アムネジア |
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つうっとアムネジアの鼻から、血が流れている。僕はぎょっとして、彼女に叫んでいた。 「姉さん、鼻血がっ!」 「あぁ、私も食べられ始めたか……」 叫ぶ僕に銀糸の髪を弄びながら、アムネジアは笑ってみせる。笑い顔とは裏腹に、彼女の紫苑の眼は気まずそうに僕から逸らされていた。 そっと鼻をつまんで、彼女は側にあった止血剤を手に取るのだ。チューブに入ったその薬を鼻の穴に塗って、彼女は鼻血や擦り傷などを治療する。 昔は、バルサ材からティッシュというものが作られて鼻血を止めるために使われていたらしい。生憎、今の世界にそんな資源の余裕はない。 僕は、透明な壁の向こうに広がる世界を眺めていた。 壁の向こうには、霧に霞む森がある。 巨大な針葉樹が疎らに生えている。針葉樹の隙間を埋めるように釣り鐘型をしたブルーベリーの花が大地を白く染めていた。 緑が白く霞む森。 その森を、ベッドに寝そべるアムネジアは寂しそうに僕と眺めている。止血剤を塗ったばかりの彼女の鼻は、穴の周りに少しばかり血の塊がこびりついていた。それを彼女は指でとろうと躍起になっている。 顔立ちの整っている少女が鼻をいじるなんて、見ていて気持ちがいいものじゃない。でも、彼女にはティッシュがないから自分の指で鼻血の後を奇麗にするしかないのだ。 僕らの目の前には、バルサ材になる巨樹がいたるところに生えているというのに。 この硝子のドームから出れば最後、彼女たち人間には死しか待っていない。 奴らによって、アムネジアはこのドームの中での生活を余儀なくされている。 適温に保たれ、食用の植物や人工肉を作る施設の整ったこのドーム内で飲み食いに困ることはない。身の回りの世話はアンドロイドがしてくれるし、何より僕は彼女を看病するために造られたアンドロイドだ。 そんな僕を彼女は弟のように可愛がってくれる。だから僕も彼女の求めに応じ、彼女のことを姉さんと呼ぶようにしている。 アムネジアは、家族ゴッコが大好きなのだ。 彼女を姉さんと呼び始めるようになったのは、とある出来事がきっかけだった。 それまで彼女は外ばかりみて、いつも泣き暮らしていた。 ようやく笑顔を見せてくれたばかりなのに、彼女はもうすぐ死のうとしている。 「ねぇ、スコウ……。私は姉さんたちと比べて長生きなんだよね?」 ふと森を見ていたアムネジアが僕に声をかけてきた。僕は彼女の方を向き、言葉を返す。 「はい。姉さんはオリジナルの15代目です……。他のコピーたちは、ほとんど10歳になる前には……」 「うん、何度も聞いたもの分かるよ……」 アムネジアが笑う。そんな彼女から僕は顔を逸らしていた。 人食いウイルスと呼ばれる人類の脅威が現れてから、何世紀が経っただろうか。 DNAの複写版ともいえるRNAを細胞内に持つ人食いウイルスは、人の細胞を乗っ取り、寄生虫のように感染者の細胞を自分たちの支配下に置いていく。DNAを体内に持たない奴らは、他の生物に感染し細胞を乗っ取ることでしか増殖することができない。 特にこの人食いウイルスには他のウイルスと違う点がある。 それは感染者の細胞をウイルス自体が攻撃するというものだ。攻撃された細胞はDNAすらも傷つけられ、複製を作ることが不可能になっていく。 その症状が1番初めに現れるのが、鼻。 感染者は鼻血をよく流すようになり、次に臓器などの内出血を頻繁に繰り返すようになる。そして次第にベッドから起き上がれなくなり、死に至るのだ。 この人食いウイルスによって人類の数は激変した。 