西条縁と僕~止まらぬ鼻血の真実~ |
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★ 教室を支配するゲラゲラという笑い声。 一人床に座り込む少女は鼻血を流し、涙を浮かべながら周囲を睨みつけている。 そして、こう言い放つのだ。 「絶対に許さない……!」 いつしか彼女の鋭い視線が罪の心を貫いて――。 ☆ 「ぶほぅ!」 高校からの下校途中、自宅まであと少しのところ。天使のように可憐な彼女の姿を目にした瞬間、僕の鼻から鼻血が噴射された。 唐突なスプラッタ。 ショッキングな光景に、彼女は澄んだ瞳を丸くして、両手で口を覆う。 しかし、それは束の間のことで、慌てた様子で僕に駆け寄った。 「ど、どうなさったのですか! 大丈夫ですか?」 上品な口調、心地よい声音で尋ねる。 「だ、大丈夫です……」 「この滝のような鼻血がですか? どう見ても大丈夫では……」 自分でも重々承知である。鼻血はナイアガラの滝のごとき勢いで流れ出ている。虹のシュプールでも描けそうだ。よく分からないけれど。 いやいや、ふざけている場合ではない。このままダラダラ鼻血を出し続けるのは生物的にマジでヤバイ。早々に処置をせねばなるまい。 そのためには。 「あの、すみません、初対面の方に厚かましいってことは重々承知なんですけど……一つだけお願いしてもいいですか?」 「はい、もちろんです。学校の保健室にお連れしましょうか? この出血では救急車を呼んだほうがよろしいのでしょうか? それともここからならばご自宅へ?」 彼女は聖母のように優しく、そして、常識を弁えていた。命がかかっていると言って差し支えない状況ではあるけれど、これからの自分の発言を思うと暗澹たる気分になる。 でも、やるしかないんだ。 腹を括って、息を一つ。 「あなたのパンティを見せてください!」 そこから、その日の僕の記憶はない。 目撃者の証言によれば、彼女の美しき御御足から放たれた上段回し蹴りが僕の顎を的確に捉えたそうだ。僕は体を回転させ、鼻血を撒き散らしながら倒れ伏したらしい。翌日から僕のあだ名が「ブラッディスプリンクラー」になったのは言うまでもない。 こうして、僕は彼女――麗しの西条縁(さいじょうゆかり)に蛇蝎のごとく嫌われた。 ★ ぜえぜえ息を切らしながら、それでも走る。 逃げなければ――そんな強迫観念に背中をつつかれて走る。 一体、何に怯えているのだろう? ☆ 謎の奇病「好きな子の前だとその子のパンティを見ないと鼻血が止まらなくなる病(仮)」が発病したのは半年ほど前のことである。 その日は中学の卒業式だった。新たなる旅立ち。よくある流れで、別れてしまう前に、当時好意を寄せていたA子ちゃんに人生初の告白をした。邪推だが、むこうもまんざらではなかったように思う。 緊張もあって喋った内容の詳細は憶えていない。クライマックス。君が好きだと叫びたくて勇気で踏み出そうとしたとき。 「君がす――」 「ひっ!」 僕の言葉を遮るようにA子ちゃんが短く声を上げた。最初は必死過ぎて引かれたのかと考えた。 でも、そうではなかった。鼻から口元にかけてのぬるい感触。手をやり確認してみれば、ダラダラ鼻血が流れていた。 「な、なんじゃこりゃああああああああああ!」 思わず松田優作ばりに叫んだ。みるみる勢いを増す鼻血に、A子ちゃんは怯えたような表情で後ずさり。そして、目前の珍光景に気を取られたのか、足を縺れさせ、派手に尻餅をついてしまった。 「――ッ!」 ラッキーパンティご開帳である。転んだ拍子に純白パンティがパンパカパンしていた。男子なら誰しも搭載しているパンティ自動追尾システムにより、僕の視線はその神々しい白に釘付けになった。その無限の可能性を秘めたパーフェクトホワイトを、僕は生涯忘れないだろう。 「あ、あれ……とまっ……た?」 動転しているためか、己の痴態に気付かないA子ちゃんの指摘で判明する。