせることにするか」 「そうしましょう。縞パンはロリキャラとの相性もいいですし」 そうなると、『お尻の形がわかりやすくなる』という縞パンの特性を活かす方向で考えるべきだろう。 「緑川まるみのパンチラは、お尻側が見えるものを、とくに多くしようか」 「いいですね。あ、ひとつ思いつきました。緑川まるみは、全体的にはロリだけど、お尻の形だけは妙にエロい、という体形にしてみたらどうでしょう」 「いいな。よし、それでいこう!」 担当編集者と二人三脚で作品をつくりあげていく感覚は、週刊連載をしていてなによりも楽しいところだった。。 こうして、運命の二十二話は完成した。 二十二話の原稿をあげたその日、十九話の『確定版』順位が発表された。結果は、『暫定版』と変わらずの十位。 翌週の二十話は十一位、その翌週の二十一話は十二位と、ひとつずつ順位をさげる結果となった。 そして、さらに翌週の火曜日。 二十二話の『暫定版』順位を知らせる電話が、西島からかかってきた。 「もしもし。ど、どうだった?」 俺はきいた。声が震えていた。 「せ、先生」 西島の声も震えてた。どっちだ? いい結果がでたのか、それとも悪い結果だったのか。 「や、やりました! 二十二話の『暫定版』、八位です!」 「うおおおおっ! 一桁っ!」 緑川まるみのパンチラ連発は、効果てきめんだったのだ! 「これで、今週の連載会議で『パラレギュ』が終了を宣告されることは、まずないでしょう!」 「よかった。本当によかったよ」 俺は目頭を熱くした。 「そうですね先生。でも、まだまだこれくらいで満足はできませんよ! これからもっと人気をあげていきましょう!」 「そうだな! 『パラレギュ』を週刊少年ジェットの看板漫画にしてやろうじゃないか!」 「そしてゆくゆくは、アニメ化やゲーム化などの展開を!」 「おおともよ! がっはっはっは! 夢がふくらむな!」 「『パンチラズ・ドリーム』ですね! はははははは!」 俺たちのテンションは最高潮だった。 4 しかし、世の中そう上手くはいかないものである。 緑川まるみの登場以降、『パラレギュ』はしばらく十位前後をキープしていた。 だが、異変は起こる。第三十三話の原稿を西島に渡したときに、いつものように、今週号に掲載された三十話の順位を聞いたのだが。 「十四位っ?」 「はい」 またしても、打ち切りが頭をよぎる低順位。二十二話で八位を記録してから、わずか八週後のことである。 なによりもショックなのは、三十話がセンターカラーだったことだ。 センターカラーとは、漫画の一ページ目が四色カラーになるものだ。その点では巻頭カラーと同じだが、雑誌の先頭に載る巻頭カラーに対し、センターカラーは雑誌の中盤に掲載される。 看板級の作品しかもらえない巻頭カラーよりも、センターカラーは一段落ちる扱いだ。とはいえ、カラーの仕事が入るのは人気漫画の証だといえる。 通常、カラーが入った回は高い順位になるものだ。ましてや三十話のカラー扉絵は、ヒロイン茜音のパンチラ入りで、自分でも気に入っていたものだったのだ。 「まずいんじゃないか? センターカラーで十四位ってのは」 「まあ、気にすることはないですよ」 黒縁眼鏡を触りながら、西島はいった。 「たまたま順位がさがることだってありますから。次で巻き返せばいいんです」 たしかに、一度十四位を取ったからといって、すぐに打ち切りの話がでることはないだろう。 「まだ、バタバタする時期ではないか」 「そうです。『パラレギュ』には、いつも支持してくれている読者がいます。次話も、これまでどおりでいきましょう」 「それもそうだな」 それから入念に打ち合わせをおこない、三十四話もパンチラをふんだんに盛りこむことにした。 しかし、一度下り坂を転がりだした球は、簡単には止まらない。 三十一話は十三位。三十二話は十四位。そして三十三話は十六位。ついに、過去最低タイの順位まで落ちこんでしまった。 三十三話が掲載された週に、連載会議がおこなわれた。そこで連載終了を宣告されることはなかったのだが。 「じつは、このままだと、次の会議で終了になる可能性が高いといわれました」 「くそ、当然そうだよな」 連載会議がおこなわれた日の夜、俺と西島はファミレスで落ち合い、打ち合わせをしていた。人気低迷の対策を立てなければならなかった。 