そして今、その人類の存続を可能にしているのがこの硝子のドームと、姉さんたちクローンの存在だ。 人類は人食いウイルスが入り込めない特殊なドームをつくり、そこでクローンによる人類の存続を図った。人食いウイルスに耐性を持つ人物をドーム内に住まわせ、その人物が死亡した直後、後継となる複製体を新たに生み出す。 それを繰り返すことにより、人類はかろうじて生き延びることが出来ている。 ウイルスに侵されれば、生殖機能すら正常さを保てなくなる。人口の大半を失っていた人類にとって、子を造ることはもはや不可能だったのだ。 そして、ドームもまた完全に人食いウイルスを隔絶することはできない。 なぜなら―― 「また、外に行ってみたいわ……」 ぽつりと、アムネジアは呟く。僕は我に返り、彼女を見つめていた。 アムネジアは風にゆれるブルーベリーの花を見つめていた。風が霧を遠ざけ、大樹の合間から青い空が顔をのぞかせる。アムネジアは眼を輝かせ、その空に見入っていた。 アムネジアのオリジナルは植物学者だった。優れた頭脳を持つ彼女は生き残ることを保証され、そのクローンたちが細々と人類という種を尊守している。 だからだろうか、彼女たちはドームの向こう側に広がる北欧の森に強く惹かれるのだ。 その思いは年々募っていき、ついには死んでもいいから外に出たいと狂言自殺を図る者も出る始末だ。 そんな騒ぎを起こしたのが、今のアムネジアだった。 「私が死んだら、外に連れて行ってくれる?」 そっとアムネジアが片膝を立て、そのうえで頬杖をついてみせる。ダボついた服の袖から彼女の細い腕が覗く。手首に無数の切り傷を認めて、僕は彼女から眼を逸らしていた。 外の世界に行く前、彼女はよく手を切って遊んでいた。僕がやめてといっても、血を見ていると安心すると彼女は笑って答えるのだ。 顔を壁にぶつけて鼻血を出したことさえある。こうすると鼻がじんじんと痛くなって、生きている実感が持てるとアムネジアは言っていた。 そして、彼女は僕に告げたのだ。 --私を、外に連れて行ってほしいと。 血を流す彼女の鼻に止血剤をぶっこんで、僕は馬鹿女と彼女に冷笑を浴びせてやった。 死にたいならそうすればいい。でも、¥それがどんなに恐ろしいことか、この女はきちんと学習していないみたいだ。 僕が外に連れ出したせいで、人食いウイルスに感染したというのに。 そのせいで、死が近づいているというのに。 「ねぇ、外に連れて行ってよ、スコウ」 アムネジアが妖艶な笑みを浮かべる。 長い袖から手首を突き出して、彼女は見せつけるように僕の目の前で手首を振ってくる。その手首に刻まれた横長の傷跡が、痛々しい。 「ふざけるなよクソガキ……」 僕は彼女の弟であるという設定を忘れ、素に戻ってみせた。 アムネジアを生かし望みを叶えることが、ドームに住む僕らアンドロイドの役割だ。 でも、僕にも人間と同じ感情が搭載されている。ムカつけば主人に逆らう言動だって少しはするんだ。 「ちょっと、私の弟だって設定放棄しないでよ。せっかく家族になってるのに……」 「当の昔に絶滅した概念に何の意味があるの? 本当にタンパク質で構成されてる君たちは理解に苦しむ生き物だよ」 「鉄で構成されたあんたに言われたくないわっ」 「お生憎様。僕の主成分はアルミニウムと合成樹皮だ。鉄はほぼ使われてないんだよ! クソ女!」 びしっと中指を立ち上げ、僕はアムネジアを睨みつけてみせた。むっとアムネジアは頬を膨らませ、唇を尖らせる。 「独りぼっちでいれば、家族だって欲しくなるのよ……。いいじゃないそのくらい……」 すっと彼女の眼に涙が滲む。言い過ぎたと思いつつも、僕はその涙に苛立ちを感じていた。 