先ほどまで止まることを知らなかった鼻血がピタリとストップしたのだ。 訳がわからない展開に、頭の中がしっちゃかめっちゃかになっていた。 僕の鼻血とA子ちゃんのパンティには古代より定められし呪われた因果律が……みたいな中二病的思考の末。 A子ちゃんの前に静かに跪く。 「君が好きだ……君のその純白パンティが僕には必要だ」 その言葉にA子ちゃんはサッと青ざめたあと、徐々に頬を紅潮させた。真っ赤になって破裂するのではと危惧したところで素早く立ち上がり、右足を高く高く振り上げた。天に届くかと見まごうほどに。 アーメン――キリスト教徒でもなんでもないけれど、雰囲気で十字を切った。 「この変態っ!」 ギロチンよろしく炸裂したかかと落としに、僕の意識はチョッキンされた。 最後の最後に変態の烙印を押され、中学生活は絶望のうちに幕を閉じた。 もちろん、超反省している。 ★ 転がり込むように自室に入るとすぐ学習机に向かった。 一番下の引き出しを開ける。中は雑多なものでカオス状態だ。 そして、それをカオスに紛れ込ませた。 誰にも言えない、自分だけの秘密を。 ☆ 中学時代の、青汁の二千倍くらい苦々しい経験により、高校では極力女子に関わらずに過ごした。第三者から見たら笑い話かもしれないが、少なくとも僕にとっては大問題だし、同じ轍を踏んでさらなる汚名に塗れるのは勘弁だったからだ。 好きな人ができたところで、鼻血がその想いを妨げる。どれだけ清らかで純粋な恋心だったとしてもだ。 しかし、その砂漠のように乾いた青春は突如打ち破られた。西条縁というオアシスの出現によって。 西条縁。 僕の通う高校へ転入してきた美少女。一目惚れなんて都市伝説だろうと考えていたが、あんな可愛い生き物がこの世に存在し得るとは。まことにあっけなく、僕は彼女に恋してしまった。 キューティクルがテュルテュルな黒髪、神様が定規でミリ単位の調整をしたような絶妙な顔立ち、ところどころダイナマイティなムフフバディ。 それに加え、公家のような上品な所作、ハッピーエンジェルスマイル、色で例えるとパールホワイトみたいな優しげなオーラ。 「警告します。私から半径二メートル以内に立ち入った場合、問答無用で排除します」 しかしながら、僕にとって完全無欠な女の子である西条は、禍々しいほどの敵意を露わにしている。無理もない。だって例によって鼻血を出してるから、すごい勢いで。 ブラッディスプリンクラーの一件から一週間後。僕は西条との接触に成功した。彼女の帰り道をリサーチ。待ち伏せをし、現れた彼女を呼び止めたのだ。鼻血を出しながら、すごい勢いで。 「ま、待ってくれ……話だけでも聞いてくれないか」 両手を広げて害意のないことをアピールする。鼻血を出しながら……無理ゲーってやつじゃないこれ? 信用なんて得られそうもない。ミシミシと僕のガラスのハートの軋む音がする。 「……分かりました」 しかし、予想に反して、彼女は申し出を受け入れた。表情は険しいままだけれど。 「その場から動かないことを条件とします。先に言っておきますが、私は空手五段の有段者です」 男子を一撃で沈める蹴りを放つのだ。その言葉は嘘ではないだろう。 「それに柔道三段、剣道二段、少林寺拳法四段、弓道三段、合気道二段。ボクシング、ムエタイ、薙刀、アーチェリー、フェンシング、ブラジリアン柔術、サンボ、居合術、カポエラ、骨法、レスリング、テコンドーについても少なくない経験があります。つまり、妙な真似をしたら容赦はしません」 あれ、化物かな? 情けなくも怖じけづく。また彼女の逆鱗に触れるようなことを口走れば、そこには死が待つのではないか。 しかし、チャンスを逃してはいけない。せめて誤解は解いておきたい。パンティの披露を要求したのは邪な欲求のためではなく、己の生命を維持するため。言うなれば、生存本能であったのだと。 溢れ出る鼻血に構わず、一生懸命に訴えた。「好きな子の前だとその子のパンティを見ないと鼻血が止まらなくなる病(仮)」であることを。