「結局、テコ入れの効果が長くつづかなかったってことか。別のテコ入れが必要なのか?」 「それで考えたんですが、もっと過激なエロ描写を入れたらどうでしょう」 「なんだと?」 「いまのところ、『パラレギュ』にはパンチラ以外のエロがありません。それでは、読者の期待感も薄れてしまう」 「ちょっと待ってくれ。あまり過激なエロ描写はしない。最初にそう決めたはずだろう」 パンチラは、あくまで若い読者を取り入れるための手段だったのだ。エロ描写を過激にしたら、もう別ジャンルの作品になってしまう。 「ですが、もっといろんな種類のエロをだして、『来週はどんなエロシーンがあるんだろう』と読者に期待させることが必要なんじゃないでしょうか」 「それじゃあ、完全にエロ漫画じゃないか。『パラレギュ』は、あくまでストーリー面で勝負する作品だ。パンチラ以外のエロはだしたくない」 「それで人気を回復すると思ってるんですか!」 「エロを増やせば人気がでるなんてのは、安直すぎる考えだろ!」 「だったらどうするんです? このままじゃ、あっという間に最下位になってしまいすよ!」 俺たちの語調は、だんだん強くなっていった。傍からは、大ゲンカをしているように見えただろう。だが、これは真剣な議論なのである。打ち合わせで熱くなってしまうのは、よくあることだった。 「ひとつ、考えていることがあるんだ。西島、率直な意見を聞かせてくれないか?」 「なんです?」 「俺が描くパンチラを、どう思う?」 「どうっていわれましても。ボクは絵の技術的な面では、なにもいえませんよ」 「一読者としての意見で構わないんだ」 西島は腕を組んでソファにもたれ、しばらくだまっていた。 「先生の画力は、ジェット連載陣の中でもトップクラスです。とくに、女の子のかわいさは。ただ」 「ただ?」 「パンチラの絵となると、それほど大きな魅力を感じないというのが、正直なところです。いえ、決してダメなわけじゃないんですが、大和先生なら、もっといいパンチラが描けるような気がして」 「なるほど、ありがとう。じつは、俺自身も同じことを感じていたんだ」 毎週のようにパンチラを描いているから、最初にくらべれば、だいぶ上手くパンチラを描けるようになったと自負している。 しかし、まだなにか足りない。そうも思うのである。 俺はまだパンツの描き方を極めることができていない。 それが、テコ入れの効果が長つづきしなかった理由ではないのか。 「西島、過激なエロを入れるのは、もう少し待ってくれないだろうか。俺はもう一度、パンチラの描き方を勉強してみる。もっと魅力的なパンチラを描ければ、人気もでると思うんだ」 「待っているあいだに、連載が終了してしまうかもしれませんよ」 「そのときは、そのときだ」 俺は覚悟を決めた。 「来週は一週間休めるだろ」 ジェット本誌が合併号になるためだった。もっとも、スケジュールがひっぱくしていたり、単行本やメディアミックスの仕事があると、あまり休めないこともある。だがさいわい、いまの俺はまるまる一週間の休みが取れそうな状況だった。 「その時間を利用して、みっちりパンチラ絵の研究と練習をするつもりだ」 「わかりました」 西島は不承不承といったようすで、うなずいた。 5 「やあ、やまーと。ひさしぶりだね」 「ああ、ひさしぶりだな、もずく」 俺は四か月ぶりに、もずくを訪ねた。 もずくの仕事場は相変わらずだった。だだっ広い部屋の真ん中に長机があって、もずくはそこに着いている。来客用の椅子はないので、俺は立ったままだ。 もずくはチョコレート菓子を口食べていた。傍らにはコーヒーカップが置かれている。 「これ、『Bitte』だけど、食べる?」 「いや、いらん。飲んでるのはコーヒーか? コーヒーならもらおうかな」 「いや、ココア。コーヒーはここにはないよ。嫌いだもん」 チョコレート菓子を食べながらココアとは、なんて甘々な組み合わせだ。想像しただけで吐きそうになる。まあいい。どうせ立ったままじゃコーヒーも飲みづらい。 「で、今日の要件はなに? 電話じゃいわなかったけど」 「『パラレギュ』は、いまでも毎週読んでくれてるのか?」 「うん。ジェットの作品は全部読んでるからね」 「だったらパンチラの絵も見ただろうが、それについてどう感じた? 