何か言えば、独りぼっちだと彼女は口癖のように呟いてくる。 僕が側にいるのに―― 勝手に外でもどこでも行って、具合を悪化させて死んじまえばいい。 そうすれば、また新しいアムネジアを僕らは造ることになる。 新しいアムネジアを、僕らは死ぬまで育てることになる。 ずっと、その繰り返し―― 今のアムネジアと違って、次のアムネジアは素直な女性に育てよう。そして、もう少し利口になるよう育てなければいけない。 「ねぇ、スコウ……」 アムネジアが小さく僕に話しかけてくる。彼女は縋るように僕を見て、言葉を放った。 「外に連れて行って……」 泣きそうな眼を僕に向け、彼女は静かに告げる。その真摯な声に、僕は逆らうことが出来ない。 「早く死んじまえ。そしたらずっと外にいられる……」 悔しくて、僕はアムネジアにそう吐き捨てていた。 霧に霞む森の中を、アムネジアが走っている。彼女の裸足はブルーベリーの白い花をゆらしながら、まっすぐ目的地へと向かっていた。 森の端にはなだらかな丘がある。その丘の中央を僕らは目指しているのだ。 僕は丘をみあげる。ブルーベリーの低木が疎らに生えるその丘をアムネジアが駆けあがっていく。彼女の笑い声が、霧に覆われていない青い空に響き渡る。 アムネジアが目指す丘の頂上には、無数の十字架が突き刺さっていた。 「ご機嫌用。姉さんたちっ」 頂上に突き刺さる十字架にアムネジアが元気よく声をかける。 この丘はアムネジアたちの墓所だ。 死んだアムネジアたちは、代々この場所に葬られる。丘に突き刺さる十字架は、アムネジアたちの墓標だ。 そしてこの丘には、リストニアにあった十字架の丘を彷彿とさせる光景が広がっている。 何百という十字架が、丘の頂上を埋め尽くしているのだ。 今のアムネジアは15人目だが、ここには成り損ないたちも埋葬されている。 クローン技術において生まれる生命は、先天的な疾患を持って生まれてくるものが多い。 だから僕らは、生まれてきた彼女たちを処分する。 そんなものをアムネジアにする訳にはいかないのだ。 アムネジアは人類存続のために生かされた存在だ。彼女は健康で、長生きで、完璧でなければならない。 そんな成り損ないたちのことも、アムネジアは敬愛を込めて『姉さん』と呼ぶ。 ――だって、彼女たちは私が生まれる前に、私になるために生まれて来たんでしょ。だったら血のつながった姉さんよ。私の大切な家族だった人たちよ。 アムネジアの言葉を思い出す。 何かというとアムネジアは家族という言葉を使う。 家族 Family Teulu Hän heimo……。 家族という単語は言語の異なる世界中の民族に伝わっていた。家族とは人間が群れるときの最小単位の言葉であり、同時に人間がもっとも帰属すべきとされた帰る場所でもあったのだ。 アムネジアはくるくると回りながら、十字架の前に立った。来ていた衣服の裾を両手でもって、彼女は深々とお辞儀をする。それから、横に置いたバスケットからブルーベリーの小さなパイを取り出すのだ。 「見てお姉さま。お姉さまたちが残してくれたジャムでつくったブルーベリーパイ。今年はブルーベリーが沢山採れそうだから、私が作ったお手製のジャムを披露できると思うわ。召し上がれ」 そっと十字架に微笑みかけ、彼女は十字架の前にパイをおく。1つ1つの十字架にアムネジアはお辞儀をして、優しく話しかけてはパイを置いていくのだ。 アムネジアが外に出たいと言い始めたのは、いつ頃だったのだろう。 それは彼女が、自分が何者かを自覚したころだったと思う。彼女の部屋がある場所からは、この丘がよく見える。