直截に好きな子と言うのはさすがに抵抗があったので、魅力的な子、に置き換えたけれど。 きっと望みは薄い。医者に相談しても「ハハッ、ワロスw」と一笑に付されただけだった。信じてくれという方が無茶なことは、自分が一番よく理解している。そんな諦観につきまとわれながらも、頑張って説明をした。 「はぁ、はぁ、はぁ」 鼻血で鼻呼吸が困難なため、息切れしてしまう。しかし、言うべきことは言った。あとは天命、もとい、西条の審判を待つばかり。 西条が一歩踏み出した。さらに一歩と近づいてくる。心臓の鼓動が加速する。それに合わせて鼻血もドクドク増加する。 彼女が迫る様子はスローモーションに見えたが、それでも確実に距離を縮め、ついには僕のすぐ前に立った。ゴクリと唾を飲み込む。もしかしたら僕の人生がもうすぐゲームオーバーになるかもしれない。そう考えると産まれたての子鹿のように足が震えた。 しかし、僕の生命が脅かされるような武力行使は行われなかった。彼女は肩から掛けた鞄の中を探ると、何かをスッと差し出した。 「ハン……カチ?」 「本当に申し訳ありませんでした!」 そして、まさかの謝罪とともに頭を下げた。 「あなたの深刻な事情も知らず失礼なことばかり申し上げて……きっとお辛い思いをたくさんされてきたのでしょう……その苦しみを慮ることなく、あろうことか蹴り飛ばすなんて……私……私っ……!」 西条縁マジ天使。 彼女は僕のトンデモ話を信じたどころか、瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな有様である。あまりにも予想外でドギマギしてしまう。 「いやいやいやいやいやいや! 別に君が悪いことなんて何一つないから! そりゃ鼻血ダッラダラの男からいきなりパンティ見せろなんて言われたら意識を刈り取るレベルの蹴りくらい誰でもするって!」 「そ、そうでしょうか……」 たぶんそうじゃないけど、そういうことにしておこう。僕は何度も頷く。 「だから君が謝ることなんかないんだって! むしろ僕が――あぅ?」 目が眩む。身体から力が抜け、膝をついてしまった。まずい。血を流し過ぎたか。 「大変です! このままでは……」 西条も僕の窮地を敏感に察したようだ。 鼻血は止まらない。西条がそばにいる限り。いっそまた気絶でもさせてもらうしか――。ほとんど殺人的な蹴撃を食らう覚悟を決めたとき。 「こちらです!」 西条が僕の手を引いた。よろめきながら立ち上がり彼女に付き従う。マシュマロのように柔らかな手に興奮せずにはいられなかった。 狭い路地に入る。何のつもりだろうか。貧血状態であまり動かさないでほしい。しかし、そう主張するだけの余力さえ既になかった。万事休すか。 つながれていた手がほどかれた。 西条は僕を正面から見据えている。迷うような表情に見えたが、何かを決意したように瞳に意志が宿る。 「あ、あの……こんなことをしたなんて誰にも言わないでくださいね……」 蚊の鳴くような声、そして。 「なッ――!」 西条は自らのスカートをめくり上げ始めた。 もともと若干膝にかかるくらいの長さのスカート。まずは可愛らしく丸みを帯びた膝小僧がハローエブリバディ。スカートの裾が、瑞々しくハリのある白い大腿を撫でていく。彼女は恥ずかしさのあまりか、唇を噛み締めている。 日の出はもうすぐだ。パンティという太陽が世界の闇を打ち払うまで。 『絶対に許さない……!』 背骨が凍り付いたように、全身を寒気が駆け巡る。耳に蘇る声。フラッシュバックする途切れ途切れで白くぼやけた光景。あれは――。 あと一センチでもスカートを上げれば、彼女は大事なものを失ってしまう。一線を越えてしまう。そんな辱めを許容していいのか? 「ダメだっ……!」 気付けば、僕は西条の腕を掴んでいた。 「そんなバカなこと……するなっ……女の子だろ……!」 