自分なりに工夫してパンツを描いたつもりなんだが」 「イメージカットを見たときと、印象は変わらないよ。『ただパンツを描いただけ』で、ときめきがない。もちろん鼻血もでない」 「なるほど。やはり、そうなのか」 俺は、もずくに伝えた。テコ入れでパンチラをだしたら『パラレギュ』の人気があがったこと。しかしそれは一時的なもので、いまはまた打ち切りの危機に瀕していること。 「ふーん。それで?」 「人気が落ちた理由は、お前のいうとおり、パンチラの描き方がダメだったからだと思うんだ。そこで、あらためて頼む。俺にパンツの描き方を教えてくれ」 「だーかーら、プロなんだから自分で考えなくちゃダメだってば」 「頼むよ。もずく流パンツの描き方を学びたいんだ」 「学びたいなら、ひとりでもできるよ。ボクの絵を模写すればいいんだ」 「そんなこといわないでくれよ。直接、技術指導を受けたいんだ」 「たとえ指導しても、一朝一夕で身に着くものじゃないよ」 「大丈夫だ。俺の画力を知ってるだろ? 俺ならできるはずだ」 「やまーと」 もずくは『Bitte』の箱を両手で握りつぶし、うしろに放り投げた。 そして、鋭い視線で俺を射抜く。 「芸の道はそんなに甘くない。だれもが、血のにじむような努力を重ねて技術を向上させているんだ」 「それはわかってるよ。だが」 「やーまと、キミはどうやって、いまの画力を手に入れたんだ? たゆまない努力の成果でしょ?」 「それは、もちろんだ」 「パンチラの絵だって同じだよ。上達するには、とにかく練習するしかないんだ。なのに、やまーとは楽して上達しようとしている。それはなんで?」 「時間がないんだよ。毎週の連載が忙しくて、暇がほとんど取れないんだ」 「いいや、ちがうね!」 もずくは声を荒らげた。 「やまーとはパンチラの絵を見下しているんだ。『しょせんはエロ』ってね」 「なんだと? 見下してなんかないぞ! 俺は真剣にパンチラを描いてるんだ!」 「いいや、見下してるね。やまーとの絵を見ればわかる。ときめきのない、薄っぺらなパンチラ絵をね」 「それは技術的な問題だろ。だからお前に教えを乞うているんじゃないか」 「それが見下してる証拠なんだよ。ボクからコツを聞けば、自分でもすぐに描けると思ってるんでしょ? でもね、そんなに甘いものじゃないんだよ」 すると、もずくは立ちあがり、リビングの奥へと歩いていった。向かった先にはドアがあり、その向こうへと姿を消した。 やがてもどってきたもずくは、分厚いバインダーを手にしていた。それを俺に渡す。 「これは?」 「ボクが若いころに練習したパンチラの絵さ。模写したものもあれば、オリジナルのものもある」 俺はバインダーを開いた。たしかにそこには、パンチラしている女の子の絵が大量に収められていた。百枚以上はあるだろうか。一枚ずつめくって見ていくと、だんだん上達しているのがわかる。 「ボクだって、最初からパンチラを上手く描けたわけじゃない。初めてエロゲー原画の仕事が来たときは、本当に四苦八苦したからね。だから練習を重ねたんだ。いっとくけど、そのバインダーはごく一部だよ。パンチラ絵は、合計二千枚は描いたからね」 「に、二千枚、だと?」 思わずバインダーを落としそうになった。 「もちろん、パンチラ以外のエロ絵も練習する必要があった。だから一時期は、それこそ寝る暇もないほどだったよ。そうして習得した技術は、簡単に他人に教えられるものじゃないんだ。ボクの血と汗の結晶だからね」 俺は言葉を返せず、バインダーに収められた絵をもう一度見た。現在のもずくが描く絵にくらべれば、稚拙な部分もある。それでも、一枚一枚に情熱がこめられていることが感じられた。 「それだけの練習を重ねるのは、苦しかったよ。でもボクはやり通せた。それは、パンチラ絵に対するリスペクトがあったからだ。やまーとに足りないのは、そういうところなんだよ」 そして、もずくは静かに告げた。 「教えられることなんて、なにもないよ。悪いけど帰ってくれないか」 脳天をハンマーで殴られたようなショックを受けていた。 もずくの仕事場からでて、俺はとぼとぼと道を歩いていた。自宅までは、地下鉄で二十分ほどの距離だ。だが、しばらく歩きたい気分だった。 もずくの言葉が頭の中で反響している。 『パンチラ絵に対するリスペクト』。俺にはそれが足りないと、もずくはいった。 