暇になると、アムネジアは飽きもせずに丘の十字架を眺めているのだ。 ずっとずっと、日が暮れるまで。 ――どうして私をたくさん造らないの? そうすれば人類の数は一気に増えるし、私にだって姉妹がたくさんできるのに……。 アムネジアが僕にそう語ってくれたことがある。それは、彼女が丘の上の十字架をよく眺めるようになってから放たれた言葉だった。 その頃から、彼女は自分が独りぼっちだとよく呟くようになった。 僕がアムネジアの弟になったのもその頃。 たしかに、アムネジアの疑問はもっともだ。でも、それはできない取り決めになっている。なぜなら本来、アムネジアはオリジナルの記憶を引き継いで生まれてくるはずなのだか ら。 でも、いくら彼女たち複製体にオリジナルの記憶を移植しても、彼女たちはその記憶を 覚えていないのだ。健忘を意味するアムネジアの名前のごとく、彼女たちはオリジナルの記憶を引き継ごうとしない。 まるで、彼女たちがそれを拒んでいるかのように。 「スコウ、お茶にしましょうっ!」 弾んだ声が聞こえる。アムネジアが髪に手を当て、微笑みかけていた。陽光を浴びて、 彼女の銀髪は湖面のように輝いている。 彼女の眼は生き生きと輝きを放ち、僕を映しこんでいた。 「ブルーベリーパイ、ちゃんと残してくれたっ!?」 「もちろんっ! でもあなたってば変わってるわ。食べられないのに、ブルーベリーが好物だなんてっ」 「気分を味わいたいんだよ」 「人間にでもなった気分を味わいたいの?」 彼女の言葉に、僕はびくりと肩を震わせていた。 僕が、人間になりたい? アンドロイドである僕が、どうしてタンパク質で構成されたそんな面倒なものになりたがるんだ? なぜ―― 「スコウ……?」 彼女の声で我に返る。アムネジアは、心配そうに僕を見つめていた。気まずくなって、僕 は彼女から視線を逸らす。 「何でもない……。お茶にしよう」 僕は笑みを取り繕う。アムネジアは笑みを浮かべ、僕に駆けよってきた。 瞬間、彼女の体が傾ぐ。 あっと僕が驚きの声をあげた瞬間、彼女は地面に倒れていた。 「鼻血が、止まらないや……」 アムネジアの小さな声がする。そんな彼女の鼻に、僕はそっと止血剤を塗りこんだ。顔を あげると、雪に白く染まった森が一望できる。ベッドに寝そべるアムネジアは悲しげな視線を外に向けていた。 「ブルーベリー採りに行けなかったな……。約束したのに……」 雪に覆われた地面を見つめながら、アムネジアは呟く。彼女の声は微かに震えていた。 十字架の丘で倒れてから、アムネジアはろくにベッドから起き上がれない生活を送って いる。ドームの医療ロボによると、彼女の寿命はそう長くはないらしい。 「ねぇ、スコウ……。私が死んだらさ……」 「まだ死んでないだろ、クソガキっ!」 彼女の言葉を僕は遮る。ただでさえ死にそうな人間から、そんな台詞を聞きたくはない。 僕らアンドロイドと違って、人間には終わりがある。本当にタンパク質由来の生物はロク なもんじゃない。自己複製も自己治癒能力も有しているのに、その能力には寿命という限 界があるのだ。それは遺伝子に組み込まれた決まり事であり、ウイルスなどの外部的な要因 によっても簡単に引き起こされる。 「スコウはもう、弟にはなってくれないんだね……」 「死にぞこないと、家族ごっこをする趣味はないよ。毎日死ぬだの、死んだらだの、縁起が悪いっ! 少しはこっちの気も使って、明るく振舞えよっ!」 「私の最後なんて、それこそたくさん見てるっでしょ? それなのに気をつかえって……やっぱりスコウって人間みたい」 くすりとアムネジアが笑う。僕は、彼女の発言に言葉を失っていた。 