「だ、大丈夫です……その、ちゃんと下着も履いていますし……」 え、このタイミングで言うこと? 問題はそこじゃないよね? 「僕を……僕を思い切り殴れ!」 この鼻血を止める最後の手段。気絶。もはやそれしかない。格闘技マイスターの彼女であれば、ブラッディスプリンクラーとして葬ったときのように容易いはずだ。 「そんな……今そんなことをしたら死んでしまいます!」 西条縁マジ天使。 彼女の底抜けな優しさは五臓六腑に染み渡るようだけれど、呑気に浸っている時間はない。強制発動だ。 「え……?」 右手を至高の双丘(おっぱい)に伸ばし、極めてソフトリーにタッチした。プッチンプリンも青ざめるほど、ぷるぷるぷるりんな感触。 西条は呆気に取られたように口を開けたあと、キッと歯を食いしばり、憤怒を露わにした。 「破廉恥っ!」 日本刀の斬撃に勝るとも劣らない手刀が首元を強襲する。抗う術もその気もなく、雑魚キャラよろしく薙ぎ倒された。 これでいい。 完全に思い出した。自らの胸に封印していた過去を。 当然の報いだ。 僕はそれだけの罪を犯したのだから。 ★ あれは小学二年生のことだった。 プールの授業のあと、一番乗りで着替えをするため教室に戻ると、ある同級生のロッカーから白いものがはみ出ていた。 よくよく見ればそれはパンティ。しかも、そのロッカーは僕の好きな女の子、寺本さんのものだった。 周りには誰もいない――魔が差した、なんて言い訳にもならないけれど、そのパンティを素早く引き出し、自分のカバンに入れた。 続々とタオルを巻いた同級生が教室に戻ってくる。男子が先に着替え、次に女子が着替えるため、教室から追い出された。 少しして女子全員の着替えが済み、教室に戻る。僕はすぐに寺本さんを視界に捉えた。 案の定と言うべきか、パンティを掠め取られた寺本さんは落ち着きなくキョロキョロしている。大人しい彼女はパンティが紛失したとしても、誰かに相談しないと目論んでいたがその通りだった。万が一にもめくれないようにか、彼女は鮮やかな水色スカートの裾を下に引っ張るようにしていた。 そして、事件は起こる。 ふざけていた男子が彼女に勢いよくぶつかったのだ。 両手でスカートを押さえていた彼女はバランスを崩し、机や椅子を巻き込んで大転倒した。 誰かの大声。 「おい! こいつケツ丸出しだぞ!」 窓から入る日差しに照らされたぷりぷりなお尻。水色のスカートは無情にもめくれ上がり、パンティを失った無垢なお尻を守るものは何もなかった。自らの悲惨な状態に気づき、慌てて上体を起こしてスカートを直すが、時すでに遅し。クラスメイトのほとんどがその一部始終を目撃していた。どこかにぶつけてしまったのか、彼女の鼻からゆっくりと一筋の鼻血が流れる。 教室に嵐の前の静けさが訪れ、そして、すぐに瓦解した。 「ぶっははははははははははっ! 何でノーパンなんだよ!」 お調子者のクラスメイトが大爆笑すると、それを皮切りに教室は笑いの坩堝と化す。その中心にいる寺本さんは、鼻血を出しながら、恨めしげな視線を周囲に振りまき。 「絶対に許さない……!」 その憎悪が向かうべき人間を僕だけが知っていた。取り返しのつかないことをしてしまった。僕の行為が寺本さんを辱めたのだ。 彼女は逃げるように教室から走り去り、二度と登校することはなかった。 一ヶ月後に担任から転校したことを知らされた彼女。 そうだ。 彼女の名前は寺本――。 ☆ 「思い出したよ……寺本縁、だろ?」 「その通りです」 自室のベッドの上で目覚めると同時に鼻血が流れ出した。勢いはないが、頭がフラフラする。 手刀によりノックアウトされた僕を、西条がおぶって連れてきてくれたそうだ。流石の体力。それにしてもパイタッチという蛮行を働いた僕を見捨てなかった西条縁マジ天使。 西条縁イコール寺本縁。 寺本縁とは、僕が小学二年生のときに辱めてしまったあの少女だ。記憶のなかの寺本縁は可愛いけれど、目の前の美少女とはだいぶ印象が違う。