たしかに、そんなことは考えたこともなかった。 大都会の歩道をゆっくりと進む。大勢の人が行きかい、俺とすれちがっていく。だれも、俺が漫画家だとは知らないだろう。 漫画家としてデビューしたときは、すぐにでも有名人になるものだと思っていた。しかし、そんなに簡単なものではなかった。 それどころか、このままでは俺は、漫画の世界から消えてしまう。 前方に大型の書店が見えてきた。俺は意を決し、店内に足を踏み入れる。 もずくの画集を三冊、そのほか、パンチラが有名なイラスト画集や漫画などを大量に買いこんだ。 もずくのいうとおりだ。 俺はパンチラ絵を甘く見ていた。自分の画力ならパンツも簡単に描ける、そう思っていた。 そしてそれ以上に、努力が足りなかった。週刊連載の忙しさを言い訳にして、厳しい練習や勉強から逃げていただけだった。 技術は、簡単に習得できるものではない。とくかく練習するしかないのだ。 自宅に帰り着いくと、購入した書籍を開封した。 まずは、もずくの画集を開いてみる。 あらためて見ると、もずくの繊細なイラストには感嘆させられるものがあった。淡い色彩で表現される、幻想的な世界観。人物と背景の、絶妙なバランス感覚。そして、女性の肉感や、かわいらしさ。 基礎的な画力は負けていないと思うが、独自の作風は俺にはないものだ。 パンチラの絵もあった。思わず生唾を飲みこんでしまいそうな、官能的な雰囲気がある。 俺は、その絵を模写した。パンツの部分は、とくに気をつかって描いた。 芸の道は模倣から、そんな言葉がある。まずは模写を徹底的におこなうと決めていた。 一日中、俺は模写をした。もずくの絵に限らず、ほかの画集や漫画の絵も。パンチラ絵はもちろん、エロ、非エロに関わらず、魅力を感じた女の子の絵を積極的に模写していった。 食事以外は絵を描き、睡眠は三時間。そんな、ふだんの仕事と変わらない、あるいはそれ以上のペースで、俺は練習をつづけた。 絵を描くばかりではなく、購入した漫画を読みこみ、パンチラをだすタイミングなども勉強した。 そうした練習や勉強を、三日間つづけた。 その結果生まれたのは、先人たちへの強烈な尊敬の念だった。 パンチラ絵には、作者それぞれの特色がある。だれもが、ある種のこだわりを持って描いているのだろう。たとえば、しわの入り方。たとえば、スカートのめくれ方。 それらを模写しながら、俺も自分なりのこだわりを見つけたい。そう思った。 もずくがいっていた『リスペクト』とは、こういうことだったのだろう。 四日目からは、オリジナルのパンチラ絵を描いてみることにした。 真似してばかりではなく、自分なりのこだわりと表現を追求するためだ。 さまざまな角度のパンチラ絵を、何十枚も、ひたすらに描きつづけた。 疲労は感じなかった。きっと、ハイになっていたのだろう。 オリジナルのパンチラを描きつづけて二日間。 俺は真理に到達した。 二次元は、現実を超える。 俺は心のどこかで、エロに関しては二次元よりも三次元が圧倒的に上だと思い込んでいた。二次元のエロは、三次元を疑似的に再現したものにすぎないと。 だが、ちがった。 二次元は、現実では絶対に起こらない理想を描くことができる。パーフェクトな美少女、パーフェクトな体型、人知を超えたラッキースケベ。そういったものは、すべて二次元ならではのものなのだ。 パンツでいえば、二次元と三次元では決定的にちがっている部分がある。 それは、食い込みだ。 二次元のパンチラ画像は、パンツが食いこむことによって、お尻や性器の形が露わになっているものが多いのである。そう、『縞パンによってお尻の形がわかりやすくなる』というのも、その一種だ。 現実では絶対に起こり得ないレベルの食いこみ。それによって、現実以上にエロティックなパンツを表現することができる。 パンツは、平たくいえばただの布だ。しかし、『女の子が穿く』ということを意識させることで、布以上の意味を持つのである。 エロの本質はパンツではなく、その下にある。 パンチラをエロく見せるためには、その下に隠されたお尻や性器、さらにはパンツ周辺のふとももやお腹、そいった部分の肉感も意識しなければならない。 エロは、パンツだけでは成立しない。あくまでも女の子という存在が必要なのだ。 それを理解したとき、俺は新たなるステージへの扉を開くことができた。 