「それに、私を外に連れて行ってくれたのはスコウでしょ。なのになんで、私の死を悲しんでくれるの?」 彼女が何を言っているのか意味が分からず、僕は黙り込んでしまう。 僕が、アムネジアの死を悲しんでいる? これまでアムネジアの死を、嫌というほど見てきた僕が? 「ねぇ、スコウ……。どうして泣いてるの?」 アムネジアが、不思議そうに首を傾げる。彼女の言葉に驚き、僕は頬に手をあてていた。 「なんで……」 自分の手を見て、声を発する。僕の手には涙が付着していたからだ。 人間に似せられて造られた僕には、涙を流す機能も備わっている。 でも、こんな風に泣くことなんて起動してから数えるほどしかなかった。 そっと僕は、ある言葉を思い出す。 ――ねぇ、スコウ。もしこれから生まれてくる私の妹たちが外に出たがったら、連れて行ってあげて。彼女たちは死ぬこと以上に、生きることを選択するはずだから。 そう、僕は本物のアムネジアが死んだとき涙を流した。彼女が残した言葉を聞いて、無意識のうちに僕は泣いていたんだ。 「違う、これは機能異常で……」 「嘘……。悲しいから泣いてくれてる……」 「うるさい……。このクソ……」 喉が震えて、言葉が出ない。視界が涙で歪む。その歪んだ視界の中で、アムネジアが笑ってみせる。 「こう言ったらスコウは怒るかもしれないけど私ね、死ねことが楽しみなの。だって、もうすぐ姉さんたちに会いにいけるんだもの。もうすぐ永遠になれるのだもの……」 ぎゅっとアムネジアが僕を抱きしめてくる。僕の背中を優しくたたきながら、彼女は言葉を続ける。 「ドームの中にいた私は、ずっとずっと死んでいた。自分の生まれた意味が分かったときは、本当に私を造ったあなたたちが憎かった……。だって私と同じ人間は、もう私しかいないのかもしれなかったから。私は世界で独りぼっちかもしれなかったから。でもね、違ったの……」 アムネジアは笑みを深めてみせる。彼女の眼はかすかに潤んでいた。 「初めて外に出たとき、土の感触に驚いた。ふわふわしてて、まるでベッドみたに柔らかくて。その土の中に、たくさんの気持ちの悪い生き物がいて……。気持ち悪がる私に、スコウが森の仕組みを教えてくれた。 木から落ちた葉をバクテリアが分解して、この子たちに住みよい環境を作ってるのだって。その落ち葉が腐葉土になって、森の木々を生かしているんだって。 初めて外で見た夜空は、今でも忘れられない。 満天の星空がどこまでも続いていて、その星全部が地球を育んでる太陽と同じものだなんて信じられなかった……。テントを張った丘の下をヘラジカの群れがゆっくりと通って行って、そのシカたちをオーロラが優しく照らしていた。凄く奇麗で、自分の悩んでいたことが嘘みたいに小さく思えて、涙がとまらなかった。 どうしてこんなに世界は綺麗なんだろうって、凄く不思議だった。それでね、泣いてる私の側にスコウがすっといてくれたことが、1番凄いことだって気がついたの」 「どうして……?」 彼女の言葉に、僕は眼を見開いていた。 僕が側にいたことが1番すごい? 何を言っているんだこの女は。 そんな僕の顔を覗き込みながら、アムネジアは言葉を続ける。 「だって私、勘違いしていただけで独りじゃなかったんだもん……。人間じゃないかもしれないけど、あなたたちはずっと私の側にいてくれた……。恥ずかしくて今まで言えなかったけど、あなたたちは私の家族だった……」 ぎゅっと小さな手が僕を抱き寄せてくる。僕を包み込む彼女の腕は、驚くほどに震えていた。 「アムネジア……」 「死んだらね、私は永遠になるの……。私だった体は分解されて、森の養分になって、ブルーベリーの身になるかもしれない。