ただ、僕のじいちゃんが死ぬ前に「女の子は成長すると綺麗になることがあるからブスにも優しくせなあかんよぉ」とよく言っていた。西条は昔も可愛かったが、年月を経て、想定以上に洗練され過ぎていてすぐには気付けなかった。しかし、本人も認めている以上、そうなのだ。苗字変更については家庭の事情があるのだろう。そこまで詮索する必要はない。 「いつ気付かれたのですか?」 西条が問う。 「今思えばだけど、最初に会ったとき、ちょっと変に思ったんだ」 突如、鼻血を大噴射したあの日。ダラダラ鼻血を流す僕に、彼女は学校の保健室に連れて行くか、救急車を呼ぶかと申し出た。そして、加えてこうも言ったのだ。「それともここからならばご自宅へ?」と。 「なるほどですね」 西条はささいな悪戯が露見したかのように苦笑いする。 「まるであの場所が僕の家の近所だって知っているみたいな言い方だなって。そのときはそんなに深く考えなかったけどね。でも、気絶した僕をここに運んだってことは、もともと僕の家の所在地を知っていたってことだろ」 「ご明察です」 「西条は初めから気付いてたんだな?」 「はい」 短いがはっきりとした肯定。 「遠くからお姿を見て、すぐに分かりました。あのころからほとんどお変わりがなかったので」 「どうして知らないフリをしたの?」 「それは……」 西条はふと視線を逸らし、ポツリと呟く。 「私がどうして転校したか、憶えていますか?」 「あ……」 デリカシーのない質問を悔やむ。あんな恥ずかしい仕打ちを受けて去って行ったのだ。西条にしてみれば、それは忌むべき過去。もし、寺本縁であると知れれば、「あーあの尻丸出しの」なんて話にもなりかねない。花も恥じらう女子高生にとって、むごいと表現する他ない事態だ。 「その反応ではやはり憶えているようですね」 「ごめん……」 「いえ……あのような出来事をすっかり忘れてしまう方が難しいですよ」 そういうことではない。僕のごめんはそういうことではない。 すぐそこにある学習机には、今もなお、あの日の罪が隠されているのだから。 ベッドから下りる。怪訝そうに僕を窺う西条をよそに、学習机の引き出しを開けた。雑多なものでカオス状態だ。カオスの中に手を突っ込む。しばし彷徨ったあと、僕はそれを掴んだ。 「――っ!」 西条が息を飲む音。僕はそれを彼女の前にそっと置き、ごつんと床に頭をつけた。 「ごめんっ! 僕が盗んだんだ!」 揺るぎない証拠。紛れもない僕の罪。あの日の白いパンティが、そこにはあった。 「あなた……だったのですね」 顔を上げることができない。軽蔑されて然るべきなのに、そんな顔をされることが怖かった。 「君をあんな酷い目に遭わせたのに、僕は今日の今日までそのことを忘れていた、いや、忘れようとしていたんだ」 あの日以来、寺本縁は僕の前から姿を消した。それをいいことに、自分を誤魔化すことで罪の意識から逃れ、楽になろうとした。折に触れ、脳裏にチラつくことがあっても遠ざけた。その逃避行動はいつしか罪悪感を心の隅に追いやり、日々蓄積される記憶に埋没させたのだ。 最低な卑怯者。 鼻血が止まらないくらいの苦しみなんて生易しいもんだ。 「顔を上げてください」 そう声を掛けられ、おずおずと上体起こす。罵倒されようが、殴られようが、蹴られようが甘んじて受ける。その覚悟が、彼女のためにできる唯一のことだと思った。 しかし西条縁という人間は、僕の想像などはるかに超越していた。 「ふふふっ」 西条は綿毛のように軽く微笑んだ。なぜ自分を陥れた蔑むべき人間に対して、一分の翳りもないこんなにも穏やかな表情を向けることができるのか。理解が及ばない。さらに、間髪を入れず簡単に続けた。 「あなたを許します」 「な――」 「と言っても、あなたの行いを正当化するつもりではありませんよ。私はあなたの理不尽な行動がきっかけで、ひどく傷付いたことは事実ですから」 「じゃあ、どうして……?」 「だってあなたは止めたくれたから」 いっそ清々しいほど、きっぱりと言い切った。 