合併号休みの最終日。俺はまた、もずくのもとを訪れた。 「見せたいものがあるっていってたけど、なにかな」 「描けたんだ。究極のパンチラ絵を」 俺はバッグから一枚の紙を取りだし、もずくに差しだした。 五日間の練習と勉強を経てたどり着いた真理をもとに、丸一日をかけて描いたパンチラ画像だった。『パラレギュ』のダブルヒロイン、古城茜音と緑川まるみが廊下でぶつかって転び、ふたりともパンチラしているという構図だ。それを目撃する主人公を配置することも忘れなかった。 『現実を再現するのではなく、現実を超える』。その信念のもと、とくに食いこみを意識してパンチラを描きあげた。それだけじゃない。お尻やふとももの肉感、主人公に見られて恥じらうふたりの表情、そういった部分まで丹念に描きあげた力作だった。 「もずくの言葉に心を打たれて、この一週間、一心不乱に練習に励んだんだ。そしてこの絵を描きあげた。見てくれ」 俺から受け取った絵に目を向けるもずく。 その目が大きく見開かれていき、そしてもずくは固まった。 数十秒間、固まったままだった。やがて「すーっ」と大きく息を吸い、「ふーっ」と吐きだした。呼吸をすることを忘れていたかのようだ。 そのときだ。 もずくの顔面に異変が起こった。鼻から口にかけて走る、一筋の赤いライン。 鼻血だった。 「やるじゃないか。これは心がときめく、すばらしいパンチラだよ」 鼻血を指でぬぐいながら、もずくはいう。 「一週間で、ここまでレベルをあげるとはね」 「もすくのおかげさ。俺は、これまで甘えていた。それをお前が気づかせてくれたんだ」 「それにしても、これはすごいよ。やまーとは、パンツを描く天才なのかもしれない」 「おい、変なこというんじゃねえよ。まあ、悪い気はしないけどな」 「いままでは、片意地を張ってたんじゃない?」 「なに?」 「やまーとは、硬派な漫画を描きたがってたでしょ? だからこれまで、パンツを描くことに抵抗があった。でも、やっと素直な気持ちでパンチラを描けたんだと思うよ。そして才能が花開いた」 「そうかもしれないな」 もずくは、ニッと笑った。鼻血を垂れ流しながら。 「保証するよ。やまーとは、パンツの絵で飯を食っていける」 「お前からそういわれると、自信もつくな」 「でも、ボクにくらべれば、まだまだヒヨッコだけどね」 「む、なんだと?」 「当然でしょ? やまーとは、まだボクの十分の一も練習をしていないんだから。でも、もっと練習を重ねれば、さらにいいパンチラが描けるようになるはずだよ」 俺は、ニヤリと笑ってみせた。 「ああ、そのつもりだ。これからも精進するよ」 こうして習得した技術をひっさげ、俺は『パラレギュ』の最新話を執筆した。 「す、すばらしいです。このパンチラは、歴代でも五本の指に入ります。大和先生は天才です。まちがいなく天才ですっ!」 最新話の原稿を見た西島は、そういいながら感動の涙を流していた。 この経験によって、俺は自分の殻を破り、漫画家としてひとつ成長することができたと思う。 あとは、アンケートの結果がよくなれば、いうことはなかった。 だが、一度離れていった読者は、そう簡単にはもどってこない。 『パラレギュ』の人気低下の流れを止めることはできず、その後も低順位がつづいた。 そして。 次の連載会議で待っていたのは、連載終了という無情な宣告だった。 俺の三作目の連載作品、『パラレギュ ~Paradise Regulations~』は、第四十六話をもって幕をおろした 6 「やあ、やまーと。ひさしぶりだね」 「ああ、ひさしぶりだな、もずく」 とある料亭の個室で、俺ともずくは顔を合わせた。 対談をおこなうためだ。 室内にはインタビュアーやカメラマン、その他のスタッフが数人いる。 『パラレギュ』の連載が終了してから、六年が経過していた。 週刊少年ジェットは、連載が三度打ち切られると、もう作品を掲載させてもらえなくなる。俺も週刊少年ジェットからは去ることになったが、画力の高さが買われて『月刊少年ジェット』のほうに拾われた。 そして月刊少年ジェットで、『青空の季節』という作品を連載することになった。 『青空の季節』はパンチラ満載の恋愛漫画だ。女の子のかわいさ、そしてパンチラという俺の武器を最大限に活かすための作品だった。 