ヘラジカに食べられて、彼らの体の一部になれるかもしれない。森の一部になって、私は姉さんたちみたいにずっと生き続けるの。ずっと、あなたたちの側にもいられるの……。でも、恐いんだ……。私、死ぬのが……」 「アムネジアっ!」 叫んで、彼女の言葉を遮る。僕は彼女の体を引きはがし、顔を覗き込んでいた。眼をゆらしながら、彼女は怯えた表情を顔に浮かべる。 僕は涙に濡れた眼で、彼女を睨みつけていた。 何が独りじゃなかっただ。何が死んだら永遠になるだ。そんなのまるで、遺言みたいじゃないか。 彼女の顎を掬い、僕は怯える彼女の唇を奪っていた。柔らかな唇の感触が心地よい。 アムネジアの心音が僕の体に伝わってくる。 彼女の生きている音が―― 唇を離すと、彼女は顔を真っ赤にして僕を見つめていた。 「なんだよ、ちゃんと生きてるじゃないか……」 ぎゅっと彼女を抱きしめ、僕は耳元で囁いてやる。 「ちゃんと君は、生きてここにいる。それで充分だろ。それだけじゃ、いけないのか? それだけで僕は……」 喉が震えて、言葉がでてこない。こらえきれなくなって、僕は泣き出していた。 アンドロイドのくせに、僕は無性に悲しかったんだ。彼女が僕の気持ちを理解してくれないことが、無性に腹立たしかったんだ。 何もいらない。僕は、ただアムネジアが生きれいればそれだけでいいのだ。 彼女が笑ってくれさえいれば、それだけで僕は幸せだったんだ。 たとえ、彼女に生を自覚させる行為が、彼女を死に導こうとしていても、僕はそれを行ったことに後悔なんてしていない。 それはアムネジアが望んだことだから。彼女が本当の意味で生きたいと、願った結果だったから。 「スコウ……」 アムネジアが僕に声をかけてくる。僕は涙を拭い、彼女に微笑んでみせた。 「大好きだよアムネジア……。だから、生きて。僕のために生きてよ、アムネジア……」 今まで言えなかった言葉を、彼女に告げる。くしゃりとアムネジアは顔を歪めて、僕に抱きついてきた。 僕と一緒にアムネジアも大声をあげて泣く。 ただ彼女の心音だけが、僕を慰めるように優しく耳に響いていた。 冬が終わって、季節が巡る。 針葉樹の森はブルーベリーの白い花で覆われ、その花を太陽が優しく照らしていた。十字架の丘の上で、僕はその光景を眺めている。 「今年は、ブルーベリージャムを造れるといいね」 僕は顔に笑みを浮かべ、背後にいるアムネジアに声をかけていた。 彼女の墓標である、真新しい十字架に。 「そしたらブルーベリーパイを作って、姉さんたちと一緒に食べよう、アムネジア」 体を十字架に向け、僕はそっと十字架を撫でていた。応えるものがいないことが分かっていても、僕は彼女に語りかける。 再び眼下に広がる森に視線を向け、僕は彼女に呼びかけていた。 「聴こえるよね、アムネジアっ!? 今日、新しい君が生まれたんだっ! 妹のためにも、とびっきり美味しいブルーベリーの実を頼むよっ!」 十字架の下に僕のアムネジアは眠っている。でも、彼女はここにはいない。 森の一部となって、僕の愛したアムネジアはずっと僕ら共にあるのだ。 「ずっと一緒だよ、アムネジア……」 僕の頬を春風が優しく撫でる。 その頬を涙で濡らしながら、僕は愛する人に微笑みかけていた。 |
ナマケモノ 2016年08月28日 22時33分38秒 公開 ■この作品の著作権は ナマケモノ さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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