「先ほど私がスカートをめくり上げようとしたとき、あなたは成り行きのままに見ていることもできたのです。でも、そうはしなかった。それはあの日の後悔が、ちゃんとあなたの中にあったからなのではありませんか?」 あのとき、寺本縁の声が、あの日の情景が、走馬灯のように蘇った。考えるより先に体が動いたのだ。 「まぁ、そのあとの破廉恥は最悪でしたが」 「すいません……」 マジですいません……。 「きっとあなたはあの日を忘れてなんかいなかったのです。だからこそ、自らに苦しみを課して生きてきたのでは?」 「苦しみ……? 鼻血のことか」 あの日、鼻血を流して周囲を睨みつけていたみじめな少女の姿。それは心の奥底で決して消えない罪悪感となり、パンティと関連づけて鼻血を流させることで僕自身を苦しめていた――なんて無茶苦茶な理屈。しかし、そもそも無茶苦茶な病だ。無茶苦茶な答えを求める以外ないのかもしれない。 「あなたの病はあなた自身の罪悪感が生み出した罰だった。あなたは自分で自分を罰していたのです。許されることもなく」 そうだ。許されることじゃない。いたずらに何の非もない女の子を傷付け、挙句に逃げ出すという最低の選択肢を選んだのだから。 ただ、それでも。 もし、僕を許すことができる存在がいるとすれば、それは。 「私はあなたを許します」 再度の温かな言葉に、心の澱が溶けてなくなっていく。 「ですから、あなたもあなたを許してあげてください」 西条が不意に、ハンカチで僕の鼻を優しく拭った。 「鼻血、止まりましたね」 僕は馬鹿野郎だけれど、最高に幸運な人間なのかもしれない。目頭が熱くなる。もう一度「ごめん」と言いかけて、言葉を選び直した。 「ありがとう……」 西条はまるで本物の天使のように笑った。 その日以来、「好きな子の前だとその子のパンティを見ないと鼻血が止まらなくなる病(仮)」の症状は二度と出なかった。 ☆ 僕と西条は過去のわだかまりなど雀の涙ほどもなかったように接している。それもこれも西条の四次元ポケットなみに無限大な懐の成せる奇跡。普通の女子なら僕は色々詰んでいた思う、人生的に。 西条と二人で下校中。 「あのあのあのあのあのさぁ、じじじじ実はぼぼぼ僕、映画のたったたタダ券を二枚もらっとぅえすぁ」 「あの子、何をしているのでしょう?」 僕のスマートな誘いをガン無視して、西条が指を差す。その先は公園。よくよく目を凝らすと、茂みの中にランドセルを背負った男の子がしゃがみこんでいた。地面にある何かをめくるような動作。すぐにピンときた。 「あー、あれは、そうだな……男のロマンを追い求めてるってとこかな」 「意味不明なこと言わないでください、蹴り倒しますよ」 「落ちてるエロ本を読んでいるのだと思われますハイ」 僕が敬礼すると、西条は「まぁ」と小首を傾げる。 「あのくらいの年頃でもそういったものに興味を持つのですね。私はあなたが特別に残念な子どもだったのかと考えていたのですが」 「そんなこと考えてたのか……まぁ、残念は残念だけど、程度の差はあれ、ああいうことをしてるやつはたぶん相当数いるんだよ。隠してるだけで。珍しいことでもないんだ、きっと」 「珍しいことでもない……」 僕の言葉を繰り返す。遠くを見るような眼差しで、顎に手を当てて思案し始めてしまうが、すぐに納得したように頷いた。 「すいません、私の告白を聞いていただけませんか」 「へぁ!?」 神展開キタコレ。パンティを盗んだ黒歴史からの逆点満塁サヨナラホームランや! 単純にエキサイトして鼻血がブッパしそうだ。 「あの日、下着を盗まれ、私ははしたない姿をみなさんに見られてしまいました。それ自体はとても絶望的だったのですが、同時に私の中に、ある価値観が目覚めたのです」 「ん……?」 何やら雲行きが怪しい。告白とは「好きです! 抱いて! レロレロレロレロ!」ということではないのか。 「私はあの出来事のあと、走って教室を飛び出しました。