俺はパンチラの技術をいかんなく発揮し、『青空の季節』は月刊ジェット屈指の大人気作品となった。現在も連載はつづいている。深夜枠ではあるが、念願のアニメ化もされた。 俺のパンチラ絵は評判を呼び、俺はいつしか、ネット上で『パンチラマイスター』と呼ばれる存在になっていた。 そしてこのたび、俺がこれまでに描いたカラーイラストをまとめた画集が発売されることになった。 その巻末に、もずくとの対談が掲載されることになったのだ。 対談の収録がはじまり、インタビュアーが口を開いた。 「おふたりは高校の漫画研究部で出会ったそうですけど、もずく先生から見て、当時の大和先生は、どういう印象だったのでしょう」 「まあ、とにかく自信過剰だったよね」 もずくがいう。 「部員の中で一番上手いのはたしかだったけど、鼻につく発言が多かった。『俺は将来、作品をアニメ化させて、国民的な漫画家になる!』とかね。はっきりいって調子に乗ってたよね」 「おいおい、批判的なこというんじゃねーよっ」 俺は口をはさみ、インタビュアーを見やる。 「この対談は、俺の画集に載るんだぞ。ねえ?」 「ははは、掲載されるときには、言葉を上手く編集するから大丈夫ですよ。大和先生のほうは、もずく先生に対してどんな印象を抱いていました?」 「最初は、自分のほうが上手いと思っていました。でも、もずくはメキメキと上達していって、いつしかライバル視するようになってた。とにかく、上達のスピードがすごかったですよ」 「やまーとの上達が遅かったんだよ。調子に乗って、練習をさぼってたんじゃない?」 「うるせえよっ。とにかく、お互いに切磋琢磨する、いい関係でしたね。でもね、もずくのやつ、漫画のストーリーはてんでダメだったんですよ。こいつはイラストレーターにはなれても漫画家は無理だなって思ってたら、案の定だった」 「あーっ、ほら、嫌なやつなんだよ、やまーとは。自分が漫画家になったからって!」 こんな感じでお互いに茶化し合いながら、対談はなごやかにスタートした。 話が進むにつれ、真剣に語るようになっていった。絵の技術論、とくに女の子の描き方、パンツの描き方について、熱く語り合った。 最後に、インタビュアーからこんな質問をされた。 「大和先生はいま、『パンチラマイスター』と呼ばれるほど、パンチラのイメージが強い作家さんですが、大和紫苑先生にとって、『パンチラ』とは?」 俺はあごに手を当てて考えるそぶりをし、それから口を開いた。 「俺は最初、自分の漫画にパンチラをだすつもりはありませんでした。だけど作品の人気があがらず、漫画家として生き残るために、仕方なくパンチラを描いたんです」 もずくのほうに視線を向ける。彼はほおづえをついて、気の抜けた顔をしていた。 「でも、そんな生半可な気持ちじゃダメだってことを、もずくが教えてくれたんです。それから真剣にパンチラを描くようになって、そして『青空の季節』で読者からの支持を得ることができた。おかげで、いまでもこうして漫画家をつづけることができています」 そして俺は、自信を持って告げた。 「いまは、パンチラを描くことに誇りを持っています。これが自分の天職だと思っているんです」 「ボクもそう思うよ」 と、もずく。 「やまーとはきっと、パンツを描くために生まれてきたんだよ。でも、ボクのほうがもっと上手いけどね!」 「うるせえ! 俺だって負けてねえぞ!」 若いころ、自分にはまちがいなく才能があると思っていた。 週刊少年ジェットでバトル漫画を連載。大ヒット。アニメ化。そして国民的漫画へ。 そんな壮大な夢を描き、必ず実現できると信じていた。 その夢は半ばで破れ、そしていまはパンチラ漫画を描いている。 だけども、憂いはない。 いまの作品は描くのが楽しくて、やりがいを感じている。それに、毎月楽しみにしてくれている読者がいる。それは、なによりも漫画家冥利につきることだ。 そして今日も、俺はパンチラを描く。 『二次元は現実を超える』、その信念を胸に。 |
いりえミト 2016年08月28日 23時07分04秒 公開 ■この作品の著作権は いりえミト さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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