もちろん下着を履かずにです」 その通りだ。嘲笑が渦巻く教室は、針の筵だっただろう。パンティがあろうがなかろうが、すぐにでも立ち去りたいと考えるのはごく普通だ。 「私は学校の廊下を走り、そして、学校から自宅までの道を走りました。そのときこう思ったのです」 西条は俯きがちに、左手でスカートを掴み、右手で豊満な胸元を押さえている。 「なんて爽快なんだろうって」 「――ッ!」 こいつ……何を……言っている……? 「ノーパンティで活動することがこんなに心を軽くするものだとは知りませんでした」 え、ちょ、待っ……えぇ? 「あれ以来、私は何かに悩んだり疲れたりしたとき、ノーパンティになることで元気を取り戻してきました。そういった意味では感謝しているのです。あなたが下着を盗まなければ、私がノーパンティの尊さを知ることはなかったかもしれませんから」 知らない方が良いこともあるとはまさにこのことだよ! と、僕の心が叫びたがってるんだ。 そんな葛藤など知る由もない西条は目をつむり、安堵したように長く息を吐き出した。 「このお話をしたのはあなたが初めてです……私は自分が変態さんになってしまったと思い込んでいました……でも、あそこにいる少年のように、こういったことに興味を持つのは珍しくないのですものね。あぁ、なんだか胸のつかえが取れたようです……ありがとうございます!」 「ど、どういたしまして……」 エロ本少年とノーパン西条ではかなり性質が違ってくると思われるが……。晴れ晴れとした表情の西条を見て「変態か!」とは言えなかった。 しかし、これまで少々腑に落ちなかった疑問に、合点がいきそうなことがある。 西条がスカートをめくり上げようとしたとき、僕はそれを制止した。すると、彼女は下着を履いているから大丈夫だという旨のことを言った。 今の告白と照らし合わせてみよう。 日によってはノーパン真っ最中で、スカートをめくり上げたら秘部がレディースアンドジェントルメンする場合があったからこそ、あの切迫したなかで、わざわざ下着着用をアピールした――そう考えるとあの発言もそれほど不自然なものではなくなる。いや、なくならないが、断腸の思いでなくなるとしよう。あの時点で僕は西条の性癖を知らなかったが、本人にとって履いているか否かはセンシティブなところだったはず。ノーパン愛好家である西条だから、あの言葉が出たのだ。 もう一点。 僕の愚行を西条があまりにも簡単に許したのはなぜか。 それは西条縁マジ天使なことに加え、僕がノーパンの目覚めをもたらした存在だったからなのかもしれない。西条という一人の人間の人生観を変えた。すなわち、西条からすれば、僕はノーパンの神、ゴッドオブノーパンティであるのだフハハハハ、あ、やべぇ、マジでこんがらがってきた。 あれこれパニクりながら思考していると、西条が今まで見せたことのない顔で妖しく笑った。 「もしよろしかったらあなたもいかがですか?」 骨が粉砕される勢いで、肩をがしりと掴まれる。目が爛々と輝いている。先ほどの告白により、外れてはいけないリミッターが解除された感じ。逃げ出したいが、戦闘力の差はライオンとハムスターくらい歴然としている。 「さぁ、あなたも! ノーパンティの甘美な世界へ――!」 「いやいやいやいやいや、こ、ここじゃさすがにマズイ! せ、せめて物陰とかで……あ、ちょ、やめ、ああああああああああああ!」 抵抗虚しく、僕のパンツが宙に舞う。 空はすべてを許すように、どこまでも晴れ渡っていた。 |
筋肉バッカ SnRdGyakVY 2016年08月27日 09時36分49秒 公開 ■この作品の著作権は 筋肉バッカ SnRdGyakVY さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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